第三話

 照山家は外観こそ辺りでよく見る木造の平屋だが、何年か前に改修したことで内部は床の全面フローリングなど、日本家屋の雰囲気から遠ざかっている。入ってすぐ広間のダイニングが目に飛び込むので玄関からの眺めは民家というより食堂やカフェのような印象を受けて面食らってしまう。とはいえ宇宙人の住処という印象までは飛躍しない。

「……おじゃまします」

 父子家庭なので声をかけても他に誰もいないとわかっている。返事は待たずに上がり込んで奥へと進んだ。音がなく静かな点だけは隠れ家らしい。

 おじさんに脅迫されている都合上、基本的に反抗も質問も許されない立場にいる俺はこの宇宙人家庭の事情をなにも知らない。なぜ父子家庭なのか、母親はどうしたのか。このふたつについては一般的な地球人的観点からも「聞いてはいけない」と小さい頃から察していた。

(モミジの母親か……おじさんと似たようなヒトが出てきたらどうしよう……)

 歯をすべて爆弾に入れ替えられる未来を思い浮かべて憂鬱な気持ちになり、謎だらけなこの家を横断してモミジの部屋へ向かう。

(おっと、傷口を洗ってるはずだから……風呂場か)

 モミジの部屋をノックする前に、くるりと足の向きを逆へ変え向かいの戸に手をかける。薄く開くと、浴室へと通じる脱衣所にモミジの後ろ姿が見えた。

 かと思うと制服を脱ぎ始める。

(……なんてこった! なぜだか目を離せない!)

 宇宙的魔訶不思議な力が働いている――ということにして魅惑の光景に食らいつく。このくらいの役得はあってもしかるべきじゃないだろうか。地球のためにモミジを見守る義務もあることだし。

 自分を納得させ、音を立てないように気を配りながらその場に正座する。ちょっとした紳士の鑑賞マナーだ。

 シャツを脱ぐと白い背中が露わになって、その向こうにあるボリュームが後ろからでもわかるほどクレイジーだ。身長に関しては複雑でもこっち方面への発育の優良ぶりは大いに歓迎する。改めて見てもどこも地球人と変わりない――といったところには今更気が向かない。

 長い足を抜けてスカートが落ち、ブラジャーがポイと放られ洗濯機の中に消える。さあ、いよいよだ。

(いや――『いよいよだ』じゃねえよ! コレは覗きだ、よくないコトだ)

 裸を盗み見たりして、これ以上モミジに対して後ろめたい気持ちは抱きたくない。

(……すまんモミジ、今回は未遂ってコトにしておいてくれ。ああいやでもっ、モミジは警戒心が強いからこんなチャンスめったにないんだよな……)

 長く苦しい葛藤の果て、今回は良心が勝利を収めた。反省しながら脱衣所の戸を閉め、向かいにあるモミジの部屋へ移る。

 モミジの部屋はおじさんの捻じれた愛情により色々と買い与えられていて、テレビや冷蔵庫とこの部屋だけでも生活できそうなほど設備が充実している。パソコンもあってインターネットに繋がっているらしいが、その辺は詳しくないのでよくわからない。

 女子の部屋にひとり、と言っても幼馴染なので今更気兼ねはない。とはいえ今ばかりは覗き(未遂)を働いた直後だけあって心は落ち着かなかった。

 少しの間自己嫌悪に浸っていると、私服の白ワンピースに着替えたモミジが部屋に入ってきた。目を合わせられないのはさっき見た裸が意識にチラつくからだが、なぜかモミジのほうも様子がおかしかった。

 俺の前に正座すると頬を染め伏せた眼でじっと床を見ている。アワアワと動く強張った口は何か言おうとしているようで、息を飲む音に振り切ろうとする躊躇いの強さが伝わる。

「あの……あのさ! タカくん、もしかしてさっき……着替え覗いてた?」

 ドカンと衝撃。どっと冷汗が吹き出る。

 バレていた。下るべき天罰が下ったと観念して、正直に打ち明けるしかない。

「ああ、覗き……ました。ゴメンナサイ。――でも最後までじゃないからな? 『これはよくない』と思って途中でやめたんだ。『よくなくてもいいから見たい』とも思ったけど」

 もうとにかく必死に釈明するしかなくて、その想い以上に焦り早口で喋った。声も内容も聞き苦しかっただろうに、モミジはコクンと頷いて答える。

「大丈夫、わかってる。タカくんは地球人に関心があるからこそ私のことかくまってるんだもんね。生態を観察したいんだから、覗きくらい当たり前だよ」

 一瞬キョトンとしたが、すぐに理解は追いついた。俺はスケベで卑劣な覗き魔ではなく、学術的好奇心に燃える研究家と見なされているようだ。

(モミジのイメージちからが高まっている……。さあ、来るぞ!)

 生活の中で疑問を感じたり異変が起こったとき、モミジは自分で納得できるよう妄想を膨らませる。だからあとは黙って見守っていればいいかと言うと、そう簡単にはいかない。

「大丈夫、私わかってるから――!」

 力んだ声で言うなり立ち上がったモミジはワンピースの裾をムンズと掴み、勢いよく捲り上げた。内側が露わになる。

「ワェーっ!? なにしてんだオマエ!」

 突然のことで思わず変な声が出た。

「だってタカくんが見たいなら、見せなきゃだもん!」

 服が肘で引っかかってもがくモミジは風に煽られるススキのようで、間が抜けて見える。それでも丸見えの白いフトモモは刺激が強過ぎた。オマケに身長差からモミジの顔より腰のほうが近いせいで眼前にチラチラ何か見える。

「地球人の淑女はこんなはしたないことしません!」

 力任せに服を引き下ろし、スポンと現れたモミジの顔は茹で上がっていた。恥じらいどころではない照れの極地にいる。

「だってェ! それがタカくんの目的なら私は協力しなきゃだもん! 立派な研究対象になって見せるんだから!」

 地球人調査という題目をデッチ上げればスケベの烙印をまぬがれる。そう期待して妄想をひとつ見過ごしたら、大変なことになった。

(とにかく落ち着かせないと、こんなところおじさんに見られたら爆死だ!)

 宇宙人の親子愛についてはよくわからないが、モミジもおじさんも心の在りようは地球人と全然違わないように思えるのでこの状況は充分に命が危ない。世の父親は娘に近づく悪い虫を爆破するのにためらいはないはずだ。

 普段モミジの妄想を野放しにしている理由は代わりに与えられる真実を俺が持たないせいだ。正解を知らないので「違うよ」「そうじゃないよ」と教えられない。

 ただし今回に限って妄想の素になっているのは俺の行動だ。これなら正解を知っている。「なにをしていたか」を説明すればいいだけなのでハッキリと答えられる。なにも難しいことはない。

「いいか、よく聞けよ? 俺がモミジの着替えを覗いてたのは任務だからでも研究のためでもない。俺の個人的なスケベ心だ。……ん? これ言わないほうがよくないか?」

 露骨過ぎる本音が出てしまった。言い終えたあとに後悔しても取り消しは利かない。

 モミジはギシッと腰の曲がった不自然な姿勢で動きを止めている。当然予想外だったはずだ。これからスケベ心を出発点に妄想を始めるとしたら不憫でならない。

(でも『スケベ男に覗かれても安心』な理屈なんて、いくらモミジでも用意できないよなあ……。ああ、ダメだ……こんなの絶対嫌われる……)

 気持ちに合わせて視線が下がる。モミジがどんな顔をしているか、確認するのが恐くて顔を合わせられない。

(ああ、終わった……。モミジに嫌われたら生きていても楽しいことなんてない……。そうだ。こうなったら、おじさんもろとも爆死だ! うん、もうそうしよう。この帰りにやってしまおう)

