一霊四魂③

 夜の八時過ぎた頃だった。

 家の電話が鳴り、家族の誰かが取ったであろう着信音が途絶えた反応を気にもせず、一条ケイコは机に向かって試験勉強をしていた。

 あまり得意な分野ではない化学の問題に四苦八苦していると、自室のドアをノックもせずに母親が入ってきて、随分と険しい表情を向けてきた。

 その手には電話の子機が握られていて、今の電話に関することかとケイコはとっさに考えた。


「ケイコ、先生から」

「え、先生?」

 意外な相手にケイコは目を丸くした。先生から自宅に電話がかかってくることなど初めての事だったからだ。なんらかの連絡網だろうか。一条の名前から出席番号一番であったケイコは、連絡網の一番目になっているから、先生から急きょ電話が来る可能性はあるにはある。

 色々と考えながら、結局は出てしまったほうが早いということで、ケイコは子機を受け取って、通話を再会した。


「一条か。今、お母さんにも簡単に話したが、急で悪いが、すぐに連絡網を回してほしい。メールも発信しているが、一刻を争うから電話での連絡も回してほしいんだ」

「は、はい。どういう内容ですか」

 そう言いながら、自分のスマホを確認すると、メールの着信が来た。この連絡の電話と同時に送信もしているのだろう。

 メールを開くと共に、担任の教師の声が、聞こえてきた。


「いいか、落ち着け。二木が行方不明らしい。二木カリンだ。分かるな。お前、仲良かっただろ」


 その声と共に、連絡網メールを読みながら、ケイコは一瞬何かの冗談かと疑った。

 だが、耳から聞こえてくる担任の切羽詰まった声色は、とても冗談や演技で出るようなものではなく、緊迫したものだった。


「か、カリンが……?」

「C組の四谷の事もあって、今とても神経質になっているんだ。何か知っている事はないか。今日は下校してから二木はどうすると言っていた?」

「え、……学校で別れてからは、もう、別々に帰りました……し、試験だし、勉強しなくちゃって……」

「本当か……?」

「本当ですッ!!」


 ケイコは半ばヒステリック気味に叫んでしまった。自分でも今、信じ切れていないのである。


「一条、次の連絡先に電話を回してくれ。急で重要なことだと、きちんと伝えるんだ。二木の事を知っている者は、学校にすぐに連絡を入れる事と、伝えろ。分かったな。それから念のために言っておくが、落ち着くんだぞ。間違っても二木を捜そうなんて考えるなよ」


 そう言って、担任の教師は慌ただしく電話を切った。まだ色々と関係各所に連絡や、カリンの捜索などをしなくてはならないためだろう。

 電話が切れた後、ケイコはそのままどうしていいのか、困惑していた。

 だが、まだ部屋の入口で待っていた母親が、「ケイコ」と名前を呼んで、ハっと動き出した。

 そのまま、次の連絡先に、二木カリンの事を連絡する。相手はやはりカリンの事を知らないと言い、三番目の連絡網に伝えると言って電話を終えた。


 母親が心配してケイコを覗き込むが、ケイコは何も言えずに子機を母親に手渡した。

 母親は「きっと大丈夫だから」と気休めの言葉を投げかけて、ケイコの部屋から離れた。


 と、同時に今度はスマホがバイブレーションした。

 着信の相手は千原ミドリだった。


「ケイコ!! カリンがっ!!」

 悲痛な叫びがスピーカーから響いた。ミドリは完全に慌てふためいているようで、正常とは言えない取り乱しっぷりだった。

 ケイコ自身も混乱していたが、ミドリの慌てっぷりを聞いて、少し客観的に落ち着くことができた。


「ミドリ、落ち着いて。先生たちも動いてくれてる。きっとカリンの両親が心配して学校に掛け合ったんだよ。大丈夫だって……」

「カリン、別れた時、なんか言ってなかった? どこに行くとか!? 下校の後、家に戻ってないみたいなんだよ!」

「ミドリッ! 落ち着けよ!! お前と電話してちゃ、カリンのスマホに電話もできないだろ!!」

「電話なら、したッ! アタシがもうしたよ! でも、電源が切られてるか電波が届かないってアナが聞こえるだけなんだよ!!」


 ミドリは、配信されたメールをすぐに確認してからすぐにカリンへの連絡を試したようだった。

 だが、その結果は更に不安をあおる事態になったようだ。ほとんどミドリは泣いているような声であった。自分が落ち着かなければ、とケイコはできる限り冷静になろうと、一度呼吸を整え、ミドリに告げた。


