サキミタマ② ~十三日、十六日~

 こんな私を誰も信用しないから。

 だから私はあの時、嘘をついた。きっと嘘をついてもつかなくても、あの人は私を疑っただろう。

 だって、私も私の事を信じられないのだから。


 私は高校生に上がった年に、ストーカー被害にあっていた。

 いつも誰かに見られているような感覚がして、振り向いたってそこには誰もいないんだけれど、でも、確かに感じる何かの気配にビクビクと毎日を過ごしていた。

 勘違いだと思っていた。でも、その気配は強くなり、そしてある日、私の通学カバンに手紙が入っていた。

 なんだろうと思って便箋を開けると、写真が入っている。そこに写されていたのはすべて私の後ろ姿。いつ撮ったのかさっぱり分からない。映っている背景などを見て、あの日のあの場所だと推測はできたけれど、人にシャッターを切られているとは思わなかった。


 それから私はまず、友人に相談した。友人は真面目に話を聞いてくれた。それで親に相談したらどうかという事になったものの、あまり心配をかけたくないという想いから私はそのアドバイスをすぐに実行できずにいた。

 すると、ストーカー行為は徐々にエスカレートしはじめて、ついに自分のスマホにメールが送られてくるようになった。

 いよいよ怖くなった私は親に相談し、警察にも相談するまでになったのだ。

 警察の人は、ニコニコと対応しますからご安心くださいと言った。

 笑顔だったのは、こちらを安心させるためだったのだろうが、私には頼りないように思えた。

 ……それから数週間と経ったものの、ストーカーの気配は消えなかった。まるでほとぼりが冷めるのを待つかのようで、こちらが警察に相談したことも分かっているようだった。

 私は不気味で警察にもう一度改めて、ストーカーを捕まえてほしい、安心させてほしいとお願いした。

 返事はやはり、ニコニコと、大丈夫ですと言われた。


「本当に、きちんと捜査しているの!?」


 私はヒステリックに叫んでしまった。色々と限界だったのだ。神経質になっていた私には、その警官のニコニコ笑顔が、どうしようもなく焦燥感を掻き立てるのだ。

 私のヒスに、警官は「でもね」とこちらを否定する言葉を吐き出した。

 ――全然、おかしな人物は見当たりませんから。


 警官の笑顔は変わらずだったが、瞳が言っていた。


 ――勘違いしてるんじゃないの? と。


 それから、私は警察には行かなくなった。自分自身も、勘違いだったのかもしれないと考えたこともある。そう考えたほうが安心できるから。

 あの後ろ姿の写真は警察に預けたっきりでどうなったかは知らない。


 あれから私は十九歳になり、大学に通うようになっていた。

 実のところ、あれからもずっと何かの視線を感じて生きている。でも、何か明確な被害にあうようなことはなかった。写真が送られてくるようなこともない。

 ただ、漠然と解決しなかったあの事件がもやもやと見えない壁のように立ちふさがって私をじっくりと追い詰めるようだった。


 ある日、私は人と一緒に食事ができなくなっていることに気が付いた。

 『会食恐怖症』というそうだ。自分が食事をしている姿を誰かに見られたくない。誰かと食事をすると、戻してしまうのだ。

 食事は自分の口を大きく開く。内側を見せる行為だ。その姿を誰かに見られることが気持ち悪いと感じるようになった。

 私はいつも一人で食事をして、毎日を過ごすようになった。人間のコミュニティとは奇妙なもので食事の場で孤立すると、どんどん社会からつまはじきにされていくのだ。

 会食恐怖症で、と言ったところで理解されない。

 たとえ理解されても、自分の根本は会食恐怖症によるものとは別のところで、何かに恐怖を抱いたままでいた。


 視線。それが気になって仕方がないのだ。

 いつも、誰かに見られているようだった。

 それはもう、確実に自意識過剰で、周りから言わせると神経質で変な女という印象になる。


 私は私なりに、この状況を克服しようと考えた。

 視線に対する過敏症は、鏡をよく見ることで鍛えられるとネットで見た。そこで私は美容院で働くことにしたのだ。単純に思いついたのが、いつも自然に鏡が見える場所に美容院が浮かんだだけのことだ。


 美容院のアルバイトを開始してから、食事は相変わらず他人とはできないままだったが、人並みにコミュニケーションができる自分を取り戻すことができたので、私はきちんと社会に適応できていると考えるようにした。


