第参〇話
一行が帰ってくると、まずは店舗のほうにいた相楽と恵が驚きに目を見開いた。さすがに春臣たちがいきなり子供二人を連れ帰ってくるとは思わなかったらしい。
「おやおや……人攫いかと思いましたよ」
相楽に至ってはさらっと冗談とも似つかない台詞を口にする。春臣たちは一様に苦笑いを浮かべるしかなかった。
一方で、紅尾に抱えられた子供───初音とその側を離れない二葉の姿に気がついた恵は、眼鏡を押し上げた。
「……そちらは?」
春臣と夏樹はしばし顔を見合わせた。すぐに説明できる事情でもない。夏樹はちらりと二人を見ると、相楽と恵に向き直った。
「あぁ……ちょっと込み入っててな。できれば今すぐ、皆に事情を説明してぇんだが……志木さんたちはどこにいる?」
普段とは違って真剣な眼差しの夏樹に、ただならぬものを感じたのだろう。すぐに真顔になった恵が、彼の問いに答えた。
「志木ならば客間奥の仕事部屋だ。呼んでくるから、君たちは客間にいるといい」
恵が奥に消えていくのを見送ったあと、相楽も珍しく笑みを消して春臣たちに視線を戻した。
「では、私はお岩さんにここを任せて秋彦くんたちを呼んできましょう」
「お願いします」
相楽もまた店舗を足早に去っていく。ほどなくして入れ替わってやってきた岩峰に店を任せ、一行も母屋のほうへと向かった。
さすがにほぼ全員が集まると、客間はいささか窮屈に思えた。
二葉たちは、見慣れぬ場所に連れてこられたことでひどく緊張しているようだった。大池で会ってからというものその表情は硬く、ちらとも和らぐことがない。それは、岩峰を除く他の面々が客間に集うにつれて顕著になっていった。
「……なるほど」
一通りの話を聞くと、志木は腕を組んで座っていた椅子に深く腰掛けた。何かの作業をしていたのだろうか、その骨張った手には墨が点々とついていた。数拍黙りこんで、彼は卓子越しに向かい合って座る小さな二人を見下ろした。春臣には、その視線を受けて二葉が卓子の下で服の裾を握り込むのがちょうど見えた。
「……率直に訊こうか、君たち。あんな堤の下なんかで何を探していたんだい?」
しかし、志木を睨むその表情にはそんな弱さの欠片もなかった。志木の問いかけに、二葉は唸るようにただ一言答えた。
「……てめぇに言うこたねぇ」
「……なかなか頑なだね」
志木は苦笑を浮かべた。虚勢だというのは一目でわかるが、こんな大勢の大人に囲まれている中でも負けじといられるのだから大した度胸の持ち主である。
一方、その様子を傍で見ていた夏樹は堪らずため息をついて頭を掻いた。
「はぁ……さっきからこんな調子でさぁ。頑固坊主もいいところだぜ、ったく……」
するとすかさず、秋彦が横合いから口を挟む。彼は眼鏡を押し上げると夏樹をせせら笑った。
「お前は無駄に背が大きいし、その上人相が悪いからな。だんまりを決め込まれても文句は言えないだろう」
「あんだと、秋彦!」
「……俺ぁ、素秋の旦那も大概だと思うけどなァ」
当然の流れで夏樹が秋彦に食ってかかるのを眺めつつ、紅尾が煙管片手に呟く。春臣は彼の言葉にただ苦笑するに留めた。
他方、茶化された秋彦は背筋の冷える笑顔を紅尾に向けた。
「尾をちぎってやろうか?紅尾」
「オォ、こいつぁおっかねェや……」
猫又は肩をすくめていそいそと秋彦から距離をとった。さりげなく二本の尻尾を掴まれないように片手で持っていたのを、春臣は見てしまった。
各々の会話を宙に浮きながら聞いていた照鏡姫は、ふわりと態勢を変えると盛大なため息をついて一同を見下ろした。
「……お主らはちと黙っておれ。阿呆な会話ばかりで話が進まぬわ」
「はは、それは私も同感ですね」
照鏡姫の苦言に相楽が笑って同意する。青年たちは決まり悪そうに互いに顔を背けた。その様子を微笑みながら見ていた志木は、さて、と場を切り替えるように声を上げて、ひたと初音に視線を向けた。
「……ところで、そちらの坊や。さっきから何か言いたそうにしているけれど、どうかしたのかい?」
「………ぁ……」
一斉に客間の視線が初音に向かう。それに威圧されてしまったのか、初音は肩を震わせると硬直してしまった。そして、そんな彼を庇うように、二葉がぎろりと志木を睨んだ。
「……初音に話しかけんな」
「ほう?それはどうして?」
「理由なんざ関係ねぇだろ」
今にも噛みつきそうな勢いの二葉とは対照的に、志木はどこまでも平然としていた。彼は両手を組んで卓上に置くと、じっとその手負いの獣のようなぎらついた瞳を見返した。
「……たしかにそうだね。でも、僕は頭ごなしに疑ってかかるのは好きではなくてね」
これだけの人数が揃っていながら、かちこちと時を刻む時計の音がやけに大きく聞こえる。それはややもすれば奇妙な光景で、春臣はどこか、白墨と出会った夜の〈結城屋〉を思い出した。
ピンと張り詰めた空気の中で、志木は先を続けた。その姿には〈六角座〉の座長に相応しい貫禄があった。
「何かしらのことをしたのには、必ずそうするに至る経緯があるはずだ。僕はそれを知りたい」
人を煙に巻くような言動が多い彼にしては珍しい、心からの言葉だった。それゆえに、その言葉は真っ直ぐに二葉たちの心を揺さぶった。
「…………」
この大人は、信用してもいいのだろうか。
そんな迷いが二葉の表情を過ぎる。懐疑的な眼差しを注ぐ彼だったが、最後に口を開いたのは彼ではなかった。
「……簪を、さがしてたんだ」
その声は、彼の隣でそれまでずっと口を閉ざしてきた初音のものだった。
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