第3話 マズい飯(外食)
外食して初めての店で出てきた料理が不味かった時の絶望感たるや他にない。せっかく外食に来たのに身も心も悲しみに覆い尽くされてしまう。
外食、しかも初めての店。日常における小さな冒険といっても良い。冒険と言いつつ密かに期待してしまっている自分がいて、浮き立つ心ドントストップ・ザ・ロマンティックモードにならざるを得ない。なのにも関わらず料理が不味かった時のあの絶望感。他に表す言葉が見つからないほど辛い。
こんなことがあった。
数年前となりの町まで古本を買いに行った。自転車で真夏の夜の町を走り抜けながら私は爽快な気分に浸っていた。
目当ての本も手に入れたし、すっかり機嫌を良くした私は例の小冒険に出ることにした。となり町にある、いささか小汚い中華料理屋に挑戦しようというのだ。
「もつ焼き屋と中華料理屋は小汚いくらいが絶対美味い」
誰が言ったか知らないか、なかなかの名言である。
私は期待に胸を膨らませ店内に入った。
言い訳というか蛇足というか。この入店の刹那、本来自動ドアであるはずの扉の「自動」の部分にはマジックでバツが書かれていた。そのすぐ上に白い紙が貼られそこに手書きで「手動」と書いてあるのを見つけた時、私は「アレ?もしかしてやっちまったか?」と早くも後悔をし初めていた。
店内に入った私の目に最初に飛び込んできたのは全体的に薄暗くて狭くて汚い内装と、カウンターの一番手前で緑茶ハイ片手にだみ声で大笑いする客のババア。そしてカウンターの中でタバコを片手にだみ声で大笑いする店員のババアだった。
「あらー、らっしゃーんい」
タバコの煙を盛大に吹きながら何とも言えない鼻声でババアが最初に発した一言で、私の心は早くも折れかかっていた。
これは完全にやっちまっただろう。時刻は19:00。土曜。どう考えても平日の深夜的なムードの店内を見て、私はこの店が絶対に流行ってはいないことを確信した。
まあ待て。落ち着け。流行ってるイコール美味い店ではない。隠れた名店というのがあるだろう。それにこのやさぐれた雰囲気。嫌いじゃない。見ろ、さいとう・たかおの漫画がそこら中にあるじゃないか。これは昔ながらの名店に違いない。
私はそんな風に自らを奮い立たせ、適当なカウンター席に座った。というか、ババアに「らっしゃーんい」と言われた時点で踵を返して帰る度胸なんぞ私は到底持ち合わせていなかった。入店した時点で地獄行きが確定していたのだ。
「どんぞーい」
無駄に愛想の良いババアはお水とメニューを持ってきた。案の定というか何というか。コップもメニューも油と謎の液体まみれでぬるんぬるである。予想に反しメニューの数は豊富で様々な興味深い料理達が名を連ねている。
ラーメン、チャーシューメン、味噌、塩の他に中華丼やチャーシュー丼。チャーハン、餡掛けチャーハン。餃子や定食各種。そしてつけ麺である。この店は店の名前に「つけ麺や」を冠するほどのつけ麺推しなのである。つけ麺、肉つけ麺、野菜つけ麺、味噌、塩などなど。割と新しい店ならさほど珍しくもないが、この様な昔ながらの店でつけ麺を推すなど。よほど自信がなくてできないと私は睨んだ。
私は意を決して注文をする。
「肉つけ麺大盛り、あと餃子ください」
「あいー」
ババアはこれまた何とも言えない鼻声で返事をすると、中華料理屋によくある餃子を焼くらしい鉄板に火を点けた。
さて、ここで疑問があった。餃子を焼くのはババアとして。つけ麺は誰が作るのか。まさかこのくわえ煙草のババアがシェフ兼接客なのか。私の不安は肥大していた。
そこでババアが鉄板をそのままにして、突然近くにあったインターフォンを手に取った。
「肉つけ。‥ニクツケェェェェ!」
突然、ババアは今までの鼻声が嘘の様にヒステリックな金切り声を上げた。
ババアがインターフォンの受話器を置くと同時に、店の天井から「ドスドスドス」というけたたましい音が聞こえてきた。そしてズゾゾゾゾという例の手動ドアの鈍い音がしたかと思うと、小汚い白衣を身に纏ったオッさんが凄まじく不機嫌な顔で登場したのである。
どうやらこの小汚いオッさんが店のマスターらしく、客がいない時は上の居住フロア?にでも待機しているようだった。
オッさんは厨房に入るなりいきなり舌打ちをかます。
「チッ」
何がそんなに不機嫌なのか。もしかして私のせいか。私が注文したからオッさんは召喚され、それで不機嫌なのか。
登場して数分足らずで客に気不味い思いをさせるオッさんはある意味スゴ腕と言える。
登場の仕方はさておき、オッさんは素早い手つきで麺を茹であっと言う間につけ麺を完成させた。
私の目の前に「大盛り肉つけ麺」が出てくる。
見た目にまず驚いた。
通常「肉」の名がつくつけ麺はどちらかというと甘辛の濃い味がついた薄いコマ肉を想像する。しかし、その店で出てきた肉つけ麺はまさかの大量に盛られたチャーシューとつけ麺だった。
とにかく食べてみない事には何も言えない。私は大量に盛られたチャーシューを一切れ頬張る。
不味い。パッサパサで味がしない。つまりこれは、味付けされていないので麺同様につけ汁にドボンしなくてはならない。
ではつけ汁はどうか?
