アラミタマ① ~十三日~
六月十三日二十三時過ぎ――。
オレは先輩の五十嵐警部と共に現場の様子を調べていた。一課の刑事が呼ばれる現場はすなわち殺人現場だ。
被害者は若い女性……というか少女だ。まだ若干十六歳の高校二年生、四谷ココロだと所持品からすぐに割り出すことができた。まず、着ていた衣服がセーラー服だったことも大きいが。
「三井、どうだった?」
周辺の聞き込みをしてきたオレが戻るなり、五十嵐警部は声をかけてきた。しゃがれた声は喉から肺にかけてヤニですすけているせいだろう。
「第一発見者以外、目立った目撃者はナシ。悲鳴や騒ぎなんかもまるでなかったみたいです」
「……住宅地の一画だぞ。夜遅かったとはいえ、何か声を聴いたとかまるでなかったのか」
「ハイ。声を出す間もなくやられたんじゃないですか?」
オレのそんな意見に、五十嵐警部は答えずに、ブルーシートの方へと目を落とした。
そこに横たわるのは無残な少女の遺骸だ。それもかなり惨たらしい姿をしていた。
身元がすぐに判明したのは、被害者の顔がきれいに残っていて、また生徒手帳が発見されたので顔の照合がすぐできたからである。
だが、問題は身体のほうだった。
彼女の下半身、主に下腹部がえぐり取られていたのだ。より、正確にいうならば、彼女の子宮が腹を裂かれて引きずり出されていた。しかも、その肝心の子宮は荒々しく切断でもされたのか、現場には残骸しか残っていなかったわけだ。華奢な少女の腹部には赤黒い穴が開いていて体内を覗くことができ、そこにはぐちゃぐちゃと潰されてしまった臓物が散乱していた。
かなりの異常性ある犯行で、犯人像は変態で間違いないだろうと考えた。
問題は、どうやって腹を裂き、その中身を引きずり出したのか。凶器のようなものはどこにも無かったし、証拠になりえそうなものは現場で今のところ見つかっていない。
これだけの犯行があったなら、少しは騒ぎになっているから近くの住人が何か聞いている可能性はあると五十嵐警部は言ったが、残念ながらまったくもって有益な情報が得られなかった。
「第一発見者はどうだったんですか?」
「近所の若い女性だ。仕事……というかバイトのようだが……帰宅途中に見つけたようだ。発見時刻は二十二時十五分。まだはっきりとはしとらんが、あたりの血痕の状態を調べたところ、犯行時刻は二十二時から二十二時十分だとさ」
「……つまり、犯行直後に発見されているんですね。その女性、何か見ていないんですか?」
五十嵐警部は首を横に振る。
第一発見者の女性は怪しいとオレは考えた。犯行が行われて五分かそこらで発見していて、何も見ておらず聞いておらずというのは、不自然に思えたからだ。変態的な事件の犯人が男性ばかりではないのは近頃では当たり前になっていた。特に今回は子宮を引きちぎるという行為である。もしかすると、子供が産めない女性が妬み、というようなことだってあるだろう。
……もっとも、それなら、どうして幼い未成年を狙ったのかは不明だが。
「ガイシャの子、制服姿で持ち物も通学カバンと部活の道具くらいでしょ?」
「ああ、帰宅途中にしては時刻が遅い。ひょっとすると、どこかで拉致されて、ここで解体されたのかもしれんな」
「スマホの履歴とかで大体割れるでしょ」
鑑識が調べていたスマホを受け取り、指紋ロックを遺体の指で解除して中身を調べることにする。
「チャットアプリで最後にやり取りをしていたのが、十九時ですね。……友人、かな。他愛ない会話のやり取りがあります」
「……お前、どう思う?」
五十嵐警部が猛禽類のような視線でこちらに聞いてくる。まさにハゲタカだ。おっと、ハゲは余計か。あまりにも的を射ている
「どう思うって言われても……。酷いことするなってくらいしか……」
「バカ、ちげェーよ。この事件と過去の行方不明事件、つながると思うか」
五十嵐警部が言う過去の行方不明事件というのは、ここ数か月この街で発生している少女神隠し事件のことだ。
いずれも若い女性だが、行方不明になっているということがここ数か月で四件は上がっている。最初は生活安全課が担当していたが事件性が強くなってきてからは我ら刑事課も警戒していた矢先の事件だった。だから五十嵐警部は、今回の事件が関連性があるかどうかを訊いてみたんだろう。
「正直、今はなんとも……」
「直感でいい」
「直感、スか……。違うと思います」
「なんでだ」
「いや、チョッカンです……」
「……」
直感でいいって言ったから、直感で答えたのに、五十嵐警部はオレの言葉にジロリと目線を差し込んできた。理不尽だ。
そもそも、まだ何にも分かっていないんだから答えようもないじゃないか。捜査はこれからなんだ。オレは最後に確認するため、もう一度被害者の四谷ココロの躯を調べていた。
「……しかし、それにしても凄い臭いッスね」
オレは思わず悪態をついてしまった。それほどにオレは現場の匂いに参っていた。
「腹んなかブチまけてるからな。クソ袋出てんだ。我慢しろ」
いつまでも新米気分でいるなよと釘をさすと、五十嵐警部は切り替えるように声のトーンを少し上げて聞いてきた。
「家族に連絡はいってるのか?」
「ハイ、すぐこっちに来るはずです」
「よし。遺体確認させたら、すぐ聞きこむぞ」
「ええ……? ちょっとは気遣ってやりましょうよ……」
「実の娘が殺されて、数日まったくらいじゃ平静さは取り戻せねえんだよ。こういうのはスピード勝負だ。気遣う時間がもったいねえ」
五十嵐警部のその意見に、オレは溜息をついたが、間違ってはいないとも思った。初動が最も重要な殺人事件の捜査は時間勝負であることに間違いはない。しかしながら、色々と発言内容に問題のある先輩だ。エリートじゃない叩き上げって感じはするが、ハゲた警部がどうして警部どまりなのか納得できる。
オレはふと見上げた夜空に、丸い月が浮かんでいるのを発見した。
「今夜は満月だったのか――」
なるほどな、とオレは腑に落ちた。
満月の晩は、異常犯罪が増えると昔どこかで読んだことがある。
オレも色々と無残な死体を見てきたが、こんなにも酷い有様の死体は初めてだった。異常性という自分のなかの線引きから逸脱したモノにはなんらかの理由をつけたくもなる。それができる限りファンタジーであればあるほど、自分の常識が守られるようにも思えるのだ。
自分自身の価値基準からはみ出ているものは、気持ちが悪い。だから、それらは己の世界観にはそぐわない存在なのだ。
この異常犯罪者もまさにそうだろう。こんなものは許せない。あってはならないのだ。ファンタジーであってほしい。満月のせいであってほしい。これが同じ人間の仕出かした事だなどと、考えたくない。
オレは使命感を燃やして、この事件の犯人を捜す事にした。
このような犠牲者をもう二度と出さぬように――。
――その後の調査により、四谷ココロという少女の人間像が見えてきた。
家族からの話では、どこにでいる普通の女の子だという。どうしてこんな事件に巻き込まれたのか分からないと、涙ながらに語ってくれた。
昨今、気になることはなかったかと訊ねたところ、それにも首を横に振り、嗚咽を零すばかりだった。
どうも親の話はあまり役に立ちそうもない。こういうのは、同年代の友人に聞くのがベストだが、相手が未成年だと色々面倒なことになる。
学校側に手続きを入れ、学校で面談をするということになるだろう。フットワークを軽く捜査するということは難しそうだった。
親の話をかいつまんで説明すると、被害者の少女は部活で遅くなることはあれど、夕飯までに帰れない時はきちんと連絡をするようなきちんとした少女だったらしい。
今夜も遅くなるかもしれないという連絡は夕方十八時頃、受け取っていたとのことで、二十時までは待っていたが、流石に帰りが遅く心配していたという。
「きちんとした子だったみたいですね」
「部活は吹奏楽部か?」
「みたいッスね。ラッパもってましたし」
「ありゃ、トランペットだよバカ」
「あ、そうスか。楽器とか音楽サッパリで」
となると、聞き込みは吹奏楽部の学生を中心に当たるのがいいかもしれない。家族への聞き込みは早々に終わらせ、続いて第一発見者の女性に改めて話を聞くことになった。
パトカーの中で待ってもらっていた女性に「すいませんね」と一言謝って、挨拶をする。
「えと、警部補の三井ツカサです。この話でもう終わりですから。家までパトで送らせますんで、ご協力ください」
「は、はい……」
青い顔をしていた女性は若かった。
おそらく二十歳かひょっとすると十代かもしれない。女子大生らしく、夜は遅くまで美容院でバイトをしているのだとか。そのバイトの帰りにあの死体を見付けてしまって、すぐさま通報したようだ。
女性は百田サクラと名乗った。色白で美容院に勤めているというだけあって、どこかエキゾチックな美しさがあった。ただ少しやせすぎな感じを受けた。女性モデルのような細さは男からすると少しやせすぎじゃないかと不安になってしまう。
「遺体を見付けた時の状況をちょっと細かく教えてください」
「はい。いつも仕事が終わって、バスを使って帰るんですけど、すぐそこのバス停で降りて、自宅まで歩くんです。ここの住宅地を抜けるとアパートがあるので、ほぼ毎日あるく道なんです。それで、最初は向こう側から歩いて来たんですけど、壁に何か黒いものが寄りかけてあるなと遠くから見て思ったんです。なんだろうと思って、ちょっと怖かったから警戒しながら近づいていくと……それがうずくまってる女の子だって分かったんです」
「壁を背に、うずくまる状態で発見したということですね」
「はい。最初はお腹が痛くて、苦しんでるのかなって思って、心配して声をかけようと思ったんですけど、改めて見て…………それで……」
百田さんはそう言って、思い出したのか更に顔を青くし、口元に手を持って行った。無理もない。かなり酸っぱいものがこみ上げる遺体だった。
彼女の話を聞いて、改めて現場を思い返す。
住宅地であり、多数の一戸建てが並ぶベッドタウンの見本のような一画で、狭い道がいくつも並んでいる。坂道が多い処に作った住宅地であるため、段差がいくつもあって、左手側に民家が並び、右手側には二メートルほどのコンクリの壁がある。そのコンクリの上にはまた一戸建てが立ち並んでいる造りをしている。
そのコンクリの壁にはいまだに生々しい血痕がべっとりついている。
状況を見て、こんな住宅地の真ん中でどうして誰も気が付かなかったのだろうと考えた警部の言葉には頷ける。
「何か怪しい人だとか、物音だとかありませんでした?」
「い、いえ……何も……」
「どんな些細な事でもいいですよ」
「……月が……」
「え、月? ああ、満月ですよね」
「いえ、今日は満月じゃありません。ほんとの満月はたしか三~四日前だったので。少し欠けてますよね?」
そう言われてオレは窓を開いて顔を外へ出してみた。上空に浮かぶ月は丸く見えたが、なるほど、改めて見るとまん丸ってこともない。楕円形をしている。日頃月などきちんと見ていないせいだろう。若干欠けていようが丸みがあれば満月だと判断してしまったのだ。最近は雨も多いし、雲がかかっているから月の満ち欠けなんかなおの事、曖昧だった。
「えー、それで月がどうしたんですっけ?」
「……月が妙に気になったんです……」
「どういう、意味ですか?」
「……あの、私美容院で働いているからかもしれないんですが……普段からよく鏡を見るんです」
百田さんの急な話の切り替わりに、オレは何事かと思ったが、黙ってその話に頷いた。
確かに美容院や床屋といった散髪をする場所は、客にもきちんと見えるように正面に鏡がある。
「鏡があるから、よく自分の姿が目に入ります。だから、とても自分の容姿に気を遣うんです」
「ああ、分かる気がします」
「……その、鏡に映る自分の視線を、自分で感じるという感覚は分かりますか?」
「え……?」
「常に、視線を感じるんです。いつも誰かに見られているような気持ちになる……というか……」
「は、はあ。職業病みたいなもんですかね」
「だから、私鏡がある場所ではいつも何かに見られているような感覚を持ってしまって落ち着かないんです」
「ああ、分かるような気がします」
……と、答えたが正直、ちょっとばかり神経質じゃないだろうかと内心は思っていた。ナルシストのようなものだろうか。
ところでそれと月の話とどうつながるのだろう。
オレは同意を示しつつ、言葉の続きをじれったく待っていた。
「そういう視線のようなものを、月から感じてたんです……」
「えぇ? 月ですか?」
「……誰かに見られているような……そういう感じをバスを降りてからずっと感じてました……。誰かにつけられているみたいな……。それで、振り返ってみたらだれもいないんですけど、空にぽつんと浮かんでいる月が、私の事を見下ろしているみたいに、感じてました」
そういう百田さんに「なるほど」と相槌を打ちながら、オレはこりゃ彼女にするとめんどくさいタイプの女性だなと考えていた。
いわゆるメンヘラタイプというか、思い込みが激しいというか、神経質すぎるんじゃないかと思ったのだ。
「ほかには、特に?」
「はい……」
「そうですか。協力ありがとうございます。それじゃすぐに自宅まで送りますんで、このままお待ちください。運転手用意しますから」
そう言って、適当な警官に百田さんを送らせるように伝え、パトカーを走らせた。
「どうだった」
五十嵐警部がタバコを咥えてオレの傍に寄って来た。オレは愛想笑いを浮かべて、「びみょーッスね」と返した。
「あの女性が乗ったバスとかも調べましょう。証言の信ぴょう性がちょっとはっきりしないッス」
「よし、そっちは俺がやる。お前、過去の行方不明事件の資料を調べて、今回の件に関わりがないか洗っとけ」
「ハイ。マスコミには発表するんですよね?」
「隠しようもねー事件だからな。署長がネクタイ絞めてたよ」
「ハハ、そのまま首絞めてくれませんかね」
そんな悪態をつきながら、オレと警部は動き出した。この警部の下で働きだしてから、オレもずいぶん口が汚くなってきた気がする。
人は環境で流されていくものなんだろうな。と、自分の変化自体にも、オレは苦笑いを浮かべるのであった。
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