第9話 辛い料理とマゾヒスト
お陰様で拙作の創作論もどきがジャンル別週間ランキングで最大瞬間風速で3位をとった。今までジャンル別とは言えベストスリーに入ったことはなかったので嬉しい。星の数も拙作には珍しく破竹勢いで増えていっている。数ある作品の中から拙作を選んでいただき本当にありがたいと思っている。数分とは言え、貴方の貴重な人生の時間を消費していただけたことを心より感謝したい。
この場を借りてみなさんに厚く御礼申し上げる。
グラシアス・アミーゴ
しかしまあいつもの事ながら、たった5話で60話あるファンタジーよりPVと星が多いので、私自身は費やした時間と労力を考えると悔し涙で前が見えない。こういうジレンマを抱えているユーザーはきっと多いはずだ。我々が報われる日がいつか来るのだろうか。
来ないだろうな。
辛いものが好きだ。
いや、好きになってしまったという方が適切だろうか。もともと辛味はそこまで好きではなかった。別に料理に辛味がなくても構わないタイプの人間だった。
子供の頃に女子高生やOLの間で「マイ一味」というのが流行っていた。それを見て、心底その人らの神経を疑ったものである。この人たちは胸中に何らかの深い悩みを抱えているのだろうかと思っていたほどである。それほどに、私にとって辛味好きという嗜好は理解し難いものだった。
私の考えを百八十度変えたのはいわゆる、ニンニクガッツリ系のラーメンブームと格別に美味い四川料理との出会いだった。
ニンニクガッツリ系というのは言わずもがなラーメン二郎やそのインスパイア系たちのことである。私は一時期これらの虜になっていた。私は日頃から外で食べるラーメンたちの味や量に対し何処か物足りなさを感じていた。そこで出会ったのが二郎系である。これは私にとってまさに運命の出会いだった。その味。そのボリューム。その中毒性。そのインパクトたるや。他のどんなラーメンも霞むほどに、二郎系は魅力という脂に溢れていた。
二郎系を食す際に私が好んで使っていた調味料が一味である。最初は全く視界に入っていなかったが、とある動画で味変と称し大量の一味を投入しているのを見た。その時の印象は子供の頃に見たマイ一味の女子高生と大差なかった。しかし何かの気まぐれ、ふとやってみようと思ったのである。一味大量ぶっかけを。そして真っ赤に染まったラーメンを食べた時、私の中に激震が走った。
美味い。なんだこれ。香りも味も全く別物になってるじゃないか。しかも絶え間なく襲ってくるピリピリした痛みが、不思議と食欲をそそるのだ。先ほどまで9分目だった腹具合がこれによって6分目まで戻され幾らでも食える気持ちになっていた。
私は生まれて初めて辛味の持つ魔力に邂逅したのだ。軽蔑していた女子高生たちに心の中でとしまえんのプールより深く懺悔した。それ以来、一味と二郎はワンセットになった。
最近では結婚を機に足が遠退いてしまったが、たまにニンニクの香りを嗅ぐと思い出して生唾を飲む。同時に舌もピリピリする。
もう1つの出会いは四川料理だった。
当時、まだ付き合っていた妻にとにかく美味い中華屋が近所にあるから来い、と言われて都内にある妻の実家まで出向いていったのが最初だと記憶している。
当時の私は世間知らずの若造だったので
「中華ぁ?そんなの横浜行けばいいでしょw」
と高を括っていた。
なんせ店もへんぴな場所にあったし、何か売りがあるわけでもない。オマケに店員は小太りのオッさんが1人。それで全てをこなしている。これはたかが知れていると思っていた。今思うと恥ずかしいくらいに井の中の蛙である。
店はある程度の清潔感が保たれたごく狭い店だった。小太りのオッさんはセカセカと動き回っていて、なんだか私のイメージする美味しい店とはかけ離れている様子だった。
こういう時に人間の器が知れるというもので、私は連れて来てくれた彼女に対し少しばかり横柄な態度をとっていたと思う。正直彼女の味覚とその店を侮っていたのだ。本当に恥ずかしい限りである。
やがて彼女オススメの料理が私たちの前に運ばれてきた。
メンマ、チャーシュー、煮卵のセット。スープ餃子。春巻き。
