第参一話
初音が切り出した瞬間、椅子を蹴り上げる勢いで立ち上がったのは二葉だった。
「初音……!」
咎める声に負けじと初音も声を張り上げる。
「ぼくが悪いの!悪いことしたんだから、やっぱりぼくがしゃべらなきゃだめだよ!」
その姿は、先ほど白墨の画鬼に拘束されてわんわんと泣いていた子供とはまるで別人だった。少し声が震えていたがきっぱりと言い切った初音に、二葉は怯んだ。対して、そのやりとりを聞いていた志木は頬杖をついてぽそりと呟く。
「……なるほど、やっぱり君のほうだったか」
どうやら半ば予想はしていたらしい。それは彼の背後に控える恵も、宙に浮かぶ照鏡姫も例外ではないようだった。
二葉は何かを叫ぼうと口を開いたが、結局その口から何かしらの言葉が飛び出すことはなかった。代わりに、彼はやるせない思いをぶつけるように椅子を蹴り倒して客間を出ていってしまう。
「二葉くん!」
その後を追おうとした春臣を止めたのは、夏樹だった。彼は力強い瞳で春臣を見下ろすと、にっと笑った。
「大丈夫、オレがいくから」
「夏樹さん……」
「ああいう機嫌の悪ぃクソ坊主の相手は、オレが適任ってな」
不器用に片目を閉じて春臣の肩を二度叩くと、夏樹は羽織を翻して客間を後にした。その後ろ姿をやや不安げに見送った春臣だったが、不意にくぐもった笑い声がしてそちらを見る。すると、視線の先にいた紅尾が、ぷかりと煙を吐き出して笑っていた。
「あっちは朱夏に任せておけば大丈夫さァ、青坊」
その言葉には、彼の夏樹に対する全幅の信頼が見てとれた。紅尾はからからと笑ったあと、ふと初音の傍までやってくるとその隣でそっと膝を折った。そこには目線を初音にあわせてやることで、少しでも彼が話しやすくしようという紅尾なりの配慮があった。
「……それより、坊ちゃん。ひとつ訊いてもいいかい?」
初音は急に間近に獣人がやってきたことにおっかなびっくりといった様子を見せながらも、小さく頷いた。紅尾はそれにふっと笑みを浮かべてから続けた。
「お前のいう簪ってェのは、もしかして木の軸に硝子玉のついた簪かい?」
その瞬間の初音の表情ときたら見物だった。大きな目をさらに大きくして、しばらく口をぱくぱくさせていた彼は、たっぷり数拍の間を置いて思わず立ち上がっていた。
「な、何で知ってるの!?」
対する春臣や白墨といった朝の見廻りを担当していた面々は、その反応に互いの顔を見て頷きあった。簪の件を知っている恵や志木もまた、合点がいったような表情を浮かべている。
春臣は懐から簪の包んである手ぬぐいを取り出すと、初音の前にそっとそれを置いた。それから紅尾がそうしたように、彼の目線に合わせて傍らにかがみ込む。
「実はね、この間大池の堤下でたまたま見つけて拾っていたんだ。まさか、君の落とし物だとは思わなかったんだけど……」
事情を説明しながら、春臣は小さな手をとった。そして目にいっぱいの涙をためて卓上の簪を凝視するばかりの初音に簪を握らせる。
「……はい、どうぞ。今度はなくしちゃだめだよ?」
そう言いながら優しく頭を撫でると、幼い子供の涙腺は脆く崩れた。彼はぼろぼろと涙を流しながら、簪を両手で握りしめ、額にあてた。
「…かあちゃの簪だぁ……」
その光景は、見ている者の胸を打つものがあった。春臣があやすように頭を撫でていると、初音はぎゅっとその首に抱きついてきてさらにわぁわぁと泣いた。
「……にいちゃ、ありがと……っ!」
涙に濡れた言葉に春臣は目を丸くしたあと、優しく笑ってその小さな背に手を回した。ほんの少しだけ、もらい泣きをしてしまいそうになったことは秘密だ。
「……まこと、人の世とは時に思わぬ形でつながるものじゃの」
「……ああ、本当にな」
感慨深そうな声音で照鏡姫と白墨が呟いたのは、生憎幼子の泣き声にかき消されて春臣の耳に届くことはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます