第弐二話
結論から言って、薬屋は少年の行いをツケという形で許してくれた。始めはかんかんだった彼らも、少年の身の上を聞いて少しその態度を軟化させたのである。
いわく、少年は病床の母と小さな弟をもっていた。働き手となれるのは自分だけだが、十を少し過ぎたばかりの子供になんか真っ当な仕事が回ってくるわけもない。だから、日雇いであちこちを奔走しながら日銭を稼いでいたのだが、いよいよ母の具合が悪くなった。薬があればと思ったものの、今の稼ぎでは到底手がでない。ゆえに、スリに手を伸ばしたのだと、彼は語った。
初めはどこにでもあるような話じゃねぇかと言った薬屋だったが、少年の真摯な瞳に思うところが出てきたのだろう。しまいには、むっつりした表情でこう切り出してきた。
「おい、クソ坊主。おめぇさん、ウチで働いてみるか?」
これには傍らの春臣たちも目を丸くした。
「………は?」
無論少年が一番驚いたことは言うまでもなく、彼はただただ薬屋の皺の増えはじめた顔をまじまじと見ていた。初老の薬屋は、つんとそっぽを向いて続けた。
「ツケを払う金なんざねぇってんなら、ウチで働いて盗った分を稼いでツケ払え。それならいいだろ」
少年は急転した事態についていけずにひたすら口をぱくぱくさせているだけだったので、代わって春臣がおそるおそる薬屋に尋ねた。
「……いいんですか?」
すると、薬屋は苦く笑った。
「ほんとは警吏に突き出してぇとこだがよ、そんな話されちまったらやるにやれねぇだろ?兄ちゃんよ」
それから、彼はびっくりした表情を顔に貼り付け、ひたすら自分を見上げている子供を見た。その瞳には先ほどまでの怒りはなく、どこか慈悲深く優しいものがあった。
「……それに、おめぇくれぇの坊主見てると、どうにもオレの子供思い出しちまっていけねぇ。この際だ、きっちり世の中ってぇもんを教えてやらぁ」
「…………っ!」
ようやくこみ上げてくるものがあったのだろう。少年は泣きそうになるのを唇をかむことで堪えて、その場で深々と頭を下げた。……ぽたぽたと地面を濡らしたものについては、その場にいた誰もが見て見ぬふりをした。
「……ありがとうございます、僕からもお礼を言わせてください」
春臣が礼を言うと、薬屋は呵々大笑した。そして呆れたような脱帽したような目をする。
「しかしまあ、兄ちゃんもお人が良いなぁ。こんな坊主ひとりのためにわざわざ頭下げるなんて」
「あはは……性分と言いますか」
頭を掻きながら言うと、彼はにっと笑った。
「良い性分だが……あんまり頭は安く下げねぇほうがいいぜ?軽く見られちまうからな。あぁ、商人は別だけどよ」
「はい、肝に銘じます」
薬屋はその言葉に頷くと、少年の頭を雑に撫でて店の中へと戻っていった。それを見送りながら、紅尾が肩をすくめて口を開く。
「一件落着ッてな。いい方向に転がってよかったな、坊主」
少年はごしごしと涙の名残を拭うと、うつむいたままだったがはっきり頷いた。それから、春臣を見上げて包みの紐をいじりまわし、小さく言った。
「……兄ちゃん。ありがとうな」
その言葉は、残念ながら小さすぎて肝心の春臣には届かなかった。
「ん?」
「な、何でもねぇよ」
端で見ていた白墨がやれやれと首を振っている理由がわからず首を傾げていると、少年は包みを腕に抱えたまま一同を見回した。その表情には、年相応らしい笑みが浮かんでいた。
「……俺、二葉ってんだ。ほんとに……ありがとう」
「どういたしまして」
「あぁ、もうスリなんてつまんねぇことするんじゃねぇぞ?」
「わ、わかってら!」
夏樹の言葉にだけは少しだけ反抗して、二葉と名乗った少年は駆け出した。途中一度だけこちらを振り返って手を振るも、すぐに人波の向こう側に消えていく。その小さな背中に背負ったものは決して軽くはないだろうが、春臣はどうか彼のこれからが前途有望であることを祈るばかりだった。
それは他の面々も同じだったようで、皆二葉が行ってしまった後もしばしその場に立って動こうとはしなかった。やがて、ふわりと風が吹いたのを合図に夏樹がこちらを見た。
「それじゃ、帰るとするか」
「はい」
春臣もその言葉に頷いて、彼に続いて歩きだす。
「─────────」
通りの陰から自分を見つめる者には、最後まで気づかないまま。
彼らが立ち去ると、しゃらん、とひとつ、その場に椿の髪飾りが揺れる音を残して、陰もまた静かに消えていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます