一霊四魂①

 千原マサオは目の前に現れた男に仰天した。

 恋い焦がれる百田サクラの願いを聞くため、調べまわった結果、事件の容疑者として逮捕された八房という教師が、N警察署の留置所にいることまでは突き止める事ができたため、そこへやってきた直後のことだった。

 担当だと言って現れた男は、雨の日に、今隣にいるサクラに迫っていた男であり、レストランで出会ったあの男だったからだ。

 マサオは、彼がサクラのストーカーなのだろうと思い込んでいたが、男は、刑事の三井ツカサと名乗り、れっきとした警部補であることが分かった。

 同時に、サクラが此度あった殺人事件の第一発見者であることを、その三井の口から説明され、色々とちぐはぐに絡まっていた歯車が正常に回るような感覚がした。


 やはり、今回も自分の独りよがりの勘違いだったのだと、マサオは肩を落としたが、自分の手を握るサクラが、まるで三井から隠れるように、自分に身を寄せるのを見て、彼はなけなしの男気を前に出した。


「僕たち、八房さんに面会したいんですが……」

「なるほど、百田さんも第一発見者ですから、事件の犯人が気になりますもんね。でもね、八房との面会は許されないんですよ。すまないね」

「そ、そこをなんとかっ」

 サクラが不安げな顔をマサオに向けるので、マサオは無理やりにでも食い下がろうと、三井刑事に詰め寄った。

 三井はそんなマサオの事をやれやれと分かりやすい仕草を交えて首を振る。


「だめだって、言ってるでしょう。ほら、帰った帰った」

 そう言って、マサオの肩に手を回し、帰そうとするが、三井はそのままマサオと、サクラの間にそっと顔を寄せて、かすれる程小さな声でつぶやいた。


「……教えてやるよ……」


 その声にマサオはぞくりとしたが、ここで揉めていても、八房には会えないだろう。大人しく彼に従うふりをして促されるまま、マサオは回れ右をして警察署から出ていく。

 そのすぐ後ろに追い払うような態度をみせつつ、三井が付いてきて、マサオとサクラの前を通り過ぎていく。

 その折に、軽く顎を引いたのを見たマサオは、彼が『ついてこい』と言っているのだと理解した。マサオは相変わらず不安な顔をしているサクラの手を引いて、結局その三井の後にこっそりと続く形になったのである。


 ――やがて辿り着いたのは、駐車場だった。

 まばらに車が止まっているが、人気は妙に少なかった。まるで人払いでもされているかのような奇妙な違和感すら感じる静けさではあったが、その停車している車の一台に三井が乗っているのを見付けた。

 マサオは少しばかり躊躇したが、そこまで行くと、運転席に座る三井が窓を軽く開いて、「乗って」と言った。


 マサオは意を決して、後部座席にサクラと共に乗り込んだ。

「ちょっとここじゃまずいから、場所をかえさせてくれ」

 そう言って、三井刑事が車を出した。マサオはちらりとサクラの顔を見たが、サクラは不安がっているのか、やけに落ち着きなく周囲を警戒するように窓の外を見ていた。

 しばらく車が走ると、走行中に三井とバックミラー超しに目が合った。


「あの、教えてくれるって……」

「ああ、教えてやる。でも、こっちも知りたいことがあるんだ。ギブアンドテイクと行こうぜ」

 三井はそう言って視線をサクラの方へ視線を動かした。サクラは変わらず窓の外を見ていた。


「僕らは、あの刑務所に八房さんがいるかを知りたいんですけど……」

「ああ、居るよ」

「そ、そうなんですか。できれば会いたいんですが」

「待ってよ。こっちの質問の番だ。キミ、百田さんとどういう関係なの」

「え、いや、関係と言われても……。知人、です。同じ、大学なんです」

「ふぅん、それだけ?」

「……はい……それだけです……」

 なんだか、『それだけ』というのがマサオは悲しくて、尻切れトンボになった。


「じゃあ、その隣の彼女が、百田サクラじゃないってことは、理解しているのか?」

「…………え?」

 三井の温度を感じさせないような口調と共に、良く分からない事を聞かれたマサオはきょとんとしてしまった。だが、その隣に座っていたサクラが外を見ていた瞳をぐいと正面に動かして、露骨な反応をした。明らかに動揺していると分かる反応だった。