 ――変に自意識過剰な私が人に相談を持ち掛けたって、私が悪いのだから仕方がない。

 そんな思いが根底にある中、あの日私は夜道を歩いていた。

 夜十時。バスを降りると、すでに視線を感じていた。

 振り向くと誰もいない。空には月が奇妙に明るく光っていた。


 また、気のせいだ。自分の自意識過剰さに嫌気を感じる。私が、おかしいのだ。精神的に異常なんだ。

 そう考えて、私は歩く。バス停から少し歩くと、閑散とした住宅地。


 そこで私は、ありえないものを見てしまう。


「え?」


 思わず声が出たほどだった。

 そこには、二人いた。


 一人は高校生の女の子だ。お腹でも痛いのか壁を背にうずくまったような姿勢だった。

 もう一人は女性だ。とても線の細い女性。

 白い肌は闇に浮かぶように不気味だった。その女性はうずくまる女子高生を前かがみに窺っているような姿勢だった。


 最初は女子高生がお腹でも痛くなったのを、心配しているのかな、と思った。

 私は、場合によっては手助けできることもあるかもしれないと、多少警戒しながらその二人に近づいて行った。


 コツコツとアスファルトを叩く自分の足音が異様に大きく響いているようで、私はなんだか嫌だった。

 すると、こちらの接近に気が付いたのか、白い女性がこちらに、くりんと向き直った。

 最初は赤いマフラーかスカーフでもしているのかと思った。

 六月にマフラーはないなと、自分で考え直してぎょっとした。


 その女性の口から首にかけて、真っ赤に染まっていた。

 変に明るい月の光が、その赤を際立たせていたようにも見える。

 それが血だと気が付くのは、うずくまる女子高生を見た後だった。


「ヒッ――」


 女子高生の下腹部から大量の血が溢れていた。死んでいるか生きているかは分からない。

 何があったのかすら想像もできない。混乱するばかりで、その目の前の女性に改めて視線を寄越して、変なデジャヴを感じたのだ。


 ――あれ、この人見たことがある。


 真っ赤な口をしている女性は私に背を向けた。そして、信じられないことだが、闇に紛れるように溶けるみたいに消え失せた。

 その消えた女性の背中を見て、はっきりと思い出した。


 今の女性は、私そっくりなのだと。

 後ろ姿はいつか届いた写真を想起させたし、真っ赤に濡れた口元で最初は分からなかったが、あの顔は毎日見ている鏡の中の自分自身だった。


「わ……わたしが……?」


 しばらく、『私』が消えた闇を茫然と見つめていた。そして、やっと我を取り戻してからうずくまる女子高生が重症だと思い出すと、私は怖くなってすぐ傍の民家に駆け込んだのだ。そして救急車が来たかと思えば次に警察があっという間に駆け付けた。

 それからは第一発見者として参考人であるためか、パトカーに乗せられてしばらく質問攻めにあった。

 見たことをそのまま話してくれと言われたが、私にはそれができなかった。


 なぜなら、あの子の前で血まみれの顔をしていたのは私そっくりの何かだったからだ。

 そんなことを言えるだろうか。

 自意識過剰な私が混乱の中で見た幻かもしれない。それに、こんな私の言葉など、警察がきちんと受け取るとは思えなかった。


 だから、私は女子高生が倒れているのを見付けたとした言わなかった。

 ただ、これが最後だからと若い刑事の男性がパトカーで聞いてきた時、最後ならと、『視線』の話をして見せた。

 刑事さんは、やっぱり呆れたような顔をしていた。思った通り、信用してくれるはずもない。

 だが、丸っきり嘘を言ったわけじゃない。

 視線は本当に感じていたのだから。あの空に浮かぶ月がいつもこちらを見ているように思えてならなかったから。

 その時はまだ、本当に自分が犯人として疑われるとは考えていなかった。


 だが、翌朝目覚めてから一気に青ざめた。

 もしあれが、見たものが幻じゃなければ? あの女子高生を殺したのは『私そっくりの何か』なのだ。

 そう考えると、私が殺したと思われたって何も不思議じゃない。


 六月十六日――。

 私は、あのパトカーで会話した刑事さんに聞きたいことがあると言われて、駅前にあるファミレスにやってきていた。

 待ち合わせをしているとウェイターに言うと、奥のほうから刑事――三井さんが声をかけてくれた。


「すいませんね。呼びつけちゃって……」

「いえ、バイトが近くですから……」

「あ、バイトの時間もあるんですよね。すいませんね、ほんと。ちゃちゃっと済ませますから」

 刑事さんはそう言って、ニコニコと笑う。

 その笑顔が取り繕ったものだと私にはすぐに分かる。……でも、それだって私の中の偏見がそう思わせているだけかもしれない。


「今日は香り、しないんですね」

「え……?」

「あ、前に会った時、いい香りだったので……って、これはセクハラですかね! あはは、わすれてください」

 香り……、そういえば前にバイト先で先輩にいい香りの髪だねと言われた。流石美容師だなと感心したのだ。確かに私は最近高級リンスを使うようになっていた。その香りは気に入っていたから嬉しかったのを覚えている。