「電話、切ろう。チャットで話そう。ナノとも連絡できるし。もしかしたら、カリンから連絡がくるかもしれないだろ」

「あ……! う、うん、そうだな! き、切るね」

 ミドリはそう言って通話を切り、ケイコもすぐさまチャットを立ち上げる。

 そこにはカリンからの書き込みなどはなかった。が、ナノがチャットを書き込んでいた。


「みんな! 電話がつながらないよ!!」


 ナノも事態を把握しているようで、チャットの字面からも困惑しているのが伝わった。


「カリンのことで、ミドリと電話してた。ゴメン」

「カリン、どこに行ったか、誰か知らないの?!」

「わたし思い当たる事がある!」


 ナノのチャットに、ケイコとミドリは同時に打ち込んでいた。


「「なに?」」


「みんなと別れたあと、実はカリンちゃんからわたしに電話があったの。話したいことがあるって」


 ケイコはそんな事があったなど知らなかった。てっきりナノもカリンもまっすぐ帰ったと思っていたからだ。おそらく、ミドリだってそう考えただろう。


「話ってなんだよ!?」

「四谷ココロのことだった。なんだか普段のカリンちゃんとは様子が違って見えたの」

「なんで、四谷さんのことでナノと話になるの?」

 ミドリの質問はもっともだったが、ケイコはなんとなく察していた。ナノが昔四谷ココロと交流があったことを。

 それにカリンも気が付いたのだろう。それでナノに連絡を取ったのだろうが、だが、なぜカリンが四谷ココロを気にしていたのか不明だった。


「それはまた今度話すから。カリンちゃんに問い詰めたら、ココロちゃんの事を気にしてるんじゃなくて、八房先生の事を気にしてたみたいで」

「八房って、C組の担任だな。捕まったんだろ」

「そう。カリンちゃん……先生の事が好きだったみたいなの」


 ケイコはその話を目にしながら、カリンの様子が変だったことなど、まるで気にもしてなかった。自分からすると、カリンはいつも通りだったし、八房が好きだという素振りを見たことがなかったからだ。


「じゃあ、まさかカリンは八房に会いに行ったんじゃ?」

「かもしれない」

「八房ってどこにいるんだ」

「警察だと思う。この辺りだとN署が一番近いかも」


 憶測でしかないが、現状分かっている事はこのくらいだ。


「その話、先生に伝えて」

「先生に……伝えて大丈夫かな」

「どういう意味だよ」


 ケイコがナノの知っている話をすぐに学校側に入れるように促したが、ナノは学校への連絡をなぜか渋っているようだった。

 ケイコは知りえない事だが、ナノは『教師』と言うものに不信感を抱いていた。その事が、重要な情報を学校に伝えるべきなのかを悩ませていたのだ。

 また、都合の悪い情報はもみ消されるのではないかと想像したためだ。


「アタシ、N署まで行ってみる」

「は? バカ、出るなって言われたろ」

 ミドリが猪突猛進な行動を示すので、ケイコももう半ば焦りを隠すこともできず、ミドリを否定した。


「だって、やばいよ! アタシ、後悔はしたくない。何もしないでいるのが怖いんだよ!」

「今出て行って、あんたまで居なくなったらカリンの捜索がもっと躓くだろうが!」

「やめてよ、ケンカしてる場合じゃないよ!」


 ナノの仲裁で、ミドリもケイコも熱くなっている頭を少し冷ました。だが、ミドリはやはりこう考えた。


 ――やりたいことだとか、やりたくないことじゃない。やらなきゃいけないことがあるのだと。

 何もしないという事がミドリを不安にさせるばかりだった。

 今までのように現実逃避にふけって、なんとかなると楽観視できるものならそうしたい。

 だが、これは目を背けてはならない事なのだ。間違えば取り返しが付かなくなる事なのだから。


「アタシ、カリンの事、周りに聞き込みに行く」

「だからダメだって!」

 ケイコは無謀な行為を止めようと頭ごなしに否定したが、ミドリはすぐに切り返した。


「アニキに連絡する。アニキと一緒だから大丈夫。じゃ、行く!」


 ミドリはそう告げて、チャットアプリを一度落とした。

 今、兄のマサオは外出しているようだった。ちょうどいい、そのまま外でカリンの情報集めに協力してもらおうと考えた。


 ミドリはすぐにマサオに電話を入れる。

 物の数コールで、兄とつながった。


「アニキ! 今どこ!?」

「あ、え? お前から電話してくるとか珍しいな」

「うるせえ! いまどこだよって聞いてんだ!!」

「……お前のほうがうるせえよ。今、N駅付近だよ、もうすぐ帰るから夕飯は――」

「N駅!? ビンゴじゃん! そこに居て!!」

「はぁ!? なんだよ、ちょっと説明しろ」

 ミドリはもう電話をしながら、外出の準備が整っていた。玄関先で靴を履きながら、不幸中の幸いともいうべき、兄の現在地に声を一つ高くした。

「アタシ、今からそっち行くから。アタシの友達が行方不明なの、もしかしたら、N駅だかN署付近にいるかもしれないの!」

「……行方不明って……例の事件のか?」

 今まで妹から連絡なんてなかったし、こんなに取り乱している妹の声を聴いたのも初めてだった。マサオはそんな妹の声をただ、素直に聞き入れた。

「だから、お願い、アニキ! 助けて……! アタシの友達がさらわれたかもしれないんだっ……!」

「分かった。おちつけ、僕もお前が来るまで近くで聞き込みしてみるから。なんて子だ?」

「ありがと……! 名前は二木カリン。同じ学年の女の子。写真、メールで送るから待ってて!」

 そう言うと、ミドリからの通話は早々に切れた。と、思いきやすぐにスマホがバイブして、メールの着信を告げた。そのまま着信メールに添付された画像を確認した。

 それは女子高生が恥ずかしそうな表情でピースしている写真で、なんだか無理やり妹に取らされたみたいな状況を物語っていた。


「……この子か……」

 マサオはその写真の女の子を見て、あれ、と画像を見返した。

 ――どこかで見た気がする……?


 妹の友達だから、一度くらいは会っているか? いや、違う。そういうのではない。

 この恥ずかしそうにはにかむ少女は、雰囲気こそまるで違うが、つい先ほど駐車場で遭遇した女子高生で間違いない――。あの奇妙な『妖怪』に関する少女だ。


 マサオは、考えた。

 あの少女とは、駐車場でもみあいになったのち、桂男と名乗るエイリアンが気絶させたような形となった。

 その時、自分は桂男を追うために、その少女を置き去りにしてしまうことになったが、運よくそこには刑事もいたから、彼に少女の事を任せたのだ。


 ――それからどうなったのか知らない。

 きちんとあの刑事が少女を保護したのなら、『行方不明にはならない』はずだ。

 だとしたら、どういう状況ならあの女子高生が行方不明になるというのか。


 そんな事はいくらでも想像できそうだが、カギを握るのはあの刑事だ。たしか、名前を三井と言った。だが、連絡先が分からない。警察まで行けば取り次げるだろうか?

