第一章

第1話 親父の腹と白い巨塔

ある初夏の昼下がり、俺は促されるまま父親のワゴン車に乗せられた。両親ともに前部に座っているが、ろくな会話もなく道を進んでいた。


二人とも厳しいような難しいような、そんな顔をしていて言葉をはさむ隙間が見当たらない。



それに俺はもう気付いている。



(あー、来る時が来たって感じ)


もうね、覚悟していた。だって俺働いてなかったもん、何年経ったか分かんないくらい。


オリンピックも結構あったし。2年に1回くらいあるよね、4年に1回とか言ってて。


建物もまばらな郊外の公道を、過ぎ去っていく主に緑の風景を眺めながら我が身の行く末を考えた。


多分施設だと思う。


この間、引きこもりの特集がテレビであったようで、まとめサイトに転載されていた。小ぎれいなスーツの焼け肌したあんちゃんがドアをぶち壊して50過ぎの豚男を引き摺り出し、説教を垂れていた。豚男は発狂の後号泣、施設にハイエースで連れ去られた。


正直、笑えなかった。


多分、両親もそれを見て考えたのだろう。自分からしても非常にゆるい親であったが、自分の息子をああまでならせたくないと強く思ったに違いない。俺も思う。


さすがに俺もちょっと努力を始めたとこだった。


おはようとかごちそうさまをちょっと大きな声で聞こえるように言ったり、犬の面倒もそれまで3割増しくらいでみるようにしたよ?


……


だめだよねー、だってまだ働いてないもんね。


まーでも、30過ぎてやり直すっていったらいい機会かも知れない。


ポジティブに行こうポジティブに。


あの豚男のいるような施設だったら一本書けるネタが出来るかも知れないし、ね。


あー

ひー

うー


やっぱ苦しいの!ちゃんとしなかったぼくが悪いんだけどね、人生崖っぷち万事窮す?取返し?やっぱどうにもならないんだなぁって。


分かっていたのです、このままじゃヤバいって、親孝行の一つもしないとマズイって。でもファイナルデモクラシーオンライン?あれが面白過ぎたのがダメだった……。軽い気持ちで手を出したら最後、ケツのでかい化け物を1日100回は狩らんと気が済まない体質になってからはもう、時間経ってる、経ってるもんね。実際引退した奴も結構いたんだよね……。


脳内で自分語りをしていると急に眠気が来た。車内に注がれる燦々とした陽光、ほどよく聞いたクーラー、両親の後ろ頭、遠い休みの空気。切なさと微睡が一緒になってぼやけて、夢に入る。


(今度は俺が運転してどっか連れていってやるからよ)


寝入った俺の顔を両親はバックミラーでチラリとだけ見た。



―――



(あ“ぁっ)


シートからずり落ちるようにして覚醒した。


トンデモナイ夢だ、悪夢だった、見知らぬ男に監禁されて幼児用の工作ばさみで毟るように時間をかけて裂かれてもう助からないもう助からないっ絶命ッするところまで見せられた、というか体感させられた、ぐしょぐしょに汗をかきながらクーラーに冷やされすぎていた。


目端を拭ったりしながら気を取り直していると、日没仕掛けのようで時折オレンジの光がチラついていたが、同時にここが山道だということ気付いた。


それもかなり深い、道路端には今年のものでなさそうな落ち葉が薄くへばりつき、アスファルトの見えているところは車一台分なさそうだった。


思い至る。


(心中?)


一家心中のこと?はいはいはい、そっち系ね?盲点もーてん、こないだ親父還暦だったでしょ?一緒にケーキ食べたじゃん、だから割と雰囲気点高めかなーと。引っ掛け引っ掛け、やるじゃーん、もー先言ってよー、俺遺書も書いてないよー、これから書かせてくれんの?心の準備!こころのじゅんび~!


あー死ぬのか。


練炭か、練炭だよなあ、親父もお袋も馬乗りになってロープで首絞めって柄じゃないもんなあ、まして刃物なんてな。


だったらさっき寝てるうちにやっておいてくれたら良かったのに。


(ずーん)


さっき見た夢とも相まってずーんとした気持ちになった。


なんだよ、俺がニートって割には仲のいい家族だったじゃないか。


何故だが死ぬことより、最後の最後には押し黙って車に乗って葬り去っておしまいにされようとしていることに憤ってしまった。


でも同時に自分の体たらくと思い直してしまって、怒りをぶつける言葉までは至らない。ぐるぐる考えながら、最後の瞬間には、


「親父、おふくろ、ありがとな」


とか当てつけがましく言って死んでやろう思った。このままじゃ悲しいお化けになってしまう。


こういうときって誰か一人に絞って想いを馳せられないものだな、友達少ないけど。時間は掛かるかもしれないけど、遺書だけはやっぱりしっかり書かせて貰おう。


でも時間足りなくて練炭炊いてからも書き続けてたらデットエンドもあり得るので、申し訳ないけど順番はつけさせてもらわないとな。


タッチでしょ、助清……あ、助清あとでいいや、しーちゃん、しーちゃん……!助清……。


しばらく会っていない、みんな元気かな。


と指折りながら想いを馳せていると車が止まった。片手で収まるくらいしか友達がいなかったな俺、いらない心配だったと思った。


「ほんとはもう少しだけ明るいうちに着きたかったんだけどな」


トイレのやり取り以外で実に久しぶりに親父が口を開いた。


(なんだよBBQでもするつもりだったのか)