「百田さん……。いや、百田さんにソックリな、あなた。一体、誰なんですか?」

「……」

 サクラは正面を向いたまま固まったように口を一文字に閉じた。

 マサオはそんな隣の女性を見つめ、頭の混乱を整理させようと必死だった。


「え? 百田さんじゃ……ない、わけない、よね……?」

「……」

 だんまりを続けるサクラそっくりの何者かはどこからどう見ても、百田サクラに瓜二つ……と言うよりもまったく同じとしか言えない。例え双子だったとしても、ここまでそっくりにはならない。だから、マサオは隣の百田サクラが違う人物だなんて考えられなかった。


「黙ってても、分かるんですよ。オレには。今日はいい匂いがしていますよ」

「に、ニオい?」

 くん、と鼻を動かしても、いい匂いというのにはピンとこなかった。


「あなたが、四谷ココロを殺した犯人だね」

 三井は端的にそう言うと、車を停車させた。そして、後ろを振り向いて、じっと百田サクラに擬態している何者かを睨みつけていた。

 そこはなんだか奇妙に薄暗くて小さなビルの合間にあるパーキングエリアで、やはり、人の気配が全くしない。

 マサオは、事態が飲み込めず、三井とサクラを見比べるばかりだった。

 サクラの姿をした何者かは、衝撃のあまり身を固めてしまっているのか、正面を向いたまままるで石膏像のように固まっていた。


「う、嘘だろ、百田さんだよ。この人は! 殺人犯じゃないっ」

 マサオがほとんど悲鳴のように叫んだ。


「……!!」

 その声の大きさに反応したかに見えた偽サクラは、肩を大きく震わせ、可憐な唇を開いた。

 その視線は、正面に座る三井を過ぎ去った先にあった――。


 偽サクラの反応を怪訝に思った三井が視線を前に戻すと、なんといつの間にかそこにはセーラー服姿の女子高生が佇んでいた。

 その制服はM高校のもので、つけているタイの色から二年生だと判別できた。


「い、いつのまに?」

 三井が驚くも、今はこんな少女にかまっている場合ではないと考えて追い払おうと考えた時、女子高生が口を開いた。


「見つけたぞ。桂男」

「ッ――!!」

 その声を聞いた途端、偽サクラは驚きの速さで車から飛び出した。


「なっ!? 逃がすかッ!」

 三井もその反応に車から躍り出た。

 事態について行けないマサオだけがぽつんと車に残る形になった。

 車から飛び出た偽サクラは、そのまま駆けだそうとするも、ガクンとその場に膝を落としてしまう。まるで駆けだそうとした足が持ち上がらずに、もつれ転んだようだった。

 地面に身体を引っ張られているように、もがく偽サクラの前に、女子高生が立ちふさがった。


「もう、逃がさぬ。悪いがおぬしの重力耐性のなさを突かせてもらったよ」

「ぐうっ……」

 苦しみもがく偽サクラの様子を見て、はっとなったマサオもようやく車を降りて、サクラに駆け寄ろうとしたが、女子高生が厳しく鋭い声で「寄るなッ」と恫喝するように言ったので、マサオはそこでがちんと固まってしまう。

 三井も状況が理解できず、様子見をするように、地面に這いつくばる偽サクラと、正面で立ちふさがる女子高生を見比べるばかりだった。


 マサオは、この状況に、助けを求めてきたサクラの言葉を思い返していた。

 追われていると言っていた彼女は、あれからずっと周囲を気にしているようだった。あまり人目に付かないように、昨日はサクラと共にラブホテルに泊まり、一夜を過ごした。最もなにかあったということはなかったが、その折も、彼女はずっと警戒をしていたので、よほどの者に追われているのだろうと、マサオ自身も内心ビクついていた。


 その追手が――この女子高生だというのか?

