ナオヒ

 三井は奇妙な街の空気に半ば混乱していた。

 夜の十時を過ぎたというのに、人の流れが途絶えないのだ。闇が、やってこないのである――。


 これまで少女を誘拐していた時は、まるで人が自ずと道を開けるように自分の周囲から消えていた。

 それは、あの桂男という妖怪のおかげだったのだと、今日理解した。

 自分の持つ、『引力』のチカラは、妖怪の及ぼす行為のつじつま合わせに過ぎなかった。だが、それが分かってしまえば実に納得がいく。

 そして同時に、あの桂男という妖怪さえいれば、今後も楽しくやっていけるという事もよく分かった。


 だから、あの妖怪の敵と思しき、この少女を消してしまえばいいのだ。

 同時に自分の中の殺人欲求も解消できる一石二鳥の案だった。

 今回の満月も、人を殺したいと願ったのに、そこに来てあの殺人事件だ。お預けにされたフラストレーションはすさまじいものだった。

 なんとしても四谷ココロを殺害した犯人を挙げてやろうと考えていたが、その犯人が自分の『足長おじさん』に該当するとは思っていなかった。


 三井は、自分の車のトランクにカリンを押し込んだまま、なんと大胆にも警察署まで戻ってきていた。

 緊急で呼び出しを受けたからだ。

 N警察署まで出向くと、そこには千原マサオと、その妹のミドリが待っていた。


「カリンはどうしたんですか!」

 こちらの顔を確認するなり食いついてきたのは、活発そうな妹のほうだった。

 ――なるほど、二木カリンが行方不明になったことを受け、捜しているのだろう。その結果、最後の目撃者は三井だということでアプローチをかけたというわけか。

 三井はそう考えて、逆にマサオが追った桂男がどうなったのかが気になった。

 そこで、三井はまず、マサオに桂男はどうなったのかを確認することにした。

「きみ、たしか例の……彼女のニセモノを追いかけたはずだよね。その後、どうしたんだい?」

「そ、それは……正直なところ分かりません……。まるで霧のように消えてしまって……」

 三井はしめた、と思った。

 そう、我々は共に、『あり得ないものを見た仲』なのだ。つまり、とんでもない事言ったとしても、それを否定することができないのだ。


「だろう? 実は、こっちもそうなんだ。気が付いたら、もういなくなっていた」

「そ、そんな!」

 兄のマサオは三井の言葉に驚きはしたが、信じられない話ではないとも感じた。

 だが、ミドリのほうはそうではない。


「消えたとか、寝ぼけた事言ってんなよ! あんた刑事なんだろ!?」

「ミドリ、やめろ」

 マサオが妹を窘めた。普通ならば、こちらに非があるような状況でも、異常な現場を体験した者同士だからこその、奇妙な繋がりが、三井を守るのだ……。

 三井は内心、ほくそ笑んだ。それを表情に出さずに、さも申し訳なさげな顔を作るのが困難なほどに。


「じゃあ! 見失ったのはどこなんだよッ!?」

「きみは分かると思うけど、あの駐車場さ。きみが居なくなった後に、彼女ももういなくなっていた」

「アニキ、知ってるんだろ!? アタシをそこまで連れて行って!」

 ミドリは完全に頭に血が上っているようで、もう兄の手を引き、警察署から出て行こうとしていた。


「待ちなさい。もう遅いんだから、君たちは家に帰るんだ。あとは警察に任せなさい」

「カリンを見失ったような刑事に任せられるかッ!!」

「その事は申し訳ないと思っている。でも、今街には得体のしれないモノが潜んでいるんだ。帰ったほうがいい」

 得体のしれないモノという言い回しの際に、三井はマサオのほうへと言った。今回の事件は、人知を超えたエイリアンの起こした事件なんだと意味を含ませたのだ。

 そうすることで、自分の隠れ蓑にもなる。


「刑事さんの言う事は、本当だ。ミドリ、僕らは十分頑張ったよ。戻ろう……あとは警察に任せよう」

「ざけんなよ! アタシは一人でも探す!」

「あっおい待てよ!」


 ミドリが駆け出していくのを、マサオは慌てて追った。三井のほうに、一度振り返ってマサオは確認するようにその視線を交差させた。

 三井の表情は変わらない。

 ミドリがどんどん先へと行くので、マサオは声を上げて妹を追うのだった。


 三井はそのまま、行方不明と騒がれているカリンをトランクに乗せたまま、彼女を探すパトロールに出た。

 大胆不敵なその行為は、まさか、捜している刑事の車に当人が乗っているなどと考え付かなかったらしく、三井はまんまと周囲を騙してみせたのだった。


 そして――夜の零時を回ったころ、三井は車を自宅のガレージに入れた。

 特性のガレージは、地下に作られており、階下まで車を入れてしまえば、もうそこは簡易シェルターとなっている。

 籠城すれば一週間は暮らせるし、ここは多少大きな音を立てても周囲にはまるで聞こえる事がないのだ。完全なるパーソナルスペースといえる三井の遊び場だった。