「あの、お話って……」

 私はできる限り冷静を取り繕って聞いたが内心は戦々恐々としていた。キミがやったんでしょ、と今にも言われそうだと思ったからだ。


「いやー、あれから思い出したコトとかあるかなと思いまして。あ、ニュース見ました? あの亡くなった子と面識ありませんでした?」

「ニュースは……見ました。でも、あの子はまったく記憶にありません……」

「そっかー。百田さんがあの子を発見するほんのわずか前に犯行に及んでるみたいなんですよ。何か見てるとか……聞いたとか、ないですか?」

 三井刑事……(正しくは警部補だそうだが私には刑事の階級なんて良く分からない)は、愛想笑いを浮かべてこちらを覗き込んできた。

 まっすぐ向けられる視線があまり好きではない。私はそのままうつむいてしまう。


「ご注文はおきまりですか?」

 私が困ったように視線を外していると、声をかけられた。ウェイターが注文を取りに来たのだ。


「あ、僕ドリンクバー。百田さんなんでも頼んでいただいて結構ですよ。おごりますから」

「……じゃあ、ドリンクバーで」

「遠慮なさらなくていいですよー? バイトがあるんでしょ、食事摂っていったほうがいいのでは? ここのハンバーグ美味いですよ」

「いえ、その……平気ですから」

 三井さんが気遣うように言ったが、私は会食恐怖症だ。こんなところで食事するなどできるわけがない。ウェイターにドリンクバーを注文すると、ウェイターは畏まりましたと引っ込んだ。

 その後、三井さんがアイスコーヒーを取りに行き、私もなんだか流れでドリンクバーコーナーで適当にウーロン茶を注いだ。

 席に戻って、三井さんがアイスコーヒーを飲むと、三井さんは質問から少し離れて他愛ない会話を繰り出してきた。私はへたくそな相槌を打ちながら、ウーロン茶をストローで少しだけ啜る。

 特に面白い話も聞けないかと三井さんが諦めると思った頃、三井さんがぎょっとした表情を浮かべた。

 何かに驚いたような顔をしていたが、それは私の後ろに視線が向いているようだった。

 なんだろうと気になったと同時に、男性の声が店内に大きく響いた。


「す、すいませんでした。昨日は!」


 若い男性……二十歳かそこらだろうか、彼は三井さんに頭を下げていた。

 どうやら三井さんと知り合いなのだろう、態度からすると彼の部下とか後輩だろうか。


「あ、ああ。あの時の? いや、いいよ。別になんともなかったから」


 やはりそうだろう。何かこの若い男性がミスか何かをして謝りに来たというところか。

 なにやら落ち着きのなさそうな雰囲気をしているし、新米なのかもしれない。


「その、お二人が恋人だと思っていなくて……」

「えっ? いや、違う。違うよ?」

 三井さんも慌てたようだった。どうやら、私の事を三井さんの彼女と勘違いしているのだろう。本当におっちょこちょいなようだ。

 私もきちんと訂正を伝えるために、「はい」と笑顔を作り返してみせた。


 それからもう、なんだか空気がぎこちなくなり、三井さんと後から来た男性は退店することを決めたようだった。私もバイトがあるし、あまりファミレスは好きではないから早々に出ることにした。

 店から出ると、すでに、若い男性のほうはいなくなっていて、三井さんが改まってこちらに向き直ってお辞儀した。


「お忙しいところ、ご協力ありがとうございました」

「いえ、何の役にも立てずに……」

「いえ、そんなことありません」

 三井さんはやはりニコニコと笑顔を作っていた。刑事らしくない表情に、私もへたくそな愛想笑いで返す。

 これで息の詰まる刑事とのお話もとりあえず終わりだ。早く日常に戻りたい。そんな風に思いながら私はバイトへと向かうため、三井さんに背を向けた時だ。


「あっ、すいません。一つだけ聞いておきたいことありました」


 三井さんの声に私は思わず飛び上がりそうだった。表情には出していないつもりだったが、三井さんに振り返った時の私はどんな顔をしていたのか分からない。


「百田さん。あなた――、双子じゃないですよね?」

「いえ。一人っ子です」

「そうですか。ひきとめてすみません。お仕事頑張ってくださいね」


 私はぺこりと頭を下げた。

 そして、今度こそバイト先へと歩き出した。なるべく速足にならないように気を付けた。


 ――双子?


 ――なぜそんなことを聞いたのだろう――。


 私は胸中に巻き起こる言いようもない不安を誤魔化すように、バイト先では笑顔を張り付けた。


 だが脳裏には、あの夜みた『血まみれの自分』が離れないままだった――。

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