クシミタマ① ~十四日~

 六月の濡れた風は己の肌にまとわりつくようで好きではなかった。

 その日六月十四日、テレビのニュースで変死体事件が報道された。朝からすでに報道されていたようだが、己の目にきちんとした情報として入ってきたのは、夕刻の六時であった。

 その時は、それほど気にしなかったが、日付も変わった深夜二時過ぎに自室の窓を叩く音にひとみを開いた。

 外は雨が降り続いていて、窓にあたる雨音かとも思うところだが、明らかな意思の見えるノックのリズムは、雨のそれではなかった。


 寝床から起き上がり、カーテンを開くと、窓の外には一羽のカラスがいた。この雨の中飛んできたであろうに、そのカラスはまったく濡れていなかった。

 夜の帳に浮き上がるようなカラスは、こちらをじっと見つめていた。早く中に入れろと言っているようだった。


 窓のカギを外し、ガラリと引いて開けるとカラスがしゃべった。

「お邪魔するわね」

 カラスの嘴がかちかちとなりながら、人語で語ったその摩訶不思議な存在は、現代に生きるカラス天狗であった。

 その名を迦楼羅と云った。もう数百年に渡って生きているモノノケだ。

 カラスが部屋に入るなり、その姿を変形させて人間の影を浮かび上がらせると、やがてそこには一人の女性が現れた。


「こんばんは。悪いんだけど、シゴトよ」

 妖艶な美女の姿を取った迦楼羅は、人間社会に紛れる時の姿であり、体の線が際立つようなぴっちりとしたスーツに身を包んだOLらしい。胸を露出して挑発的にシャツのボタンを開けているのを見ると、その胸の谷間から書簡を取り出した。

 それをこちらに手渡してにんまりとルージュの唇を持ち上げた。

 書簡を広げて中身を確認すると、『組織』の幹部からのお達しである判子が押されている。そこを指先で押しあてるようにすると、判の形が崩れていき、やがて幻影が書簡から浮き上がってくる。

 妖術の一つで、人間の使うテレビ電話のようなものだ。

 こうして、我ら妖怪は連絡を取り合う――。


 ――そう、我らは妖怪だ。

 現世に隠れ住むモノノケであり、闇の住人である。

 西暦二千年を過ぎたあたりには完全に妖怪などは信じられる事はなくなったこの時代、確かに妖怪はこの世に存在していたのだ。

 とかく妖怪にとって生きにくくなる世の中に、我らは『組織』を作り上げた。妖怪だけのコミュニティで、互いに助け合い、この人間の社会で過ごしていこうと発足したのがもう百年ほどまえになるだろうか。

 有力な妖怪たちが連盟を作り、そこに弱小妖怪を取り入れて、組織はできあがった。

 力の弱い妖怪などは、組織に頼らなくてはもう生きていくことができないが、我のような力のある者は、人間社会に紛れ込み、組織とのパイプ役を担うような仕事を任されていた。


