クシミタマ④ ~二十二日・新月~

 六月二十二日、土曜日。新月――。


 土曜というのは、好都合だった。

 その日、学校は午前中で終わり、来週の試験に備えるために友人たちも大人しく帰宅する流れとなる。

 カリンも同様に、自宅にまっすぐ帰るところであったが、我は友人と別れたのちに、その意識を拝借させてもらった。


 己の状態を確認して、我は妖力が普段よりも落ち込んでいる事を歯がゆく感じた。どうやら、先の遭遇戦のダメージはまだ癒えていないようだ。だが、もうジッとしているわけにはいかない状況になってしまった。

 うかつだった我は、切り札として用意していた罠をすでに使用してしまったからだ。

 そして、一度は強く感じた桂男の気配も新月の晩が近づくにつれ、徐々に感知できなくなっていったのだ。月明かりの少ないこの日こそ、桂男がもっとも、気配を殺して活動できる格好のタイミングだろうと考えていた。


 もはや油断はせぬ。あちらとて、これまで以上に警戒をしているだろうが、情報網ならばこちらが上だ。

 あれから、妖怪たちには百田サクラを探すように連絡を広めている。もちろん、本物の百田サクラも、桂男もどちらもマークしていた。

 本物の百田サクラは、おそらく今駅付近にいるほうだ。あまりにも普段通りに過ごしている。もう一人、百田サクラがどこかに潜んでいるはずなのだ。

 だが、それは全く見つからなかった。妖気を感じないため、地道に偽サクラと思しき者を探すしかないが、我には一つ、思い当たるふしがあったのだ。

 こうして、桂男が百田サクラに擬態していると知ってから、改めて思い返したのが、ケイコとナノが話していた校門に現れた白い亡霊のような女の話だった。

 その話を、今朝ケイコに訊ねた処、ケイコはあまり気乗りしない様子ではあったが、その女性の人相を細かく教えてくれた。

 おそらくそれは百田サクラに化けた桂男で間違いないと思われた。

 たしか、校門前に現れた桂男は教室を指さして、確認をしていたという。


 ――なぜ、教室を確認していたのだろう。

 ケイコの話では、奴は二-Cを指さしていたらしいとのことだ。まさに今、渦中にある二-Cは被害者の娘のクラスであり、逮捕された担任のクラスでもある。

 二-Cに何の用事があったというのだろう……。


 我はスマホを取り出した。この件に関して、何かを知っているらしい友人がいるからだ。

 それは一文字ナノに他ならない。

 ナノは、当初、ミドリがチャットで何気なく聞いた『四谷ココロ』に関して何か知っているかと言う問いかけに、「知らない」と答えていた。

 だがその後、校門前の幽霊の話題の折に、彼女はうっかりとこぼしてしまったのだ。

 ミドリが「もしかして四谷さんの幽霊?」と呟いた際、「ココロちゃんじゃないよ、違う人」と言ったのだ。

 それは四谷ココロを知っていなければ出てこない言葉だろう。おそらく、ナノは、何らかの理由で四谷ココロの事を知っているが、話題にはできずにいたのだろう。

 隠しているところ申し訳ないが、今は緊急事態なのだ。すまんが、ナノには協力をしてもらうよりない。


 我はスマホの通話を開始し、ナノに電話を掛けた。もちろん、カリンを装って。


「はーい、どしたの?」

 妙に明るい挨拶と共にナノの声が受話器から響いた。

「あの、分かれたばかりでごめんなさい。どうしても話したいことがあって……」

「うん? なに?」

「できれば、会って話したいんですけど……」

「え? うん……平気だけど……わたしもう、駅のほうまで来ちゃってるよー?」

「じゃあ、いつものカラオケで待ち合せませんか?」

「わかったー。先に入ってるね」


 そのやり取りでナノは通話を切った。何の疑いもないようで、とりあえずはほっとした。そして、我は颯爽と、跳躍し風の如く駆けた。駅まで行くことなど、容易いものだ。

 程なくして我はカラオケにやって来た。入口のロビーまで行くと、カリンは常連のためか受付の若者がすんなりとナノが待っている部屋を教えてくれた。

 207号室に入ると、ナノが歌っている最中だった。ナノはなかなか歌が上手い。カリンも実は並み以上に上手いので、我は内心歌手に向いておるのではないかとも思っている。これは親ばかならぬ宿主ばかだと、昔雲外鏡に笑われたことがあるが我は本気でそう思っている。


