ニギミタマ④ ~二十三日~
ニュースから悲しい報せが流れても、人は普段を維持するために、その心を揺らす事なんてない。
遠い国の誰かが死んだと報じられたって、その人の頭の中にどれほど残るものだろうか。それが私は寂しくも思う。
そして、それは私にだって該当するのだ。
四谷ココロという隣のクラスの女の子が亡くなったと聞いて、もちろんショックは受けた。
でも、それは四谷さんに対して可哀そうだとか、酷いとかを抱いたわけではなく、身近で起こった事件に、自分が巻き込まれないだろうかという不安と恐怖からくるものでしかない。
私だって、結局はこの社会の中で生きているただの女の子にすぎない。
面識の無い人の死に、どれほど感情を動かされるものだろうか。私も、寂しい人の中の一人なのだ。
だから、私自身は考える。もし、私は死んでしまう事があれば、どれだけの人の心に影響をあたえるのだろうか、と。
人は、きっと亡くなった後にこそ、その人の価値がはっきりとするのではないだろうか。
その人の死が、どれだけ多くの人々の心を動かすかが、人の価値の秤になるのだろうと思う。
――私が死んでも、きっと、そんなに影響を受ける人はいない――。
漠然とだが、私はそう思っていた。
それはもちろん、親や親族は悲しんでくれるだろう。もちろん、友人もそうだ。
でもそれがクラスメートになったら? 隣のクラスになったら? 隣の町になったら? 隣の国になったら……?
そう考えていくと、自分の影響力が与える範囲なんて、本当にちっぽけなものだろう。
何より、私は自分自身の事が、どうでもいいとすら感じてしまう瞬間があるのだ。もしかしたら、私が死んでもどうでもいいと思う人は多いかもしれない。
――私は、幼いころからふとした瞬間に、記憶が飛んでいるという事が多発していた。
今、何をしていたんだっけ。どうしてここに来ているんだっけ。誰と話をしたんだっけ。
時折ぼんやりとしてしまう自分を、私は我ながらに、いい加減な人間だと卑下していた。だから、私は自然と口調と態度が一歩引いたものになってしまう。
きっと、怖いのだ……。
自分の意識がはっきりとしない状態で、他人と絡み合う事が。
私はまるで境界線をつくるように、多くの人から一歩引いたところに自分を置く。
だから、そんな私が死んでしまっても、もしかしたら気が付いてすらもらえないかもしれない。
今、自分がどうしてここにいるのか良く分からない。また、やってしまったのだ。
夢遊病という病気があることは知っている。私はひょっとすると、それを患っているのかもしれない。あまりにも頻度が高いと日常生活に支障が出る。
特にこの試験前一週間あたりは酷かった。
勉強疲れのせいかもしれないと自分に言い聞かせてきたが、流石にこの状況は酷すぎると思った。
完全に記憶が欠落していて、まっくらで狭い場所に押し込められている状態なのだ。身動き自体は取れるのだが、狭い空間に身体を折り曲げているような状態で横になっていた。
今、何時だろうと左手の時計を見ると、暗闇ながらに時刻を確認できた。
それを見て、私は怪訝な顔をしてしまう。時計は現在午前零時を示していた。つまり、夜中の零時だ。そんな時刻に私は今、どこにいるんだろう。
記憶をハッキリと持たない自分が本当に怖いと感じてしまう。
自分の記憶がない間、私は一体何をしていたのだろうか。もしかしたら、例の殺人事件の犯人は、私なのではないだろうか。
記憶がない間、私は自分が何をしていたのかさっぱり分からない。だから、知らずに誰かを襲ってしまっていたという可能性だってあるのだ。
もう一度、時計を確認する。
現在、時刻零時過ぎ。日付をまたいだばかりだ。六月二十三日、日曜日だ。
最後の記憶を手繰り寄せると、それは下校するところまでだった。
土曜日だったから、昼には学校も終わって、来週の月曜からテストだ。テスト勉強のために、みんな早く帰ろうといつものメンバーとお別れをしたのだって思い出せた。
だが、その後の記憶がまるでない――。
ここまで露骨なのは生まれて初めてだった。半日は記憶がないのだ。あまりにも恐ろしい。私は、いよいよ状況に対して焦りを覚えてきた。
これはいつものボンヤリどころの状態じゃない。
身を起こそうとして、頭をぶつけた。非常に狭い空間だ。
「なに、これ……」
状況が飲み込めない。
なんとかこの場から出ようともがくが、狭いこの暗闇の場は身体を起こすこともできない程度なのだ。
私は適当にあたりの壁を探り出した。壁はなんだか歪で凸凹していた。そして、上の天井に当たる部分はステンレスのような手触りだった。
コンコンと叩くと、妙に音が反響するように、ごんごんと重く音が響いた。
「……お、落ち着かないと……」
まずは状況を把握しなくてはならない。
まず、服を確認した。制服姿をしている。つまり、私は家に帰っていないのだろう。この時計の時刻が本当なら、こんな夜遅くまで帰っていないことに、親が心配しているかもしれない――。
――そう考えて、本当に心配するのだろうか。と思いなおした。
私は、いつも曖昧で、自分の事すらしっかり覚えていないのに、他人が私の事を気に掛けるだろうか。
私が行方不明だと報道されたとして、どれほどの人が心配してくれるのだろう。
もしかしたら、私はずっとここで独りのまま死んでいくのかもしれない。そんな風に考えてぞっとした。
誰かが私の事を心配してくれているはずだと、そう考えても、この寂しい世界において、誰ほどの人が他人の私を気にかけるのだろう?