「狐火よ、そちらの領域内にて、結界のよどみを感知した。調査し、対象を捕縛せよ」


 判子から形作られた幻影はもやもやと揺れながら奇妙に反響する声で指令を飛ばしてきた。


「承知」

 それだけ返すと幻影は消え失せて、書簡は塵になって空気の中に溶けて行った。

 我が視線をOL姿の迦楼羅に移し、情報の開示を求めた。


「ニュースは見たかしら。女の子の惨殺事件。あれね、ヒトクイ妖怪の仕業みたいなの」

「事件があったのは、十三日だったか」

 ちらりと机に置いてあるカレンダーの日付を見て、時間軸を整理する。

 ニュースでは十三日の夜、事件は起こったと告げていた。迦楼羅はその言葉に頷き、さらにつづけた。


「食事を摂ったのはそれでいいみたいだけど、結界のゆらぎを確認したのは六月九日だったわ。ちょうど、満月の晩のことよ」

「……成程。この領域に外来してきたヒトクイ妖怪が結界をくぐったというのだな」

「そう。『組織』に加わっていない妖怪だから、何をしでかすか分からないの。捕まえて組織に連れてくるか、消滅させて」

「承知」


 その返答に満足したように、迦楼羅は笑んだ。そして、また窓際に向かって、カラスの姿に戻る。

 飛び去る前に、くるりと振り向き、カチカチと嘴を鳴らして言う。


「頑張ってね。何かあったら連絡して、狐火ちゃん」

「ちゃんを付けるな」


 物申してやると、カラスがクスりと笑って飛び去った。雨の中を滑るように飛んでいくのを見送り、我は窓を閉じた。

 少しばかり雨が降りこんで濡れてしまっていたが、我はそこに手をかざし、軽く熱を発生させて乾かしてやった。


 ――我が名は狐火。炎を操る妖狐である。古参妖怪でありながらも、実態を持たない霊的存在の我は人に憑りつく動物霊として一般的には名が知れている。

 今は、宿主の人間に憑りついて、この領域の管理を組織から任されている。

 様々な妖怪が引き起こす問題を解決する何でも屋のような事をしていたが、今回は『組織』に加わっていないアウトロー妖怪が引き起こした事件のせいで、人間たちに怪しまれぬように問題を処理しなくてはならない。

 そのためには、きちんとした出生を持つ人間を依り代に行動するのがやりやすいとされ、我のような動物付きの妖怪は、管理人に任命されやすいのだ。

 憑りつかれている人間は、まったく自覚などない。我が体を拝借している時は本人の意識はかき消えているし、我の行動中、バレるような事態になれば、組織の人間が記憶を改変し、つじつまを合わせてくれるからだ。


 我は妖怪調査のため、早速行動に出る。準備を整えてからまた窓を開いた。

 まずは現場を確認することだ。相手が強い妖気を持っていればまだ痕跡を確認できるかもしれない。

 我は雨の降る真夜中の街へと、窓から飛び出した。

 その跳躍は数メートルを軽々と跳び、さながら忍者のごとく、人家の屋根を次々に飛び越えていく。雨が体を濡らすが、そんなものは後でいくらでも蒸発させることができる。

 現場の位置は把握している。ここからそう遠くはない。物の十分ほどで着くだろう。


 いつかの屋根をトントンと飛び越えていくと、閑静な住宅地が見えてきた。確かここの一画が現場のはずである。

 やがて目的の場所を発見した我は、静かにコンクリの上に着地した。

 そこにはもう凄惨な事件があったとは思えないごく普通の光景が佇んでいた。暗闇に包まれ、しとしとと降る雨音だけが響いている。

 我はぴりりと耳を立ち上げて、妖気を感じ取るために、精神力を静かに高め始める。

 さわさわと濡れた髪の毛が乾いていき、まるで気流に乗ったかのように逆立つ。さながら、その姿は炎を纏ったようでもあり、かつて妖怪が信じられていたころ、人間たちが人魂だとか狐火だとかと空想した姿のようだった。


 己の気を周囲に張り巡らせて、現場に残る思念をかき集めて行けば、ここで行われた犯行が妖怪がらみなのかは直ぐに分かる。

 結果としては黒だった。

 やはり、ここで行われた殺人は妖怪によるものであった。微かに残る妖気がこの場であった出来事を逆再生映像のように、ノイズ交じりで脳裏に伝えてくる。


「……感じる。ヒトクイの感触だ」


 脳裏に映し出されてくる記憶の映像は、この『場』が記憶している残留思念によるものだ。

 それは少女が襲われ、何かに一瞬にして腹を破かれるという刹那の映像だった。明らかに人間業ではない、制服姿の少女を瞬く間にして貫いた黒い影。柔らかそうな乙女の腹部にそれは飲み込まれていくように突き刺され、へその少し下をぶちりと裂いた。

 そうして真っ先にその中身をつかむと、力任せに引っ張り、引きちぎった。

 どろりとした管のようなものが垂れていて、乱れた映像でははっきりとはそれを確認できなかったが、それはおそらく子宮で間違いなかっただろう。血にまみれたそれはまるで何かの糠漬けのようにも見えた。