 泣きたい気持ちで死に際を計画し、床に平伏して審判を待つ。

「純粋にスケベ心で……私の裸を見たかった――見たいの?」

 沈黙のあとで再確認。この期に及んで取り繕う気力はなく、声を出す元気もない。

 体を起こし黙って頷くと質問は続いた。

「それって私のコト研究対象じゃなく……女の子として興味があるってこと?」

 今度はさっきと違って声に緊張がなく、望む答えを誘うような高揚が滲んでいる。

 何を今更なことを言っているのか。いっそ呆れるほどでつい顔を上げると、モミジの顔つきは真剣そのものだった。

 思い返せば、そういうことをちゃんと言ったことはなかったかもしれない。ずっと昔から一緒にいて守り続けて、当たり前に伝わっていると思っていた。しかしモミジにとって俺は第一に守護星人だ。当たり前になんて受け取っているはずがない。

(それなら、今ハッキリさせとくべきだろ)

 強い想いで見つめると今度はモミジが目をらした。気恥ずかしそうに唇をきゅっと閉じ、横髪をしきりに撫でる。その仕草が待っているように見えた。

 高鳴る鼓動に急かされ膝を上げ踏み出す。

「モミジ、俺――」

「いやぁっ、ダメぇっ!」

 仰け反りざまに、膝を顎にもらった。視界をいくつも白点が飛ぶ。

「タカくん、今私になにしようとした? 保健体育はダメだよ!」

 なにを言っているのかわからない。痛みが引くまでの短い間考えて、「保健体育」がなにを意味しているのか理解した。

「違う違う。ちょっと気分が盛り上がっちゃっただけで、実際そんな思い切ったことをしようとしたわけじゃ……あれ、でも、えっ? イヤなの?」

 気持ちは通じ合っているつもりでいた。ならあとはそれを確かめれば、あとはトントン拍子でそこへ進むと思い込んでいた。

 なのにモミジは壁際まで下がって怯えた顔でこっちを見ている。今にも「近寄らないでケダモノ!」と悲鳴を上げそうなシチュエーション。これは「順序が違う」という拒否のレベルを超えている。

「う……っそーん。そうなのヤなのー?」

 落ち込んでいると、数秒間があってモミジが我に返った。

「イヤとかじゃなくって……だってムリだよ! タカくんたち宇宙人にとってそういうのが愛情表現の一つだって知ってはいるんだけど……私、地球人なんだよ? あんなことできるワケないよ!」

 そう言えば小学校の保健体育の授業中、血の気が引いた顔で教科書を見つめて様子がおかしかったことを思い出した。

(モミジにしてみれば、宇宙人に卵を産み付けられるみたいな感覚なのかな……)

 映画で観たそんなシーンを思い浮かべる。体の中に管が入って来て、自分とは別種の子供を身ごもる。それはそれは恐いだろう。

「ゴメンね。でもわかって、体の構造が違うんだから」

「うん。わかってる。体の構造が……え?」

 天井に向けていた視線を戻してモミジを見つめる。今、とんでもない言葉を聞いた気がする。

 考えたこともなかった。モミジの裸なら小さい頃に見たことがある。体のどこかが違うなら、育てた母が気付いているはずだ。そんなことあるはずがない。

「だって……入るわけないよ」

 モミジが膝を擦り合わせてを抑える。

 どうやら単純に性教育の内容に衝撃を受けて「これは宇宙人のことだから」と他人事にすることで受け流したらしい。

(でも……本当に違ったら……?)

 そういう不安もあって「じゃあ確かめてみよう」とは言い出せない。普通にできないが。

 モミジは頭から湯気を拭きそうなほど照れている。

「地球人式の――その、愛し合い方? がわかればいいんだけど……それだと今度はタカくんに合わないんだろうし」

 モジモジ話す様子を改めて眺めてみても、奇妙な部分は見つからない。敢えて言えば父親とすら色の違う金髪と、他の同級生に比べて成長が早いことくらいだ。そのせいで大事な問題を今まで見過ごしていた。

(まあ……好かれてないわけじゃないってわかったし、宇宙人相手だってことは知ってたんだから、そういうことがあっても受け入れなきゃだよなあ)

 自分を納得させている間にボーっとしていると、モミジが膝を擦り床に手を付いて近寄ってきた。

「そんなにガッカリするんだったらあの……手とかでなら――」

「バ、バカ言うんじゃありません! それよりホラ、ケガの手当てをしますよ!」

 この気苦労は相手が宇宙人だからというところからくる特有のものなのか、経験の乏しい俺にはわからなかった。

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