クシミタマ② ~十八日~
「カツラオトコ?」
我は思わず聞き返した。あまり馴染みのない名前だったからだ。
「そ、桂男。妖怪、月のアヤカシ。エイリアン、宇宙人。イケメン。女たらし」
ツラツラと単語を並べる妖怪の情報屋である雲外鏡は、我の出した情報から今回の騒動を引き起こした妖怪を言い当てた。
我はトイレで、鏡に向かって腕を組み考え込む。すると、鏡の中の自分は腕組みなどせずに、盛大に欠伸をした。
「ふぁー……寝ずに調べたし、間違いないよ」
鏡に映る我の姿は眠そうに言った。それこそが雲外鏡であり、鏡に憑く妖怪、付喪神の一種であった。ビジネスパートナーとして我が捜査に協力している雲外鏡は昔からの付き合いのため、気さくに話せる関係をしていた。
その雲外鏡の情報は正確であり、妖怪の知識は信頼のおけるものだ。別に雲外鏡を疑っているわけではないが、エイリアンと言われてしまうと、眉をひそめてしまう。
「どういうヤツだ?」
「桂男は、月の妖怪で、かなりのイケメンなんだよ。夜な夜な、女の子が乙女心を月に映してお願いするのを聞いては、いやらしい目でその娘を見つめ返す。やがて、月に祈った女性は、月の虜になっていき、桂男に寿命を削られ食われるんだって」
「……月の妖怪が直接こっちまでやってきたと云うのか」
大人しく月からこっちを見下ろしていればいいのに、わざわざ出向いて食事をしに来たのは、こちら側にとっては厭客と呼ぶよりない。
「満月の夜に干渉してきたことも、月のチカラが十分発揮できるからじゃないかな。逆に言うと、月がかげるほど、桂男は身をくらます事が行いやすい」
「月の影響か。だとしたら、新月が最も桂男が身を隠し動ける絶好の機会ということか」
「子宮を喰ったというのも、女性の象徴であり、命を作る寿命の根っことも言える」
雲外鏡は補足して情報の整合性を高める。我もその言葉に頷いて、そして同時に時間が経つほど不利になると考えた。
月が明るく出ていれば桂男の気配はつかみやすくなるだろうが、月が見えなくなるほどに、気配は薄れていくのだ。満月から日付が廻れば、月は徐々に欠けていく。新月ともなれば、完全に桂男の気配が消えてしまう恐れもあった。
「月の周期……。次の新月はあとどのくらいだ?」
満月の晩、すなわち九日からもう九日は経過しているのだが、歯がゆくも目標である桂男の気配はつかめていない。雲外鏡に調査依頼を出しておいたが、それも随分と手間取らせたようで、今日になってやっと正体が判明したのである。
「新月は六月二十二日、土曜日。つまり後、四日後になるかな」
「二十二日か……ヤツが次の食事を行う絶好の機会ということだな……」
「現行犯で抑えるつもり?」
「網ははっている。行動に移るタイミングが分かれば仕掛けやすい」
これまでに己の領域には妖気を振りまき、縄張りを示すように存在を示してきた。それは単にこちらの縄張りで好きな事をするなという警告だけにはとどまらない。己の妖気に触れたアヤカシがいれば、我が監視に引っかかる。これを桂男が警戒しているのは分かっているが、この街に住む妖怪は我一人なわけではない。
数多の下等妖怪や霊魂がその網を使って我に知らせを寄越すようにしている。
捜査とは結局のところ、数なので、一般市民(ヨウカイ)の協力が不可欠なのだ。そのあたりは妖怪も人間も変わらないというのはなんとも皮肉なことだ。
「情報助かる」
「なに、等価交換さ。で、第一世代の妖怪人間のほうはどうかな」
「その、妖怪人間という呼称は確定なのか。好みじゃないんだが」
「いいじゃないか。昭和臭くて」
ニタリと笑う鏡の中の自分を見つめ返して、我は少しだけ眉をしかめて見せる。
言った通りで『妖怪人間』という響きが好みじゃなかった。
雲外鏡の言う『妖怪人間』とは、我ら組織がこの先の社会に馴染んでいく為の一大計画、人間との完全なる同居生活の足掛けとなる共存計画から生まれた人間と妖怪の間の子である。
と言っても、妖怪と人間の間で子をなすわけではなく、人間の胎児に妖怪の種を埋め込んでみるという実験であった。
妖怪は、子作りなどをしない。人間の認識が生み出した空想が消えずに残る限りは妖怪は世界に残り続けるし、また生まれ続けもする。
