第伍話
秋彦の後ろをついて、大池の縁をなぞるように歩く。昼時間近とあって、道端の屋台にはどこもかしこも人だかりができている。おかげで進むのにもひと苦労だ。
うっかり秋彦の姿を見失いそうになりながらどうにかその後を追いかけていると、不意に彼が道を折れた。堤から池近くの草深へとためらいなく下りていく。
「えっと……秋彦さん?ここって立ち入ってもいいんですか?」
春臣が堤の上から尋ねると、彼は半分ほど下ったところで振り返った。
「構わん。ここからでないと“中”には入れんからな」
「“中”………?」
首を傾げた春臣とは対照的に、隣に立った白墨は何かを察した様子で周囲を見渡した。
「ほう……これは大したものだ」
「え?何かあるんですか?」
「まぁな。さすがに人の子には見えんか」
白墨はため息をつくと、春臣の先に立って堤を下りていく。秋彦はそんな彼女を一瞬見ると、再び春臣に視線を戻した。
「とにかくついてこい。説明はすぐにする」
言われるがままに草深をかき分けその後を歩いていくと、ほどなくして池の畔にたどりついた。桜の花弁が吹きだまりのように岸に流れ着いていた。
そして、それを臨むようにして建つのは小さな社。小さいながら石で組み上げられた頑強なつくりをしており、丹塗りの鳥居が備え付けられていた。雨ざらしになるはずなのだが、鳥居には不思議と褪せたところがひとつも見当たらなかった。
「これは……?」
「“入口”じゃよ。春御前が住まう
春臣の問いに答えたのは、照鏡姫だった。彼女はふわりと彼の前に降り立つとふと空を見上げる。
すると、それを待っていたかのように住んだ鳥の声音が響き渡った。それから、どこからともなく一羽の鳥がやってきて鳥居の上に止まる。
「
基本的に鶯は警戒心の強い鳥であるはずなのだが、と春臣が目を丸くすると、不意に鶯が喋った。
「お待ち申し上げておりました、素秋さま、姫さま」
「!?」
少年はそれに心底驚いた。その様子を愉快そうに笑った照鏡姫は、鶯に視線を落として説明してくれた。
「こやつは春御前の傍仕え、桜守なんじゃよ。見た目こんなちゃっちい鳥じゃが、そこらの妖より遥かに力がある」
鶯はその説明につぶらな瞳を伏せ、嘆息するようにくちばしをかちかちと鳴らした。そして尾羽をいくらか上下させ、鳥は再び照鏡姫を見る。
「桜守の私どもを“ちゃっちい鳥”などと仰るのは姫さまくらいですよ……」
「ふふん、我に比べればそんなものじゃろう?」
偉そうに胸を張った照鏡姫と対照的に、秋彦は桜守に頭を下げた。端から見ると鳥に頭を下げるという、なんとも奇妙な構図である。
「申し訳ありません、桜守。俺の式が無調法で……」
「いえ、姫さまは御君の古くからのご友人ですし、素秋さまが気に病まれることではありませんよ」
「……寛大なお心遣い、感謝いたします」
照鏡姫は秋彦と桜守のやりとりが少々気に入らなかったようで、むっと唇をとがらせると腕を組んだ。
「ふん、何をわかり合っておるのじゃ。……それよりさっさと開けよ。我らも暇ではないゆえな」
「あぁ、そうでございました」
鶯の桜守はそこで咳払いをして、ばっと両の翼を広げる。
「それでは、ご案内いたしますね!」
そして、澄んだ声で鳴いた。
その瞬間、周囲の景色が一変した。池を囲っていた木々はその淡い桜色の花を目にも鮮やかな蒼の花に変え、空は満天の星空に塗り替えられて、水鏡に映り込んで境界がわからなかった。
そして、目の前には堂々たる威容の寝殿造が現れる。春臣たちは、半ば池の上にせり出すようにつくられたその丹塗りの舞台の上に立っていた。
「……すごい……」
言葉になったかすらよくわからない春臣の感嘆の声と、背後からくすりと誰かの笑みがこぼれ落ちたのはほぼ同時だった。
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