 そして、それを黒い影がむしゃりと口に運んで咀嚼する。コリコリとした弾力があり、旨そうに何度もくちゃくちゃという音がしていた。そこで残留思念は終了した。


「……ヒトクイの、好物はコブクロということか」

 ヒトクイとは言え、丸のみにするようなタイプの妖怪ではないということか。どうやら子宮だけを狙ったようだし、そこから今回の妖怪の正体を探ることになりそうだ。

 そう、相手も妖怪なのだ。

 おそらく人間に擬態しているだろう。

 人に化けた妖怪は、実力があればあるほど、その妖気も巧みに隠すことができる。だから、本性を見せ、妖怪の姿に戻った時でなければこちらとしても手出しができない。

 まずは、情報だ。妖怪を見付けるための情報が必要だ。


 幸いにもこの被害者の少女は、宿主の人間に近しいところの者である。

 調査はやりやすいかもしれない。


「月夜のヒトクイ妖怪、か」


 我は一言そう零し、音もなく跳躍した。

 目の前の二メートルほどのコンクリの壁などは軽々と超え、その上にある民家の屋根に着地する。

 今だに雨は降り続き、衣服を濡らしては肌に纏わりつかせて不快感を与えてくる。我は空を見上げた。

 そこには雨雲が星空を隠し、黒々と見下ろしていた。月は見えない。


 次に向かうは結界によどみが感じられた箇所だ。そこからヒトクイ妖怪がこの街に入り込んできたのだから。

 雨に絡まれるようにして飛び回り、我は侵入地点までまっすぐに向かった。雨が降っていたよかったとも思った。こんな日は人目をあまり気にしないでも済むからだ。

 雨の降り続ける深夜三時、わざわざ外に出てみようと思う人間は少ない。


 我は多少大胆にスピードを上げて、目的の場所を目指した。

 『組織』から担当を任されたこの街に入り込んだ無粋な輩に示すように。

 ここは我の領域なのだぞと伝えたかった。我は妖気を振りまきながら、街を跳ぶ。警戒しろ、この街で狩りをするならば覚悟しろと、外来に布告するために。


 我々妖怪は、精神的側面に大きく左右される存在だ。だから、圧力は力、腕力などよりも、心や感情に与えるのが効果的なのだ。

 それはどんなアヤカシであろうとも変わりない。幻想の存在は、何者かに存在を感じられてこそ、生きていけるのだから。


 やがてたどり着いた侵入場所は、とあるビルの屋上のようだった。ここまでくるとかなり人もいる。駅前に近いこともあり、二十四時間営業のコンビニや居酒屋には人工的な寒い光が雨に反射していた。

 ビルはそういった繁華街にあり、中にはカラオケボックスが入っている。地下は居酒屋のようだが、このビルはカラオケだけが入っているようだった。四階建てのビルは明かりが灯っていて、カラオケでオールナイトをしている人間がいるのだと分かる。

 流石にびしょ濡れのままでは怪しまれるので、身だしなみを整えてから調査に乗り出す。いつどこで人目についても問題ないように、だ。


「かなり人の気配が多い。こんなところから侵入してきたのか」

 普通、人目の少ない処から入り込んでくることが多い妖怪に、今回の侵入者の異質さを感じていた。

 夜でもネオンで明るい繁華街は、妖怪にとってはあまり好ましい場所ではないのだ。

 我は人目を避けるように表通りから外れて、ビルの中へと入り込む。そのまま、内部から上階を目指していく。屋上への階段は締め切られていたが、そんなものは何の障害にもならない。何者かに察知されないようにだけ気を付けて、我はさっさと屋上へ駆け上がった。


 屋上は水たまりがそこかしこにできていた。

 結界をゆがめ、入り込んできたヒトクイ妖怪がまず足を踏み入れたのがここらしい。

 殺人現場同様に残留思念を探るも、流石に日が経っているので、大した情報は得ることができなかった。

 唯一脳裏に浮かんだ光景は、満月だった。

 その日は良く晴れていたらしく、立派な満月が空に浮かんでいたのだ。

 月、満月。

 月に由来する妖怪は多い。古来より、月には様々な言い伝えがあるからだ。かの竹取物語も、今や幻想存在としてかぐや姫が妖怪として存在しているのだから。


「……ふむ、月か……それに詳しい妖怪に聞いてみるのはありかもしれんな」


 得られた情報は、二つ。

 月、満月。そして、子宮を食らう。まだ情報が足らないのは重々承知だが、現状はこのくらいが限界だろう。そろそろ家に戻り、状況を整えておかなくては、宿主に負担をかける。

 我は今後の捜査方針を固めつつ、そのまま跳躍した。雨に濡れるのが面倒だったので、己の周囲に気を張り、膜のようにして雨から身を守る。先ほどカラス天狗がやっていたのと同じ妖術だ。

 それから、人間の事件捜査も情報として集めておこう。人の捜査能力もバカにできない。

 科学捜査というのは、思いもよらぬ事を露にしてくれることもある。最も、すべてが済めば妖怪事件の記憶は都合よく修正されることになるが。

 利用できるものは、利用させてもらおう。昨今は神隠しなどと、都合よく妖怪の仕業にされてしまう事件もあるのだから――。

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