しかし、今という時代において、それでは妖怪は滅亡するより他になかった。年々人間の妖怪に対する信仰は失われつつあり、数多の妖怪がその力を失い始めているわけだ。
そういった妖怪をまとめて、組織を作ったわけだが、妖怪という種を存続させるためには、人間を利用するしかないため、なんとか人間に空想と信仰を強く持たせるための影響力を与えやすい存在を生み出す必要性があった。
そのための、第一世代として、生まれた妖怪人間がこの街に暮らしている。無事に成長した妖怪人間は現在十六歳の少女であり、特殊な影響力を周囲に与える個体として本人の知らぬところで効果を見せていた。
その少女は人間の持つ、集合的無意識を強く反応させる影響力があり、周囲の人間の無意識をコントロールできるほどであった。
分かりやすく言うと、つまり妖怪人間が念じた事柄や、想像や空想したこと、それに願いや祈りが、実現しやすい状況を組み立てることができるのだ。
例えば、妖怪人間が平和を望めば、どれだけ周囲に争い事があろうとも、徐々にそれは角を落とすように丸みを帯び、人の心を変容させていく。すると、争おうとしていた感情を持った人間が徐々に闘争心を無くしていくのだ。
逆に、妖怪人間が毎日を退屈だと思えば、周囲にどんどん問題が発生するようになる。やがて、波乱に満ちた世界が妖怪人間を包むという具合だ。
最初は非日常や、超常現象を否定する人間も多かろうが、妖怪人間が周囲の人間に、異常を信じるように伝搬させれば、種の根源にある集合的無意識が矛盾を自動的に修正するように働きかける。
この実験が成功であれば、妖怪人間が空想することで、日常は非日常を受け入れるようになり、妖怪は社会に馴染んでいくという計画となっている。
まだ個体数の少ない妖怪人間だが、いずれは数を増やしヒトとアヤカシが共に暮らせる世になるであろう。
妖怪人間自身も知らぬ内に、この世を作り替えていくのだ。
「先日、お前にも見せた通り。普通の少女として生活している」
「何か精神的な異常はないかな?」
「ないな。彼女自身は健全な精神を持ち、日々を平穏に人並みの幸せを享受するように暮らしている」
「精神汚染にだけは気を付けてくれ」
一大計画の実験都市として選ばれたこの街を管理する結界によって、妖怪人間計画は順調に進んでいるのだ。それを乱す波紋を投じた月の妖怪だけが現状気がかりではある。
「例の事件のせいでざわついた周囲を気にして、平穏を望みながらも異変を楽しむという矛盾を抱えているせいか、学校周辺は無意識が揺らいでいるが」
「なるほどね。矛盾か……。妖怪人間自身の脳波に影響がなくても、周囲の人間になんらかの異常が生まれるかもしれないな」
「事件を早々に沈静化させれば、また退屈な日常が出来上がるだろう」
我はそう言い、桂男なる月の妖怪を早急に捕縛せねばならぬと意思を固めなおした。
トイレから出ると己の意識をゆっくりと海に沈めるように消していく。そうすると、宿主の意識がぼんやりと立ち上がってくる。
宿主は何気なく用を足した事を自覚する。こちらは、完全に意識を遮断することなく、宿主の様子を窺うことも可能なので、宿主が何か奇妙さを感じたらすぐに記憶の修正を行うつもりでいた。
スマホを取り出すと、チャットアプリを開いて、何か連絡が来ていたことに気が付いたらしい。
アプリを開くと、仲間のメッセージチャットが続いていて、自分はその流れに乗りそびれてしまっていたことにハっとなる。
「ちょっとニュース見てよ!!」
そんな一言目から始まっていた。
続くチャットは「勉強しろ」という突っ込みであった。
現在時刻、六月十八日。九時半――。
宿主はチャットのニュースの事が気になったのか、スマホを操作し、ネットのニュース記事の最新情報を確認した。
そして、酷く驚いたらしい。
その記事の見出しはこうだった。
――女子高生殺人事件、容疑者として担任の教師を逮捕――。
「えっ」
宿主は驚愕の声を零した。
我も内心、「ほぉ」と興味を持った。女子高生殺人事件の犯人は妖怪桂男なのだから。その容疑者として教師を捕らえたというのであれば、その担任教師が桂男の可能性があるからだ。