なんてことはない普通のメニューだった。私は店のテレビを見ながら何とはなしに料理を口にした。その瞬間は衝撃だった。美味いのである。驚くほどに。メンマなんぞ、一体今まで自分が食べてたメンマはなんだったのかと思うほどに甘くて柔らかい。チャーシューも見た目よりずっとジューシーだし、煮卵も完璧な半熟具合。スープ餃子がまた凄い。味わったことのない優しい味のスープに、肉汁のたっぷりつまった餃子。そして春巻き。あっつあつでパリパリ。中味の味付けもしっかりしていてそのままでもいいのに、酢醤油をつけると更に美味い。一体この店はなんなんだと驚愕した。
「ねえ、どうかな?」
怪訝な顔で私を眺めていた彼女がおそるおそるという感じで感想を訊いてきた。まるで自分が作った料理であるかのようだ。
「美味い。凄いよ。凄い美味い」
私の言葉に彼女の顔はパッと明るくなった。そこですかさず、彼女に謝ったのを覚えている。正直向こうからしたらなんのこっちゃという感じだったが、私は自分の横柄さと無知を恥じ大人としてちゃんと謝罪をした。そうせざるを得ない程に、その料理は美味く説得力があった。
その店の料理は何がそんなに美味いのか。私はひとえに、「加減」だと考える。良い揚げ加減、良い焼き加減、良い茹で加減、そして良い塩加減。全てが絶妙の技で為されている。マスターは一見小太りの冴えないオッさん風だが、とてもすご腕の料理人である。
その日私は心ゆくまで料理を堪能したが、最後の締めに迷っていた。なんせ彼女はもうお腹一杯らしく
「え?まだ食べるの?」
という顔をしている。しかし私の胃袋はまだ満たされていなかった。
私はメニューに見慣れない名前の料理を見つける。
「四川炒飯」
四川?どういう意味だろう。私はマスターに訊いてみた。するとマスターはニッコリ笑ってひと言だけ。
「辛いヨ」
よくよく後で聞いたらこの店は四川料理の店だったそうなのだが、その店のマスターが辛いというからには本気で辛いものなのだ。しかしここでも浅はかな私は懲りずに調子に乗ってしまう。
「大丈夫です」
こんな奴がごまんといるからマスターも注意をしてるのだろう。しかしながら店側は頼まれたら出さずにはいられない。つくづく客商売というのは因果なものだ。
目の前に出てきた炒飯はなんの変哲もないものだった。牛ひき肉とネギ、そして卵。具材はごく普通の中華屋の炒飯だ。それどころか赤くもない。辛いイコール赤いという乏しいイメージしか持ち合わせていない私は
「なんだ。注文の間違いか」
と思いつつ多めに炒飯をかっこんだ。そして咳き込み地獄をみた。おそらく勢いでかっこんだ時に謝って気管に入ったのだろう。最初のウチは咳き込んでいるだけだったが、じょじょに辛みが襲ってきて激痛が喉を支配した。
苦笑いで水を出したくれるマスターと懸命に背中をさすってくれる彼女。恥ずかしさなのか辛さからなのか、涙と鼻水が出まくった。
かくして四川炒飯と最悪なファーストコンタクトをした私だったが落ち着いて食べてみるとこれが他の料理に引けをとらず抜群に美味い料理だと分かった。美味い辛さというのは阿片様に癖になる(無論、阿片の経験はない)。口の中の痺れと滝のように流れる汗と格闘しながらも、炒飯をすくうレンゲが止まらない。
辛い。
だが美味い。
私はついに炒飯を完食した。マスターも笑顔で「辛いの好きだネ」と言ってくれた。
私はそれ以来、四川料理の虜である。
しかし、この嗜好には大きな代償が付きものだ。食べた翌朝、高確率で後ろがバーニングボルケーノする(失礼)。辛いものは二度刺すのだ。
辛いもの好きの先輩がこんなことを言っていた。
「あの朝方に昨晩の自分を呪いながらバーニングボルケーノするのも、辛いものを食う醍醐味の1つなんだよ」
と。
私はまだその域には達していなが、気持ちは分からなくもない。
なぜ辛いものに惹かれるのか。それはひとえに、私がマゾだからかもしれない。ドMなんてお洒落で可愛い呼び方は止して欲しい。敢えて言うならドマゾだ。ド・マゾ。その方がしっくりくる。
これからも、健康面になるべく差し支えないレベルで口内を刺す痛みと翌朝のバーニングボルケーノを楽しんでいこうと思う。
我こそはマゾであると言う方。四川炒飯、是非オススメである。
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