 ともかく、妹が来るまでは駅の周辺で聞き込みをしておこう。そう考えて、マサオは今しがた届いたスマホの画像をもとに、駅で聞き込みを開始した――。


 ――一方、ケイコはこの状況に苛立っていた。

 なぜ、こんなにも日常が乱されてしまうのか――、と。

 ただ、ごく普通に毎日を過ごしていられたらそれでいいと慎ましく願っているだけなのに、事件が日常を壊してしまう。


「どうしろっていうのよ!」

 ミドリの最後のチャット履歴のテキストを見て、ケイコは思わず怒鳴った。

 友人であるカリンへの不安が徐々に大きくなっていき、ケイコは精神を揺さぶられてしまい、脚が震えてしまう。

 もし、カリンまで四谷ココロのように殺されてしまったら、一体どうなるのだろう。

 友人が殺されるだなんて、そんなのドラマとかマンガじゃないか。まるで現実味がない。

 ――違う。現実味がないのではない。現実に隠れる恐怖から目隠しをして生きて来ただけだ。

 だって、私はただ平凡な一日を過ごせていればいいから、危ない橋を渡ることはしないし、態々この世の闇を見て心を汚す必要もない。


 でも、世界は完全な滅菌状態ではないと見せつけるように、ケイコの前に津波の如く立ちふさがる。


「カリン……。どこにいるのよ……。なんでいなくなってるのよぉ……」

 ケイコは自室で体を崩して、子供みたいに泣き出した。どうしていいかわからないという精神が、現実のストレスを発散させるためだけに、泣きじゃくる。

 何もできない。泣くしかできない。私はただの高校生なのだから――。

 でも、ミドリは動き出した。友達が危険な目に遭っているかもしれないと考えると、じっとしていられないのは同じだ。

 しかし、だからと言って何ができる。

 情報なんて、N署付近にいるかもしれないという曖昧な情報だけじゃないか――。


 自室で動けないでいる自分がなんだか急に情けなく思えてきた。

 ミドリは友達のために動き出した。ナノだってカリンの悩みを聞いていた。

 私は何もしていない。泣いているだけじゃないか。こんな私は友達だなんて呼べない。


 ケイコの心が軋みを上げて崩れかけていると、自室の扉がまたも無造作に開かれた。

 また母親かと思ったが、そこにやってきたのは、十文字ナノだった。


「な、ナノ……」

「ケイコちゃん。助けなくちゃだめだよ。わたし達が動かなきゃ、きっと後で後悔する」

「だ、だって……」

「わたし、もう、無視するのは嫌なの。ケイコちゃん、一緒に行こう」

 ナノの雰囲気はいつものマイペースでのんびりとしたものではなかった。何かの覚悟を決めたような凄みすら滲ませて、これまでいつも手を引いてやっていた幼馴染が別人のように見えた。

 逆にケイコは、普段さばさばと大人びて見せていたのに、いざ不測の事態に陥ると、こうも狼狽えるばかりで何もできなくなってしまう――。キモが座っていないのだ。


 ――オレ、男でよかったー――。


 どこかで聞いた無神経な声がなぜかケイコの脳裏に響いた。

 あの男子生徒と、今の自分は同じに思えた。危うきに近寄らず、という生き方は間違っていない。だが、ケイコのそれは、ただの厄介払いに過ぎなかったのだとこの局面で思い知った。

 危うきに近寄らずを貫いていようとも、誰にだってクライマックスの場面は訪れるものなのだ。

 これまでその場を逃げで誤魔化してきていたケイコには、いざと言う時の心構えがまるで出来ていなかったのだ。


 未だ立ち上がれず、涙をこぼすケイコに手が差し伸べられた。ナノの掌はなんだかとても逞しく見えた。


 その時、スマホのチャットに着信が入り、ミドリからのメッセージが表示された。


「カリンを見たって! アニキが!!」


 その連絡に、ナノもケイコも驚いた。なんという僥倖なのか――。

 偶然――?

 その時、誰もがそう思った。


 なんという偶然だろう、と――。

 だが、これはシンクロニシティと呼ぶには、あまりにも多くの意思が絡まりあっていた。

 これはそれぞれが、社会に向かって歩み、動いた小さな勇気の結果なのだ。


 引力は、確かに存在する。

 それは、人の意識の奥底でリンクする。自分自身も気が付かない集団の無意識が、働きかける結果だった。


 転がり続ける運命は、とても小さく、とても眩い奇蹟を生む――。

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