第二話

 俺の家は学校からやたら近い。パンをくわえて飛び出せば食べ終わる前に到着するような短かさだ。車道と小川を越えたらもう校庭を囲むフェンスに当たって、そこからぐるりと校門へ回る外周が通学路ということになる。

 あっという間に帰り着くと、隣、つまり照山家の前に着物姿の中年が立っていた。空を見上げていた中年はこっちに気が付くと、唇の動きだけで笑顔を作った。

「おかえり。学校はどうだったかな」

 照山久士てるやまひさし。モミジの父親で、当然宇宙人だ。それもモミジと違って自覚がある宇宙人。諸悪の根源と呼んでも支障がない。

「パパ……ただいま」

 返事をしつつ、モミジはサッと俺の後ろに隠れた。身長差が40センチ近くあるのに身を隠せるのかは疑問だが、肩を掴む手の震えを感じては精一杯胸を張って肩を広げるしかない。

「おや……どうしたんだい、その膝は」

「ヒッ! ちょっと擦り剥いただけだから、パパはなにもしてくれなくて大丈夫!」

 この地球上で唯一の同胞であるはずの父親を相手にひどく怯えている。なぜかはもちろん、『自分以外は宇宙人』というモミジの妄想が彼を例外にしていないからだ。


 七年前、モミジの白い血を見た俺はそのことを照山久士――モミジのパパに相談した。

 そのときの俺はモミジが病気だと勘違いしていて、「宇宙人の親は宇宙人」という事実に気付かず最悪の選択をしたわけだ。「それを知ったからには死んでもらおう」と輪っかのついた光線銃でビビビされていたとしてもおかしくない。

 しかし彼は俺を殺さなかった。

 モミジが「自分こそ地球人」と思い込んでいると聞くなり唐突に無精ヒゲを剃り始め、ふざけたことにうっかり顔を切ったフリで赤い血を流しているように見せかけた。

 それを見たモミジが「あ、このひとパパじゃない。宇宙人だ」と思い込んだのは言うまでもない。


(まあ、実際宇宙人だから、そこは合ってるんだけどな)

 事情を説明もせず娘を地球人として育てている。実の娘に異種生命体と思わせたまま一緒に住んでいる。最低の育児放棄だ。

「……モミジ、ケガしたとこ洗って来いよ。俺はちょっと、おじさんに話があるから」

 そう告げるとモミジは俺とおじさんを交互に見て、心配そうに頷いてから家の中へ入っていった。

「そうか。あの子はケガをしたのか。……誰にも見られなかったかい?」

 モミジを見送り入口の戸が閉じるのを待ってからおじさんが言う。作り笑いが消えればそこに心があるのかすら疑わしい、正真正銘の宇宙人が現れた。

「気にするのそこかよ! まず娘の体の心配をしろ、アンタ父親だろ?」

「優先順位を間違えているのはどちらかな? もし僕らのことが他の地球人にバレたら、この町を焼け野原にして元通りの秘密に還す。それは僕にとっては草刈り程度の些末事でも、君にとっては重大事のはずだ」

 アッサリ言ったのはコケ脅しでなく、彼なら平然と実行すると確信が持てた。ヒトをヒトとも思わない残虐性なんて地球人同士にもあるもので、その枠の外側にいる彼が共通の倫理観なんて持つわけがない。

 しかしそれはそれとして、言いたいことはある。

「アンタが地球人の命を軽く見てるのはこの際置いといて、モミジのことはちゃんと対等に扱ってくれよ」

「なんのことだい」

「ホントのことを全部打ち明けろってんだよ。この星唯一の仲間――っていうか、家族なんだから」

 おじさんはいつも顔だけは無表情なくせに大袈裟に首・腕・足をムダに振り振り話す。まるで歌劇役者だ。

「そういうワケにはいかないさ。親の都合でこんな辺境宇宙に引っ越したなんて知ったら、嫌われるに決まっているよ。そんなこと父親として耐えられない」

 どうもこれが本気らしい。そんなくだらない理由と押し付けでモミジを孤独にした。

「おぅコラふざけんなよ! アンタのせいで何重にもややこしくなってるんだよ」

 宇宙人を匿うだけならまだ楽だった。その上で妄想を守ることでまた違う苦労が生まれている。妄想は果てしなく膨らんでいく危険性も含んでいるから、いつまで堪えられるかこの先不安で仕方ない。

「なにが辛いって、俺までモミジに嘘をついてることだよ。それがなけりゃ俺だって――」

 話の途中で、おじさんはもったいぶった動きで人差し指を立て、頬を叩いた。

「君は僕に意見をできる立場にない。それを忘れないことだ」

 秘密を知ったあの日、確かに俺はおじさんに殺されなかった。しかしタダで生かされているわけじゃあない。シッカリ口封じされている。

 七年前に木から落ちた弾みで抜けた歯。今その位置にはそのとき下から顔を出していた永久歯ではなく、宇宙のテクノロジーが居座っている。もし秘密をバラせば爆発する仕掛け、つまり俺の奥歯には爆弾が詰められているということだ。

 宇宙人の秘密を誰かにバラすと即、爆死。モミジに教えても即、爆死。おじさんに逆らっても即、爆死。あれ以来そういう宿命を背負った。

「……いつもそうやって脅すけど、俺が爆死したらこの先誰がモミジを守るんです?」

 精一杯の反抗は見開いた目と渇いた声の悪魔じみた笑いで一蹴される。

「ハハハ。地球上の人類すべてを抹消しても構わないし、少し手間だが脳をいじっても問題は解決する」

 このひとは本当に悪魔だ。

「いいかい? 君にはこの惑星を代表して僕の娘と地球人を守る使命があるが、僕には一介の父親として娘を守る使命しかない。その違いを忘れないことだ」

 これが本当にモミジの父だろうか、と疑う。少しも似ていなくてホッとする。

「丸投げしといて、何が『娘を守る』だ。アンタなんにもやってないんだよ!」

「その指摘については耳が痛い。だがこれも熟考した結果なのだよ。事情を話して家に閉じ込めておくより、正体を隠してでも同じ年頃の子供たちと戯れて過ごすほうがいいと判断した。それによって生じる様々な問題は下請けの君がキチンとしてくれたら済む話だ」

 圧倒的に優位な立場から堂々とムチャを言ってくる。なにしろ遥か宇宙からの見下しなので吹き下ろしはかなり辛い。

「さあ、爆死する前に娘の所へ行くがいい。君がいないとあの子は不安だ」

 心の底に「お前のせいだ」という本音を封印する。真実を知ったとしてもモミジの状況はあまり変わらない。どのみち異星人の巣の中で、俺の気持ちが楽になるだけだ。こんなイカれポンチが本当は実父だと知ったらむしろ絶望するかもしれない。

(そしてそのイカれポンチに、俺はまったく逆らえないわけだ……)

 町民の千人の命と宇宙人の秘密に加え、この惨めさも俺ひとりで背負うしかない。

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