クシミタマ③ ~二十日~

 六月二十日、新月まで残り二日という状況だった。現在は夜の八時前――。

 二木カリンは自宅で夕食を食べ終えて机に向かっている最中、自分のスマホが着信音を奏でたので画面を覗き込んだ。


「お前彼氏とかいんの?」

 というチャットメッセージに何事かと思った宿主のカリンは送り主であるミドリに返信した。

 それから簡単なやりとりをしていると、家族からお風呂に入りなさいと促されて、カリンは洗面所にやってきた。

 楽な部屋着を脱いで籠に放り込むと、洗面所の鏡には下着姿のカリンが映し出された。それからブラのホックを外そうと後ろに手を回した時、鏡の中のカリンはショーツの方に手をかけているのをみて、我はすぐさま宿主の意識を乗っ取った。


「おい、雲外鏡」

「や、狐火。ほんと、可愛らしい姿だね」

「この助兵衛が。何用か?」

「ちょっと気になる話を仕入れたんだ。桂男のヒントになるかもしれないと思ってね」

「なんだ?」

 我は下着姿のままに、洗面所の鏡に向かって声を落として訊ねた。こちらも準備は整えているが、情報は多いに越したことはない。


「情報元はべとべとさんからなんだが――」


 ――そう前置きをして語りだした雲外鏡。

 べとべとさんというのは、妖怪の名前だ。『べとべとさん』までが名前なので、呼ぶときは『べとべとさん』さん、とかになる。最も今のべとべとさんは、人間社会に紛れる姿として、幼い女の子の姿を取るため、『べとべとさん』ちゃん、と呼ぶことが多い。

 べとべとさんは、チカラの強い妖怪とは言えず、組織に加わって侘しく生きている妖怪だ。やることも、悪戯レベルのもので、夜な夜な、人の後ろに張り付いて歩き脅かすだけ、というものだ。

 最近は、べとべとさんの悪戯さえも妖怪のせいという事にならず、『ストーカー』として処理されるため、べとべとさんは弱り果てていた。


「実は、数年前ちょっとしたストーカー事件があったらしい。それには妖怪が関わっている可能性があるってことで、組織が調査をしていたんだ」

「ふぅん」

 その件は我の担当していないものだ。我の担当は主に殺人やチカラのある妖怪相手の仕事が多く、ちょっとしたイザコザを起こす程度の妖怪犯罪は別の妖怪が担当している。

「その事件は、とある少女を何者かがつけまわしているという事で、警察に相談が入ったことが発端だったんだが、警察の捜査ではそれらしい人物は発見できなかったらしい。そこで『怪察』の方にも話が舞い込んだってわけだ」

 怪察こと、ケーサツは警視庁の地下にあるれっきとした公安の一部で、主に妖怪事件を取り扱うための機関である。その存在は、ごく一部にしか知られておらず、警視庁に努める人間の中に入り込んだ妖怪が、空間を捻じ曲げて作った妖怪警察なのだ。

 事件は警視庁に集まることから、妖怪事件の情報をいち早く集めるには、そういう機関に入り込むことも必要なのだ。たしか、責任者はぬらりひょんだったと記憶している。

 どうやらその数年前に発生したストーカー事件が妖怪がらみの可能性があると、ケーサツが判断し、調査が行われたのだろう。


「その犯人候補にべとべとさんが挙がったんだが、その後の調査でべとべとさんにはアリバイがある事が分かり、結局ストーカー事件はうやむやになってしまったようだ」

「それで、今回の事件とのつながりは?」

「うん、満月や月に関することで気になる事があれば教えてくれと、妖怪たちに伝えておいたが、べとべとさんがね、その時の事件の事を思い出して教えてくれたんだ」

 べとべとさんが言うには、そのアリバイの証明となったのが、友人の妖怪であるオバリヨンと共に飲み会をやっていたからと言う話だったが、その時、綺麗な満月を眺めながら酒の肴にしていたという。