 あまりにも意外だった。よくよく見ればあの制服はマサオの妹が通う高校のものだし、少女自身の見た目はどこか垢抜けない大人しそうな少女だった。

 しかし、先ほど飛んできた圧のある声は、ただの女子高生が張り上げるにしてはパワーがあった。


「人払いをかけていたが、妖気にあてられた者たちには十分効果を出せなかったようだな」

 女子高生がそう言うと、三井とマサオをじろりと睨む。


「よ、妖気って……」

「おいおい、キミ。もしやと思うが、そのモモタサクラの正体を知ってるのかな?」

 三井が女子高生の方に声をかけつつ、ゆっくりと歩を進めた。

 女子高生は、三井を威圧するように片手を向けて掌を広げる。それ以上寄るな、という意味らしい。


「どちらにせよ、お主等は全員記憶を修正せねばならぬ。どうせならば教えてやろう。こやつは妖怪、桂男。モモタサクラという女性の姿を模倣しているだけの月のエイリアンだ」


 マサオは、正直ギャグか中二病かのどちらかと思った。妖怪? 月のエイリアン? あまりにもむちゃくちゃな設定だ。妖怪なら妖怪、宇宙人なら宇宙人で統一しろと突っ込みたくなった。

 三井も同様に目の前の少女の言葉を鼻で笑いそうになるが、一理あるとすれば、百田サクラの模倣という点では彼女の言い分は的を射ているのだ。あながちすべてが嘘や妄想の産物とも言えないように思えた。


「桂男よ。観念し、自白せよ。命までは取らずにおいてやるぞ」

 その上からの言葉に、桂男は歯噛みしながら、この事態を抜け出す機会を探る。

 相手の油断を作るしかないと、桂男は観念したように自白を始めた。


「そうだ。この姿は地球人を模倣した姿だ。私は桂男。月の妖怪だ」

「なぜその女を模倣した。我ら妖怪は、この世に住まう人間に化けるにしても、コピーはせぬぞ。瓜二つが並び立てばすぐに異常が発覚するからな」

「わ、私には、地球人の姿がすべて同じに見える。ち、違いが分からないから、一番知る人間を模倣しただけのこと」

 女子高生に憑く狐火は、なるほどと合点していた。実のところ、狐火もアメリカ人の顔の区別がつかないのだ。それと似たようなものだろう。しかし、一番知る人間というのは気になった。


「一番知る人間とは? なぜ、その娘を知った?」

「三年ほど昔の話だ。とある娘が月に祈るのを聞き受けた。娘の寿命と引き換えに、その願いを叶えるのが、私の役割だ」

「それで」

 まだ狐火は警戒を解かない。どうやら今日は最新の注意をもって任務に当たっているのだろう。先の襲撃の折に己を戒めたということかと桂男は内心焦りだしていた。


「……三年前、ある娘が恋路を邪魔した友人を妬み恨んだ。そして、月にこう祈った。『友人の百田サクラを苦しめたい』と。我はその願いを聞き、娘の寿命を頂いて、百田サクラをつけ回し、精神を追い込んで見せた」

「三年前の……ストーカー事件……?」

 桂男の告白に、反応したのは三井だった。

 脳裏に、今の話に結びつく情報が浮かんだのだ。

 それは、かつて百田サクラがストーカーに遭っていたという情報に他ならない。そしてもう一つ――。恋路に恨みつらみを持った三年前の少女の話は、三井の中に鮮明に残っていた。


(オレの最初のエモノだ――)

 月夜の晩、ふらふらとドラッグでもやっているのか、焦点の定まらぬ瞳で、一人の少女が現れた。その娘を見ていると、自分の中の殺意がぞくぞくと湧き上がってくるようだったのだ。