「あっ、早かったね~」

 ナノはこちらが部屋に入ると、マイクを手に声をかけた。

 音量の大きな音楽が流れる中、我はソファに腰を下ろして、ナノにひとつお辞儀をした。

 途中であったカラオケの音を止め、ナノはマイクを切って同様に腰かける。


「なに、改まった感じだけど……? 勉強のこと?」

「あ、いえ。その……そうではなくて、……聞きたいことがあって。四谷ココロさんのことで」

「…………!」

 ナノは驚いたような顔をしてカリンの顔を見つめ返した。明らかに動揺している様子で、また、こちらのことを意外だとも感じたらしく、困惑しているようでもあった。


「ど、どうして? どういうこと?」

 ナノはキョドってしまいそうになるのを取り繕おうとしたようだが、失敗したようだ。

 まさか、カリンがこのように突っ込んだ話題をしてくるとは思っていなかったためだろう。


「知ってますよね。ナノちゃんは、ココロさんのこと」

「……な、なんでそう思うの?」

 疑うナノの言葉に、こちらは、あのチャットで感じた違和感を伝えてやると、ナノはどうしようか悩んだ結果、打ち明けてくれることを選択したようだった。


「……そっか、バレちゃったんだね。……まぁ、もう変に隠すのも、やめにしようと思ってたし。いいよ。ココロちゃんのこと、教えてあげる。……でも、どうしてカリンちゃんがココロちゃんのこと、気にしているの?」

「それは……」

「ただの興味本位なら教えない。ちゃんとした理由があるなら、わたしが知ってること、全部話すよ」

 どう対応するべきなのか、我は少し悩んだ。

 まさか、妖怪が殺人をしたので、追いかけているとは言えない。

「先生が……ココロちゃんを殺したなんて思えなくて……」

 そんな風に返した。相手の出方を図る意図もあったのだが、ナノは普段の柔和な態度からは想像がつかないほど、固い表情でこちらを見返したのである。


「カリンちゃん、八房先生のこと、どういう人か知ってるの?」

「や、優しい先生だって……」

「だめだよ!!」

 ナノの張り上げた声に、我は驚かされてしまった。普段のナノを知っているからこそ、その反応に度肝を抜かれたのだ。

「八房先生は、優しい人じゃない。ココロちゃんのこと、無視したんだよ。知ってたのに、無視したんだよ!」

「ど、どういうことですか……?」

「……わたし……ココロちゃんとは、中学校の頃、仲が良かったんだ……」


 そんな独白のような言葉から、ナノは四谷ココロの事を語ってくれた。

 かつて、友人であり、やがて疎遠となったこと。

 ある日、彼女と八房の情事をみてしまったこと、それを誰にも言えなかったことなどだ。


「八房……先生が、ココロちゃんと、……お付き合いしていたんですか?」

「本当のところは分かんない……。でも、わたしね、実は昨日、ココロちゃんの家に行ってきたの。ずっと怖くて行けなかったけど、それじゃわたしも先生と同じだと思って、ちゃんとココロちゃんに向き合ってきた」

「そう、でしたか……」

「ココロちゃんのお母さんが、わたしのこと、覚えてて、それで少しお話して……。どうしてココロちゃんが吹奏楽部に入ったのか知ってるかおばさんに聞いたんだ。……ココロちゃん、吹奏楽部の顧問の先生のことが、好きだったみたいなの」