 つまり、そのストーカー事件も此度の事件同様に、満月の夜の話だったというのだ。

 それだけなら、たまたまかもしれないと考えるが、参考資料として提出された少女の後ろ姿を撮った写真を分析したところ、どれも満月の夜の写真だったというのだ。

 そして特徴的な部分として、その写真には満月は映っていなかったという。まるで、満月の出ている方角からカメラを少女の背に向けて撮ったような構図だったわけだ。


「一連の写真がすべて満月の夜のモノだったというのは、奇妙だな」

「うん。それでべとべとさんが、気にしていたのを今回伝えてくれたわけだ」

「桂男がその少女をストーカーしていたというのか?」

「桂男は、月のエイリアンであるけれど、乙女が月に祈ることが妖怪の存在価値になっている。桂男が乙女を見つめていたんじゃあべこべだね」

「……その、ストーカー事件の被害者の少女は分かっているんだろう」

「まぁね。名前は百田サクラ。現在十九歳の大学生。……そして、ここからがキモなんだが……」

 わざとらしいポーズを決めて、下着姿のカリンの雲外鏡はもったいぶって見せた。

 正直、うら若き少女が半裸でずっといることにあまりいい気がしなかったので、我は雲外鏡に、「早よう」と急かして睨んだ。


「……今回の殺人事件の第一発見者が、どういうわけか、その百田サクラだって話。どう? これ、きな臭いよね。あ、うさん臭いの間違いか?」

「なるほど、ケーサツの調べ、助かると伝えてくれ。あとべとべとさんにもな」

「頼むよ、実行役として、あとは君に頼るほかない」


 狐の妖怪である我は、稲荷信仰のために、昨今でもそれなりの妖気を保つことのできる戦闘可能な妖怪だ。情報はほぼ出そろった。あとは桂男を捕まえるなり、消滅させるなりする必要がある。つまり、実力行使となるわけだ。

 裏方のサポートから、我の本格的な仕事に移り変わる。

 雲外鏡が消えた事を、鏡に映る己の姿で確認して、我は下着をすべて脱ぎ、湯船へと浸かった。そして、ゆっくりと意識を沈めると、カリンはぼんやり意識を取り戻し、風呂に入ってぼぅっとしてしまったと認識する。


「彼氏かぁ……」


 カリンは、ぼうっとそんな事を考えながら、湯船に肩まで使って、身を脱力させた。

 ミドリのチャットの事を気にしているのだろう。カリンとて年頃の乙女だ。気になっている男性はいるのだが、それはまだ誰にも言えていない。


「カリンー、いつまで入ってんのー」

 母親の声だ。はっとしたカリンは気が付かずに長風呂をしていたのだと思い、身体や髪を洗うのだった。


(済まぬな。カリンよ。今宵も暫し、身体を借りるぞ)


 我は悩み多き少女の身体を好きに使う事に詫びを入れ、今夜、調査のために街へ繰り出そうと計画した。カリンが寝静まっての三時ごろになるだろう。

 調査対象は百田サクラ。どうやら、彼女は何か鍵を握っている可能性が高い。


 風呂から上がったカリンは、そのまま自室で勉学をしながら、仲間とのチャットをして、その夜を過ごした。試験は来週かららしく、カリンは若干追い込みをかけるために、長い間起きていた。

 酷使した身体に鞭を打たせて申し訳ないところだが、彼女がベッドでまどろんだのを確認するとともに、我は行動を開始した。


 自室の窓を開き、高く跳躍する。彼女の身体に負担を残さぬように、妖気で身を包み、その姿はまさに狐火として浮かび上がる。今日は雨が降っておらず、煩わしいものは何もない。


 この時、我は先入観があったことを認めざるを得ない。

 標的は桂男。イケメンであり、女性を狙うという情報から、此度の標的は、『男』だと思い込んでいたのだ。男の姿をしている妖怪だと我は決めつけてしまっていた。


「……百田サクラ」

 我は雲外鏡が見せてくれた百田サクラの人相を思い返しながら、もう一つの調査対象であるカリンの学校の教師も調べなくてはならぬと並行して考えていた。

 注意散漫という状況が生んだ、油断――。


 百田サクラが住むアパートまで跳躍していた時だ。

 そのアパートに到着する以前に、我はその目標を発見した。


 ――妙な?