 三井はそれがなぜだか分からなかったが、それは寿命を吸われた娘が、死に場所のつじつまをつけるために引き合った、奇妙な引力に他ならない。

 つまり、百田サクラの友人は、桂男に願いを叶えてもらった代わりに、己の寿命を奪われて、運命の終わりの場を求めていたのだ。

 そこに、三井の異常な性癖が反応し、引力を生んだ。三井はその娘を人知れずに連れ帰り、自宅に監禁しては弄んだのである。

 ここに来て、三井は、自分の持つ引力の理由が分かったような気がしていた。理解よりも先に納得したような感覚だった。


 満月の晩、なぜか無性に人を殺したくなる。そして願えば殺されたい少女が寄ってくる。

 それはつまり、満月の晩、月に祈った娘が桂男に寿命を吸われて、死に場所を求めていたのを三井が拾い集めていたということになる。


「なるほど、べとべとさんが犯人ではなく、お主があの事件の犯人だったか」

 狐火も、三年前の事件が腑に落ちたらしく桂男の告白に頷いた。そして、桂男がなぜ八房を狙い追っていたのかも同時に分かった。


「八房を狙ったのも、乙女の願いだな? 四谷ココロか」

 その質問に、桂男はすぐに返答しなかった。暫しの間の後、重く吐き出した。

「……そうだ。四谷ココロの最期の願いだ」

「最期だと。最期を与えたのはお主だろう」

「違う。私が四谷ココロに出会ったとき、彼女の寿命はもう尽きていた」

「なに?」

「彼女は、自殺を図っていた。とあるビルの屋上から飛び降り、彼女は死ぬはずだった。それを地球に落ちてきた私が救ってしまったのだ」

 狐火は桂男のその告白には、すぐに理解が追い付かなかった。

 だが、もう十分だ。話しはまた組織の中でじっくりと聞き出すこともできるだろう。

 こちらの役目はもう妖怪犯罪が広まらぬように桂男を捕まえることなのだから。

 重力をかける術で抑え込み、桂男を完全に封じ込めようと、縛術法を符呪したお札で桂男を封印するべく、火狐はいよいよ桂男にお札を張ろうと動いた。


「あとは組織で話を聞く。すまぬが、おとなしく眠ってもらうぞ!」

 妖力を札に込め封印を振り下ろさんとした時だった。


「ワァァァッ!」

 横から雄叫びと共に、マサオが狐火に向かって突進してきたのだ。

 狐火は油断のならぬ相手として、桂男と、刑事をマークしていたが、この頼りなさげな青年が行動を起こすとは予想外だった。

 マサオはそのまま女子高生の身体に組み付いて、勢いのままもつれ込んだ。途端、桂男を押し付けていた重力が解放され、桂男が立ち上がる。


「莫迦者ッ!? 邪魔をするな! 分かっておらんのか! アヤツはヒトクイ妖怪なのだぞ!」

 マサオが作ったその隙は桂男にとって、あまりにも大きなチャンスとなった。

 マサオともみ合いになった結果、狐火が持っていたお札はその手から離れてしまい、無造作に駐車場のコンクリの上に舞い落ちた。桂男はそれを拾うと、マサオが抑え込む狐火へと向けた。


「何ッ、よせッ――」

 桂男はその声を無視して、狐火の胸元に振り下ろした。すると、肉体を覆う妖気をお札が封じ、狐火は急激に意識が遠のいていくのを感じた。

 二木カリンの身体に宿る獣憑きの霊力が眠りにつき、そして、ただの女子高生となったカリンの肉体が、そこに脱力して横たわる。急な封印の結果、宿主のカリンの意識も眠りに落ちたままの状態となったのだ。

 大人しくなった女子高生の動きに、マサオは慌ててその身をはがして立ち上がった。

 薄れていく意識の中、どうにか懸命にカリンの無事を祈り続けた狐火は、またしてもしてやられてしまった。人間相手には手出しができないという条件が、狐火をたじろがせてしまったのだ。


 薄れる意識の中、マサオと桂男は、その場から駆け出して行った。恐らく八房の元へと向かったのだろう。

 何やら、三井に向かってマサオが叫ぶように頼んでいた。先を行く桂男は弱り切った身体に鞭を打ち、かけていく。

 マサオはどうやら、三井に倒れてしまった女子高生の事を頼んだらしい。三井はそれに頷いた。返事を受けて、マサオは全力で桂男を追いかけた。

 そして、後に残ったのは、不気味な笑みを浮かべる三井と、完全に意識を失ったカリンのみとなったのである――。

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