不味い。ただ塩っぱくて油でヌルヌルしてる。麺はどうか。
不味い。ヌルくて水でバシャバシャである。もっとちゃんと水切れ。と言いたくなる。
全体的に言い表すなら
「不味いチャーシュー麺をそのままつけ麺ぽくしただけの料理」
である。つけ麺ではない。つけ汁はただ調味料をぶち込んでいるだけで殆どガラスープで延ばしていないから喉にツンとくる。オッさんはつけ麺を推しているがつけ麺を勉強したとは一ミリも思えない代物だった。
私は大盛りにした事を心底後悔した。
オッさんは私に肉つけ麺を提供したと思ったらやおら煙草を咥え火を点けた。ひと仕事終えたようなドヤ顔である。それが印象的でかなりムカついたのを覚えている。
味見しろ。
煙草を吸い終わってすぐ、オッさんはまた上の階に戻っていった。
ババアの作ってくれた餃子といえば味や見た目は普通で美味かったが、なんだか臭かった。何が発する臭いかは定かではなかったが臭かった。とにかく臭かった。
しかし数年前のことなのになぜ細部まで細かく覚えているのかと皆さん疑問に思うだろう。当時の私は悔しくて、家に帰ってすぐPCのメモに書き綴ったのである。いずれ何かの役に立つだろうと思って半ベソで書き殴った。現に今、こうして役に立っている。
話を戻す。
臭い餃子と不味い大盛り肉つけ麺を何とか胃袋にぶち込み、私はスムーズに会計を済ませ店を出た。
もう二度とここに来ることはないだろう。私は心に固く決意して自転車を漕ぎ出した。が、ここで致命的なミスが発覚する。古本を店に忘れたのだ。
正直もうあの店には戻りたくなかったが、ずっと読みたかった本を手に入れておきながらまた買い直すのも嫌だった。何より、あの店ではせっかくの本がオッさんの尻拭きかババアの鼻紙になりかねないと思った。私は渋々店に戻った。
再び手動ドアを開ける。
「ダーッシャシャシャ!」
再びババアの笑い声を浴びせられる。
「あれぇ?どしたの?」
店のババアも客のババアも怪訝な顔である。そんなに注目しなくていい。
私は何も言わず先ほど座っていたカウンター席に行き、置いてあった本を回収した。
「忘れ物しちゃって‥」
変に思われても嫌なので最低限の言い訳はしておいた。
「あれー!?そうなのぉー?イヤだわーww気が付かなくてゴメンネーww」
「ダーッシャシャシャwww」
ババア達の盛大な笑い声に包まれ、私は逃げるように店を後にした。
「マタキテネーww」
まるで歳上のお姉さんにからかわれて走り出す男子中学生の様な状態だった。これは辛かった。
何故今さらこんなことを書いているかと言えば、先日久しぶりにこの店の前を通ったら潰れていたからである。潰れてしまったなら幾ら書いても問題ない。
不味い不味いと書いているが、もしかしたら他のメニューは違ったかもしれない。不味かったかもしれない。
外食に行って不味い料理が出てくると辛い。しかし時々はそういう体験も必要である。
こうしてネタになるのだから。
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