 現在、午前三時半。

 この時間に出歩く女などそういるものでもない。だが百田サクラは、今、ふらふらとした足取りで自宅とはまるで方向の違う道を歩いていたのだ。


 かなりサクラの自宅からは離れた処にいた。どこを目指しているのか分からないが、まるで当てもなく彷徨う根なし草のようであった。

 我は悩んだ末、その百田サクラに接触しようと、彼女の傍に降り立った。表向きはただの少女を演じ、物陰から顔を出す。


「今晩は」

 カリンとて高校生であるため、こんな時間に一人でふらりと姿を見せるのはおかしな話だが、それは相手とて同じこと。相手がまともならば、女子高生であるカリンの姿に心配をかけるだろう。

 まずは挨拶をして近づいた。

 街頭がスポットライトのように、カリンをその場に浮かび上がらせたようにも見えたかもしれない。


「!? …………ッ」

 こちらの姿を確認したサクラは、酷く驚愕した。とっさに身構え、態勢を低くとったのを見て、こちらもハっとした。


「『組織』の妖怪か……!」

「何ッ……おぬし、まさか!?」


 こちらが動くよりも先に、あちらが速く動いた。カリンを気遣うあまりに、妖気を纏わせていたことが相手にアドバンテージを与えてしまっていた。

 モモタサクラのナニカは、指先を鋭く閃かせて爪を発射した。まるで弾丸のように高速の回転が加えられすさまじい速さで撃ちだされた。


「ッ――」

 我はとっさに身をひるがえし、それを躱す。抉る爪の弾丸――。


「それで娘をほじくったかッ!」

「死・ね!」

 周囲に一気に妖気が膨れ上がり、己が張り巡らせた妖怪アンテナがビシビシと空気を振動させる。

 組織に属しない妖怪を発見するための仕掛けだったものが、それを発動させる以前に鉢合わせをしたことで無意味な振動を伝えてくるのが苛立たしかった。


 飛び道具がある相手は、そのまま指先をこちらへと向け、ツメを発射してくる。

 我はそれを掌から火球を生み出し、焼却してみせると、相手は表情を険しくした。


「くそ、身体が重い……」

「なるほど、おぬしが桂男だな。月から来たせいで地球の重力に馴染んでおらんのか」

「捕まるわけにはいかない、悪いがお前をどうあっても殺すしかない」

「そうか、こちらとしては話を聞きたいんでな。できれば、穏便に捕まってほしいところだったが、残念だ」


 桂男の髪がぐねりと動き、そしてそのまま蛇のようにこちらに襲い掛かって来た。

 焼いてしまえばいいと我は火炎を発生させて両手をかざす。掌から放たれた炎の舌が桂男の髪の毛に纏わり焼き尽くすかと思われたが、それは本物の髪の毛ではなく、桂男が化けている、妖怪の体の一部だ。妖気のチカラの差が術に勝れば、それは物ともせずにこちらに食い掛ってくる。

 黒い髪の毛が我に巻き付き、身動きを封じた。四肢は捕らえられ、そのまま引きちぎらんとする力で締め上げてくる。


 こちらの動きを封じたことで勝利を確信でもしたのか、桂男は我が火炎の術の中からゆっくりと姿を現して右手を構えた。手刀のように指をそろえ、こちらにその剣先を向けた。

 あのままこちらに向けて突きが繰り出されればどんなパワーで肉を抉られるか分からない。

 カリンの身体を傷つけられても霊魂である狐火の我を止めることはできないが、我はカリンの肉体を傷つけたくはない。それが我が動物憑きの誇りなのだ。

 人との共存を求める以上、人を傷つけてはならぬ。それが我が組織の絶対の掟だ。


「使うには早かったが、喰らっておけ!」

 我は事前に張り巡らせていた妖気の網が振動するのを利用し、そこに捕縛の術を発動させた。

 この街を覆う結界内にまき散らしておいた我が妖気に反応し、空気が弾けるように、妖力の小爆発が発生すると、そこには極小の穴が生み出される。それは妖怪に対する強烈な引力を生み、アヤカシを吸い込むマイクロ・ブラックホールなのだ。


