第漆話
桜花宮の中は、まるで絵巻物のように壮麗だった。青色の桜花が咲き乱れる庭を臨みながら真っ直ぐに続く、舞台と母屋の部屋をつなぐ回廊。見上げれば精緻な透かし彫りが施された欄干が見え、天井には花をかたどった極彩色の絵が延々と連なっている。それらをずっと見ながらゆっくり歩いていた春臣は、部屋を行き過ぎそうになって後ろにいた白墨に心底呆れた顔をされた。
花散里の居室のひとつだというその部屋もまた絢爛で、一行は用意された
「さて、春御前よ。結局のところ不調の原因は何なのじゃ?見たところ、普段と変わらぬようじゃが」
早速と言わんばかりに口火を切った照鏡姫の問いに答えたのは、花散里の背後に置かれた几帳に止まった二羽の眷属だった。
「そう見えるのは、御君がこの空間にいらっしゃるからこそでございます」
「いつもならばこの時期は御君も外に出られて現世の春を楽しまれるのですが……」
「……つまり、外に出ると力の均衡が崩れるということかの?」
眷属の言葉の意を汲んだ照鏡姫が、花散里に確認するように尋ねる。彼女は目を伏せて頷くと、少し言いにくそうに答えた。
「……厳密には、力が絶えず少しずつ流れ出ている感覚があると申し上げたほうが的確でしょう」
「えっと……原因に心当たりは……?」
控え目な春臣の問いに、春の神はしばしの沈黙を挟んで躊躇いがちに言った。
「……実は、ここ最近桜の枝を折られていくことが多くて。わたくしは桜を依り代とする神ですから、例年になく調子が出ないのは恐らくそのせいではないかと思うのです」
「枝を……?」
秋彦が眉をひそめる。花散里はそこで物憂げにため息をつくと続けた。
「藤壺と桐壺にも様子を見にいってもらったのですが、あちこちの桜の枝が折られていたそうです。ひとつひとつの傷は小さいのですが、なにぶん量が多くて……」
「……なるほど。一番頻度が高い時間帯はおわかりになりますか?」
花散里は秋彦の質問に首を横に振った。
「いいえ、残念ながら……ただ、朝早くや夕刻が多い気がします」
秋彦は口元に手を当て、しばし考え込む。詳しい時間がわからないとなると、犯人が人か妖か、すぐには断定できまい。
すると、それまで黙って成り行きを見ていた眷属たちが不意に口を開いた。
「……何者かは存じませぬが」
先ほどまでの高らかな調子とは異なる桐壺の低い声音に一同がぎょっとしてそちらを見る。鳥姿はそのままながら、今は神気とも妖気ともとれる気を放っていた。
「御君のお力があって、このあたり一帯は戦火に遭わずに済んだというのに……誠に不敬千万でございます」
まさに神の傍仕えに相応しい貫禄に絵師たちはやや呑まれて黙りこむ。
「こらこら、いけませんよ桐壺。他の者を憎むのは良くない気を呼ぶと教えているでしょう?」
「はっ……も、申し訳ございません……」
桐壺をたしなめた花散里は、申し訳なさそうな表情で客人たちを見た。
「どうか気を悪くしないでくださいな。……ともかく、あなた方に頼みたいことはひとつです。これ以上枝が手折られないようになにがしかの手を打ってほしいのです」
秋彦と照鏡姫は同時に頷いた。
「承りました。座に持ち帰って話し合ってみましょう」
「ありがとうございます。そちらも忙しい身の上だとは承知なのですが……他の座には頼みにくくなってしまって」
絵師の言葉に、花散里はほっとしたように微笑む。対照的に秋彦と照鏡姫の表情はわずかに曇る。しかしそれも一瞬で、次の瞬間には照鏡姫がふわりとその場から浮き上がって、にっと笑っていた。
「我もいくつかの木を診て帰るとしよう。様子を見て、腐食が進まぬように術を施すが良いかえ?春御前」
「ええ、助かります」
花散里は、そこで春臣と白墨に目を向けるとふわりと笑いかける。
「そちらも。またいつでもおいでなさい。歓迎しますよ、玲陽殿の養い子とその式」
「あ……はい!ありがとうございます!」
「……あぁ、機会があればな」
すると、そこで白墨の言葉に眷属たちが反応した。彼らは几帳から飛びたつと、花散里の傍に降り立ち、つぶらな瞳で言った。
「胡蝶神にいらっしゃるのであれば、機会などいくらでもありますよ」
「御君はこの胡蝶神の守神ですゆえ!」
厚い忠誠心に裏打ちされたその言葉に、花散里は少し照れたように笑っていた。
そうして、春臣たちは幻想的な桜花宮を後にしたのだった。
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