 車を止めて、少しばかり落ち着くために三井は深呼吸した。


「フゥゥ~~。やってのけたぞ、ボクはやってのけたァ」

 ぞっとする笑みを浮かべる三井は、もう刑事の三井ではなく、殺人鬼のツカサであった。

 現在の状況を確認するために、三井はスマホをいじり、行方不明に関するニュースを確認し始めた。


「ククッ、やってるやってる」

 ニュースは簡易的な記事で、某所にて少女が行方不明、目下捜索中という内容でネットに上がっていた。

 その記事には、ツイッターと連動もしているらしく、この事件に関するハッシュタグで発信されたツイートもいくつか表示されていた。


「あ?」


 何気なく、そのツイートの内容をいくつか追っていくと、ツカサは画像付きのツイートや動画付きツイートがどれも似たような光景を映していることに気が付いた。

 スマホをタップし、そのツイートを確認すると、画像が大きく表示された。

 それはN駅前でプラカードを掲げる女性三名の画像だった。


 そのプラカードには、二木カリンの画像が大きく張っていて、捜していますと太字で書いてある。

 即席で作った捜索のプラカードだろうが、三井はそれを掲げている女性に驚いた。


「百田サクラ……!」


 ――なぜ、あの女がこの娘を探す?

 接点があるのだろうか? いや……そうは思えない。それとも、こいつは偽のサクラで正体はエイリアンか? いやいや、それもないはずだ。


「ムダなことを」

 ククっと、喉の奥で笑うと、三井はそのプラカードを掲げるサクラの画像をつんつんと、爪先で叩く。

 これまで行方不明の少女を誘拐しても、世間はどこ吹く風というように、無視をしてくれた。

 こんな活動をしたところで、何の効果も発揮しない事をツカサは知っている。

 世間は、世の中は、自分とおおよそ関係のない人間に対し、心を動かすことなど、ないのだ。


 ツカサは、運転席からのっそりと出て、後ろのトランクのカギを開けた。そして、それを開くと、まるで可愛らしい兎のような少女がそこで震えていた。

 そう、こちらは狩る側。あちらは獲物なのだ。

 これから楽しい解体ショーが始まる。ツカサはゾクゾクと膨れる欲望に下半身を熱くさせた。

 色々と、この娘には妖怪だかエイリアンだかの話を聞いてみたいところだったが、完全に怯えきってしまっているのか、あの駐車場で見せたような威圧感はなかった。

 これまで殺してきた少女たちと同じ、死にゆく運命の表情だと思っていた。


 ――しかし――。


 ツカサが無駄だと嘲笑ったツイートが、とんでもないことになっていたのだ。


 行方不明の少女を捜している、というそのツイートは、最初、面白半分で上げた人間のそれが発端だった。

 ナノが発信したものでも、ケイコが発信したものでもない。サクラでもなく、その光景を見た、ただの無関係な人だった。

 ただ、その人は、ちょっとばかりフォロワーが多かった。

 その人は、昨今ネット小説で人気の作品を公開しており、ダークファンタジーを題材にしたエログロで刺激的な作風が話題を生んだ人物だった。

 その本名は不明だが、ペンネームを『有人』と云った。本人は『アルト』と読ませたかったらしいが、ネット界隈では『ユージーン』と呼ばれ人気だった。


 そのユージーンのツイートが、駅前で人探しをする三人の女性を映した動画付きのものだった。

 悲痛な声で、涙を誘う彼女たちの訴えは、自分の作品の糧になるかもしれない、くらいの気持ちから発信したツイートだった。


 だが、それを見たユージーンのファン達が、リツイートし始めると、事態は大きく動き出した。まるで炎上するように、そのツイートが広く取り上げられて着目され始めたのだ。

 すると、その情報を見た人々が、動画で悲痛な声を上げる少女たちに心を痛めた――。


 ――たちまち、場所を特定した人たちが、N駅の駅前に集まりだしたのだ。

 当の本人たち、ナノ、ケイコ、サクラは駅前に集まりだした人々に、目を丸くしていた。

 誰もが、協力を呼びかけ、街全体を多くの人が、二木カリンを探し始めたのだ。


「な、なんで……?」

 ナノは呆気にとられながらも人々に、自分たちの想いが伝わった事がうれしくて、瞳を潤ませていた。

 サクラは、多くの人々が、今自分を見ているというのに、恐怖心を感じない事に、生まれ変わったような気持ちがしていた。

 そして、ケイコは、絶望しかけたその心に、確かな人の持つ『情』を感じていた――。


「カリン……、みんなアンタを捜してくれるんだよ……! カリン、お願い、無事でいて……!」


 ケイコは人の持つ、美しさを初めて目の当たりにした気がした。

 いつも人々は、下を見て、自分の足元が躓かないかだけを気にして歩いているように見えたのに、どうしてだろうか、今、自分の周囲に広がる人々は、まるで全員が同じ意思の元に動き出しているようだった。