「えっ!? じゃあ、八房先生は……!?」


 ココロが八房を思っていたのではなく、部の顧問に好意を寄せていたのだとすると……八房とのことは……。


「どういう事情でそうなったのか分からない。でも、ココロちゃんは、好きじゃない人に身体をもてあそばれたんだって、分かった……。八房先生が、酷い人なんだって、分かったの……」

「ナノちゃん……」

 ナノはもう、嗚咽を隠しきれずに、ぼろぼろと大きな涙をこぼしていた。

 それは恐らく後悔の涙だろう。彼女は、自分がもっと早くココロに手を差し伸べていれば、この事態を避ける事が出来たかもしれないと考えているのだろう。

 我は、泣きじゃくる少女を抱きしめることくらいしかできなかった。彼女の記憶をいじることで、その後悔を消すこともできるが、それは恐らく、無を呼び、空虚を生むばかりとなるだろう。

 ナノがその心の傷を糧とすることで、彼女が人一倍優しい少女に育つことを願った。


「わたし、刑事の人に、ここのカラオケで打ち明けたの。八房先生がココロちゃんを抱いているところを見たって。そしたら、刑事の人が、おじさんの刑事に、『じゃあ、妊娠の相手は担任ですよ!』って言ってたのを聞いて……わたし、ココロちゃんが妊娠までしてたんだって知ったの」


 ……なんと酷な話だろうか。随分とその刑事もデリカシーがないものだ。

 だが……それは我にはこれ以上ない収穫となった。


 奴は、妊娠していた娘の子宮を喰ったのだ……。

 先日、偽サクラはフラフラとどこかへと向かっている様子だった。何かを求め、探している様子だった。

 それは恐らく――。


「ねえ、カリンちゃん。もしかして、カリンちゃん、八房先生のことが好きだったの?」

「えっ、ど、どうしてですか?」

「だって、普段大人しいカリンちゃんが、こんなこと、聞いてくるんだもん。よっぽどなんだろうなって思って……」

 違う、と否定しておくべきだったのかもしれないが、そこで否定するとじゃあ、どうしてこんな質問をしたのかと問われることになりかねない。

 適当に話を合わせておいたほうがいいだろうと、我はただ静かに頷いた。


「じゃあ、やめたほうがいいって分かったよね。先生、人でなしなんだって分かったでしょ? ココロちゃんを殺したのもきっと……!」

「ナノ」


 それ以上は口に出すべきではないと、我はナノの唇に指先を押し付けた。彼女の気持ちは分かるが、我には殺人犯が別にいる事を分かっている。八房という教師は確かにろくでなしではあるが、人でなしではない。

 我はそう思う。それは人間を愛おしいと思う妖怪としての目線からのものであり、人間であるナノに理解させようとは思わない。

 少女のナノからすれば、ココロを汚した八房は許せる存在ではないだろう。だが、その憎悪を無駄に広げてはならない。ココロの死はつらいものだが、憎しみで真実を捻じ曲げて考える事は、思想に悪影響を与えるからだ。


「辛い事、話させて……すみませんでした」

「……ん……こっちもごめん。ほんとは、ずっと誰かに言いたかった……打ち明けたかったのかも……。カリンちゃんが聞いてくれるなんて思わなかったけど」

「大丈夫ですか?」

「うん、だいじょうぶ。わたしはみんなが笑っていられる世界が好き。だから、わたしはみんなの事、好きだって思ってる。思いたいんだ……」

「……その思いやりが広がる世界を私も求めているよ」


 我は目の前の少女を抱き、その頭を撫でた。このような時代にありながら、健気に生きようとする娘に少しでも幸があるようにと。

 四魂を形成するニギミタマとアラミタマ。そしてクシミタマに、サチミタマ。人の精神が生み出すそれは、いつしか直霊と呼ばれる存在へと生まれ変わり、この世を楽園に導いていくだろう。

 冷たい世界にしてはならないと、我はこの少女の温かい思いに救われていた。

 人間は美しいのだ。

 このように、我ら妖怪は、いつも彼らを羨むのである。


 桂男の目的が分かった。我は決戦に赴くため、その後、ナノを送ってから跳躍するのであった――。

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