「ウゥッ!」

 これに捕縛されれば逃げる事ができる妖怪などいない。


「観念せい! 臨める兵、闘う者、皆陣をはり列をつくって、前に在り!」

 そのまま九字を切る。

「行けぃッ!」

 封印が強まり、引力を生む黒穴が桂男を引き寄せる。穴からは不気味な触手が伸びてきて、桂男を捕らえるために襲い掛かる。

 囂々と空気が騒ぎ、邪気を貪るその様は妖怪ならば誰もが恐怖する存在を喰らう悪食である。


「グギイッ!」

 嫌な叫び声を響かせた桂男はなんと、その身体を自ら真っ二つにした。

 手刀を作った右手で己の腹から下を切断したのだ。


 すると、桂男の下半身が暗黒の触手にからめとられてそのまま穴に吸い込まれていき、我が捕縛の術はその契約を終え、収束する。


「トカゲのしっぽ切りか!」

 見た目は百田サクラではあるが、相手は妖怪であり、しかも月のエイリアンなのだ。こちらの持つ想像を超えた行動を行った。上半身だけの桂男は苦悶の表情を浮かべ、そのまま浮き上がっていた。

 こちらの驚愕の隙をつき、桂男はまたこちらに爪を向けた。


 ――またアレか! と、弾丸の爪に備えようと身構えたが、それはフェイクであろうことか、眼球から光線を発射してきたのだ。

 ビシュルルッ!!

 爪の射撃は牽制射撃だったのだと思い知った。爪弾丸など比べ物にならぬスピードと力を兼ね備えた怪光線が、一瞬にして、我が身に直撃していた。


「ウグッ、んぁああぁあ――っ!?」


 怪光線に直撃すると、それはスパークを放ち、我が身の妖気に纏わりついてすさまじいシビレを生み出した。

 妖怪対策の妖術だ。あちらもそれなりに準備はしていたということだろう。強力な麻痺の術を身体に受け、我はその場でのたうち回った。

 カリンの身を防ぐために纏っていた妖気の衣を引き裂き、無防備な少女の肉体を虐める前に、我は対抗術をくみ上げて、エイリアンの妖術から抜け出した。


「ぐうっ、はぁはぁっ……! に、逃げおったかっ……!」

 流石にエイリアン妖怪だ。想像以上の実力をもっているらしい。今の状況でこうも強いというのに、満月ならばどれほどのものかとぞっとする。

 どうにか麻痺の術から抜け出したが、すでに桂男はその場から完全に気配を消していた。

 半身を奪うだけの損害を与えたとはいえ、相手のチカラの強大さに自分の妖気がずいぶん消耗してしまっていると分かった。


「あ、あれだけの傷を負わせたのだ……相手も同じ気持ちであると思いたいが……」

 思わぬ遭遇戦で互いに驚き戸惑ったままの口火だったが、初戦は引き分けというところだろう。

 我は、残る妖気を集中させ、今は引くしかないと追跡をあきらめた。これ以上はカリンの肉体に負担がかかるためだ。

 相手は地球の重力に参っている様子だった。こちらも、人の身を気遣わなければならぬハンデがあるので、状況は五分五分だろうか。


「……百田サクラ……過去の事件も調べる必要があるな……」

 なぜ、あの姿を模しているのか。桂男の目的が気になった。

 人間に化けるなら、すでにいる人間を模倣するのは辞めたほうがいい。なぜなら、まったく同じ人間が二人いることがすでに不自然だからだ。そういった存在はドッペルゲンガーとして、真っ先にマークされる。

 だから、人に化ける妖怪は、人間の姿を模倣はしない。だが、桂男は完全にサクラのコピーをしている。

 それはなぜなのか……?

 さらにもう一つ、胸に引っかかるものがあった。


「――あやつ、どこへ向かっていたのだ――?」


 それはどれだけ考えても、その時は答えが見つからなかった。

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