 共感、共鳴――。

 無意識がまるで一つにつながったようなその感触に、ケイコは自分自身の心もそこに飛び込ませていく。

 みなで、願うのだ。たった一人の少女のために――。


 それが、奇跡を呼んだ――。


 妖怪人間として生まれた、一条ケイコの集合的無意識に働きかける能力が、伝搬していく――。

 人の可能性を広げてくれる、『情』が、カリンの無事を祈り、それを叶えるために動き出す。


 ――トランクの中で震えていたカリンは、眼前に突き付けられたドリルの回転に、恐怖し意識を失った。


 と、共にその身を金色の炎が包み込んだ。


「なっ!?」


 ツカサは思わずのけぞった。

 目の前の無防備な少女が突然発火したように見えたからだ。


 意識を失ったカリンの目がゆっくりと、開くと、そこには黄金の瞳が煌々と輝いていた。


「――妖気が、満ちる――。人の、信じる気持ちが増しているのだ……」

 カリンは口を開き、車のトランクからふわりと舞った。

 そして、足音も立てずに、綿毛のように足を地に降ろすと、目の前の男を見定めた。


「お主が連続殺人犯か」

「お、お前……桂男にやられたんじゃ……」

「ああ――。昨今はすっかりと信仰心がなくなったので、随分と我も弱まっていたらしい。エイリアンに負けるとは情けなく思ったよ」

「こ、このバケモノが!」

「バケモノか」


 カリン――、いやカリンの中で眠っていた狐火がツカサへと手を向けると、彼の持っていたドリルが爆発し、炎上した。


「うあっ!」

「お主……。これまで殺した娘たちをどうやって処理した。人の死体を処理することは容易ではないだろう」

「それを、お前が知る必要はない!」


 ツカサが工具箱から金づちを手にして躍りかかった。

 だが、狐火はまたもフワリと舞いあがり、ツカサの背後に降り立つ。さながら、弁慶と対峙する牛若丸の如く。


「喰ったな」


 狐火は、男が纏う人の病を感知して把握した。

 これまで殺した少女たちの処分方法。それは全て食い尽くしたのだ。肉も、骨も、脳みそも、ツカサは少女を文字通り、骨の髄までしゃぶったのである。


「てめえも喰ってやる!」

 ツカサが金づちを投げつけるが、狐火の顔面に届く前に、奇妙な軌道で、直角に床に落ちた。

 重力を操った妖術だ。


「下種め。真のヒトクイ妖怪はお主だったようだな」

「ボクは、妖怪じゃぁない! 選ばれた人間だッ! 刑事なんだッ! 正義の執行者だあ!」

「違うなッ!!」


 ツカサの狂気の滲む雄叫びを、獣憑きの霊、狐火は一括した。


「お前は、『人でなし』だ」


 途端、カリンを纏う黄金の火炎が巨大に膨れ上がり、燃え盛る狐と化けた。

 これこそが、狐火の本来の姿なのだろう。社会に広がった人々の『情』が妖気を高め、冷血な人でなしへ吠えた。


「組織の妖怪は、人に対して攻撃することを禁じられておる」


 巨大な火炎の狐が前足を殺人鬼に向かって歩みだす。

 すさまじいプレッシャーを放ち、ツカサは「あうあう」と工具箱から武器になるものをまさぐった。


「しかしながら……。お主は、もう人とは呼べぬ。まさにお主こそ、人でなし。我らの世の共通の敵だ」


 ツカサは、ハサミを逆手に持ち、振り上げて炎のケモノに向かって突撃していった。


「焼滅せよ」


 火炎が伸びあがり、ガレージを包み込んだ。

 それは車へと引火して、ガソリンに燃え移ると、たちまち爆音と共に業炎となる。


 街の一画で、凄まじい火の手が上がった。

 知らせを受けた消防が駆け付けると、そこには大やけどを負った三井ツカサと、無傷の少女が倒れていた。

 その報せは警察、および、街に拡散し、少女を捜索していた全ての人々がその無事な姿に喜んだ――。


 真っ先に駆け付けたナノとケイコに、二木カリンは誘拐されて殺されかけた事を告げると、大やけどの三井は救急車で運ばれるもすぐに逮捕となったのである――。

 そこに、ミドリも合流して共に抱き合い、涙を流した。


 その光景を見ていたマサオは、ほっと胸をなでおろす。

 その隣にそっと立った百田サクラは、改めてマサオを見た。夜空には月は見えなかったが、まるでどこからか、もう一人の自分が語りかけてくるようにも思えた。

 彼は、そう悪い人間ではないぞ――と。


「やれやれ、大騒ぎになっちまった」

 五十嵐警部はタバコをふかしながら、この後の処理が大変になると頭をかいた。


 しかしながら、これで一連の月の妖怪事件に終止符を打つこともできるだろう。


 ケーサツの一員として、五十嵐は思い切り肺に煙を吸い込んでから吐き出す。

 ここから先のつじつま合わせは、自分の仕事なのだ。役目を果たすとしようかと、五十嵐警部は、ぬらりひょんとして働き始めるのであった。

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