意識のない間の私が何をしていたかを気にしてくれる人が、この街にいるのだろうか。
答えは出なかった。
がたん。
「……?」
音がした。外側からだ。
かちん。また音だ。カギが外れるような音だった。
がちり。
「!!」
天井が開いた。
「あ、起きてたか。気分はどうかな」
男性の声だった。全く聞いたことがない男性の声だ。天井だと思っていたのは蓋のようだった。
私が混乱している頭のまま、身体を起こしてやっと自分がどこにいたのか把握した。
どうやら私は車のトランクの中にいたのだ。
目の前には、男性がにこにこと笑顔を作って見下ろしていた。
「あ、あの……」
私は、状況が分からずに探るようにそう声を出した。
男性はなんだかとてもにこにことしていて、嬉しそうに見えた。とても機嫌がよさそうで人当たりのよさそうな印象を受けた。
「ええと、M高校二年の二木カリンちゃんであってるよね」
「え……」
「生徒手帳に書いていたよ」
「あ……」
いつも胸ポケットに入っている生徒手帳が抜き取られていて、その男性の手元にあった。
「なんだか、ずいぶんきょとんとしてるけど、大丈夫かな? 夕方のこと、覚えてる?」
「ゆうがた……?」
ぼんやりする頭を必死に叩くが、それでも夕方のことなんて全く思い出せなかった。私はお昼以降、学校が終わってから何をしていたんだろう……。
「あー、やっぱりぼんやりしてるね。まいったなあ、きちんと話をしたかったんだけど」
男性は困ったように頭をかいた。なんだかちょっと演技っぽく見えた。
でも、話から察するに、私は夕方この人と会って、それから何かあったらしい……。
そして、状況が分かってくるにつれ、私は危機感が膨れ上がって来た。
そもそも、私は記憶以前の問題として、なぜ車のトランクに押し込まれていたのだろう。
人をトランクに入れておく状況なんて、あんまりない。
私が思いつく限り、たった一つ――。
誘拐だ――。
「ひ……」
私は想像して一気に恐怖が心を染め上げた。この目の前の男性が私を車に押し込んでいたのだとしたら、この男は誘拐犯ということになる。
「あ、いいねその顔。楽しめそうだよ」
にんまりと笑う見知らぬ男性は、口の端から涎を垂らした。そして鼻の孔を膨らませ、私を値踏みするように覗き込む……。
「ちょっとよく分かってないようだから、教えてあげると、キミはこれからボクの玩具になります」
「ぃ、ぃゃ……」
もう擦れた声しか出せない。
何でこんな状態になっているの? 誰か助けて――。それだけが頭にぐるぐる回りだして、まともに思考することなどできなくなった。
「あっ、自己紹介が遅れたね。ボクは、巷で噂の連続少女失踪事件の犯人さ」
まるでピエロみたいに、コミカルに挨拶をする男は終始笑顔だった。それがかえって不気味で、私はもうトランクの中で身を震わせるしかできなかった。
スカートのポケットを確認してもスマホもない。私が気絶している間、持ち物は奪われているようだった。
「あ、でもね。失踪事件ってコトになってるけど、実際のところ、いなくなった女の子たち、みんな死んじゃってるから」
呼吸ができない。ひ、ひ、と喉の奥から、ひきつった声が出てくるばかりで私は酸欠で目の前が真っ暗になりかけた。青い顔で涙をこぼす私を見て、相手の男は口の端から垂らしていた涎をぺろりと舌なめずりする。
まるで、こちらを美味しそうな料理のように見ている様子だった。
「まぁ、つまり、ボクを端的に表現するとなると……」
男の顔が私の目の前にぐいと迫って来た。私の震える瞳を覗き込む濁った黒目が、私の心臓を鷲掴みにするようだった。
「殺人鬼ってところかな」
どうしてこんな事に――。そんな後悔はもう遅い。
殺人鬼と名乗った男は私の髪を乱暴につかむと、その苦悶に歪んだ私の頬をぺろりと舐めた。私が零した涙を舐めとったのだ。
ぞわぞわと恐怖と共に、気色悪さで鳥肌が立つ。
私は自分のこの曖昧な記憶が心底許せなかった。もっと私がしっかりしていればこうはならなかったのに――。
私も、あの四谷ココロ同様に殺されるんだ。
こわい、こわいよ……。
どうして誰も助けに来ないの? 私がいつも陰に隠れていたから? いなくなっても誰も気が付かないの?
分かっていたことじゃないか。私はそういう人間なんだと――。
だが、それにしたってあまりの仕打ちだ。これが私の罪に対する罰なのだとしたら、神様というものを許せない。
怯える私に気をよくした殺人鬼は、工具箱のようなものを持っていた。その中には、目に入れたくなかった様々な道具があった。
男がその中から回転ドリルを選んだ。
トリガーを引くと、ギュウウウウンと嫌な機械音を立てて、鉄のクギのような螺旋のドリルが回転する――。
「じゃあ、いっぱい声上げるんだよ。誰も来ないから」
眼前に、眼球に、その先が迫りくる――。狂気の舞台が幕を開く――。
その時、私が思ったのは、死んだあと私のニュースはどれだけの人の心に残るのだろうということだった――。
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