「だいじょーぶ、まだおひさま残ってるわー」


これから死ぬ人間のものとは思えない、おっとりとしたいつも通りの口調でお袋が答えた。


「祐志郎、降りてお父さんについてきなさい」


一足先に車外に出た親父がそう言ってドアをバタンと閉めた。


とにかく黙って着いて行ってみようと、ノブを引いて足を外に出すと少し震えているのが分かった。


(かなしい……)


ただ何となくかなしい心持ちのままフラフラと親父とお袋の後を着いて行く、父親に手荷物はなく、母親もハンドバッグは車に置いてきたようで何も持っていない。ここにきて自殺の方法が一切分からない、俺じゃなかったら不安で逃げ出すぞ。


と心の中で悪態をついていると、いくらも歩いていないのに父親が立ち止まった。顔を上げて辺りを見渡すとかなり広い、広場というより高台というのだろうか。


ちょうどその中心あたりに立っているようだった。


「お父さん……」


母親が不安そうな声で呟いた。


「いいからお前は黙って退っていなさい、祐志郎お前もだ」


「ゆーちゃん少し離れましょ」


なんだかよく分からないままにお袋に手を引かれるようにして、親父から7~8mくらいだろうか、それくらいの距離を取った。


離れたところにいる親父は服を脱ぎ始めた。


訳が分からなかった。


ジーンズにワイシャツにジャケットの典型的なお父さんスタイルだったが、あっという間にパンツ一丁のお風呂上がりお父さんスタイルだ。


「なにやってんだよ……」


途轍もない恐怖を感じたときのように掠れて上手く声が出なかった。というか今感じているのがその途轍もない恐怖そのものだった。


助清がしーちゃんの誕生日にふざけておならでロウソク吹き消そうとしたら助清のイボ痔が爆発してしーちゃんも誕生日ケーキも血みどろになってあーくんとかタッチも交えた血みどろの殴り合いが始まって助清の血がお尻から止まらなくなって救急車呼んだら警察沙汰になって取調室で「助清くん危篤だって」と知らせを受けたときより怖かった。


というか親父あんなに太っていたか?微かな陽光の残滓に映し出された父親の体は以前に比べて明らかに太っていた。度々見ていたがあれは確かに太っている!


(まさか、腹の中に爆弾……? プラスチック爆弾‼?)


不甲斐無い息子に対して「俺はお前がどんなに堕落しても殺すことは出来ないが、道だけは示したい!俺は今から血肉火花なって散る!俺は花火だ!俺はお前の花火になるんだ!俺を見ろ!これがお前に送る最後のエールだ!!!」ということ!?どゆこと!?



「祐志郎、俺を見てろッ!」


あ、これはリアル音声だ。


ちょ、まてまって


「オヤジィィィィィィィィィィィ!!!!!」


「ゆーちゃんだめッ!」


咄嗟に前に出ようとした俺をお袋が制した刹那、親父の体が際限なく発光、或いは雷がその場に落ちたかのような、紫、赤、黄、それらを掻き消す圧倒的なまばゆい白、一寸遅れる轟音、そして目の前に散り散りになった親父の焦げ跡ではなく、突如として現れた巨大な塔を思わせる何か。白い。


(……白い巨塔?)


いや違う、建築物といった感じはしない、ほんのささやかに見せている『揺らぎ』が生物のそれなのだ。異様な迫力をもってただそれは存在している、今、現実に、目の前に。


その『塔』の部分を支える4つの柱と後方にしなったようなのがもう1箇所、どれも俺の身丈ほどあって3倍は太い。その根本、そのせり出した末端は鈍く尖って地面に食い込んでいる。


それが爪だと想起出来た瞬間、著しく情報が整理され、足、胴、尾、首と合点がいった。結果、それがあるものであると認識してしまった瞬間に一層の混乱に陥る。


おれぇこいつ知ってるよぉ?めっちゃぶっころしてん。あんま経験値美味ないんですわ、ね、て、え、ほひょー。


竜でしょ?竜だよね?ドラゴンつーの?


わかりませんなーこりゃもう。


薄藍の空に立ち昇るようにあげられていた長い首がゆっくりと落とされて、その顔は目の前にあった。深い罅のある硬質な皮膚、所々突き出ている大小無数の角、牙、そして巨大な鉱質物似た、水晶質の緑の目玉。


そして少し顎が開いて、カラー下敷きみたいな舌が出てきて、俺の顔を舐めた。


すでにショートしていた俺の回路は断末魔の叫びの如くもう一度爆発して、虚ろな目玉の焦点は何故かお袋と合った。


「お父さんはね、竜族だったの」


「オヤジが!?」


脊髄反射で叫んだ。


「あなたもよ」


「オレモ!?」


俺は脊髄反射で叫んでいた。


「おかあさんは違うの」


「ちげーのかよッ」


そう叫んだと同時に意識がプッツリと途絶えて失禁した。失神してから失禁したのか失禁してから失神したのか、今はもう覚えていない。

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