宿主はニュース記事をざっと見て、チャットアプリに戻った。
「C組の担任って、八房先生ですよね」
宿主はそう打った。
「あの先生、すげえ優しいって評判だったけど」
返してきたのは友人の千原ミドリという少女だ。
「人は見かけによらないんだねー」
続いてメッセージが表示されたのは十文字ナノというこちらも友人の一人である。
「まだ、容疑者ってだけでしょ。犯人かどうかは分かんない」
冷静な判断をするのが一条ケイコ。
「明日、学校どうなるんでしょうか」
宿主である二木カリンは不安げにそう打ち込んだ。
彼女はいつも、丁寧語で遠慮気味に会話する。それはチャットの文面だって変わらない。
二木カリンは、自分が時折ボンヤリとしてしまうクセがあると自覚していたから、よく人の話を中途半端に聞いていたり、反応が遅れたりすることがあったため、気を付けているものの、人とのコミュニケーションに関して、一歩引くようなスタンスを作るようになった。
それは我に憑かれているため、そういう状況を生み出してしまったのが申し訳なくも思うが、こちらとしても宿主をほいほいと乗り換える事は出来ないため、受け入れてもらうしかない。
どうしても、友人に対して遠慮がちに話しかける事が増えて、いつしか彼女は丁寧語が標準語になったのだ。
「休みにならないかなあ」
ナノがマイペースにそんな事を言う。
「ていうか、試験も中止にならないかな」
「いやいや、気にするとこそこかよ」
「……なんだか怖いですね」
カリンは心底怯えたようにそう打ち込んだ。すぐ傍の教師が殺人事件の容疑者として逮捕されたのだから当然の感覚だろう。
「なんで容疑者に上がったんだろ」
ミドリが完全に勉強をそっちのけでニュースの話題を広げだした。
「ニュースじゃ何も言ってないよねー」
「ねえ、もしかしてあの女の人のことじゃない?」
「えー? あの女の人って朝の?」
ケイコの言ったあの女と言うのを、カリンは分からなかった。我もその話は初耳で何のことかと『あの女』に興味がわいてしまった。
「なんですか、それ。詳しく聞きたいです」
思わず自分の意思がにじみ出てカリンに伝わってしまったのかもしれない。普段のカリンならこうまで食いつかないだろうに、チャットのテキストにも意思が見えるほどに反応してしまった。
やがてそれに返したのはケイコだった。
「今朝、学校の校門にやつれた白い肌の女性が立ってたの。みんななんだろうって怪しみながら校門をくぐってたんだけど……」
「私も見たよー。ぼーっと立ってると思ったら、なんだか校舎の方を指さしてたの」
続いて回答したのがナノだった。更にケイコが補足していく。
「そう。で、何してるんだって私気になってさ、指の先を追ったんだけど、どうも二‐Cを指さしてるみたいだったんだよ」
「なにそれ、コワッ」
反応したのはミドリだった。どうやら彼女もその話は知らなかったようだ。
カリンが登校する前にあった出来事だったのだろう。
「で、先生たちが警告に来るかもって思ってたら、まるで煙みたいに消えちゃったんだよね」
ケイコが不思議だったとメッセージを打ち込んだ後、ナノも同調して返事をする。
「お化けみたいだよねー」
「もしかして四谷さんの幽霊?」
ぞっとでもしたのか豊かな空想を膨らませ、ミドリがそんなことを言う。が、すぐさまナノが否定した。
「ココロちゃんじゃないよ、全然違う人~」
「なんだよー、じゃあなんで指さしてたんだろな」
そのやり取りに、カリンは疑問を持ったらしい。チャットメッセージ欄を暫しじっと見つめて考えていた。我も今の発言には違和感を持った。だが、カリンは特にその事を聞き出す気はないのか黙っていた。
ともかく、八房教師が逮捕されたのは間違いない。それを確認する必要がある。
もし、その教師が桂男なら妖怪としても逮捕する必要があるのだから。
カリンは自室に向かいながら、渦巻く不安にこれから先の事を考えているらしい。
我も同様に、先を考えていた。そして、新月までの残り四日間、限られた時間をどう動くか計画を練るのだった――。
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