第弐章 〈六角座〉

第壱話

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 蕾の時は咲けよ咲けよと騒いでいた世の人々も、いざ散るようになると散るな散るなとあちらこちらで宴を開いて口々に言うようになるのだから、桜にとってみれば困りものだろう。いったい自分はどうすればよいのだという声が聞こえてきそうだ。

 今日もまた、名残惜しさに駆られた人々を乗せた大小さまざまな舟が水面に浮いている様子を横目にしながら、彼はそんなことを思った。

 ここは新都の中でもひときわ人でにぎわう、大池おおいけと呼ばれる場所だ。周囲をぐるりと桜並木で囲まれており、今でこそこうして人々の憩いの場として人気を博すようになったが、ここは長いこと帝の住まう御所を囲む堀に水を供給する防衛の要でもあった。時代を分けた先の戦においても、この大池を今の政府軍がとったからこそ革命は成ったのだと言われるくらいである。……まあ、二十年も経った今では、戦略の要衝も立派な観光地と化してしまったわけだが。

 ふと、ひらり、と花弁が一枚彼の目の前に落ちてくる。それをつかまえてみれば、淡い色の可憐な花弁は手のひらの上で優しい春の風にかすかに震えた。彼は小さく微笑むと、ふっと息を吹きかけて花弁を風に乗せてやった。

 自然の摂理に任せているからこそ、桜はこの上なく美しく心をとらえる。それを自分勝手に咲けよ散らすなと言うのは無粋というものだ。……それよりも無粋なのは、花より団子、風情より食い気を地で行く人間だろうが。そこまで考えて、彼は深々とため息をついた。

 そのときだった。彼に声をかける者がいた。

「どうしたい、旦那。桜散る下でそんな物憂げなため息ついちゃ、余計美男子に見えるぜ?」

 声のした方を見ると、そこには一人の獣人が手を振ってこちらを見ていた。黒猫の頭と二股に分かれた尾が特徴的な彼は、煙管をふかしながらにっと笑った。

「……紅尾」

 青年は小さく名を呼ぶと、目の前に立ったその獣人にかぶりを振った。

「今ここで、顔の美醜は関係ないだろう。俺はただ、花より団子は風情がない行いだと思っていただけだ」

 顔のことを言われるのは好きではない。その意味も込めてむっと顔をしかめたのだが、生憎とこの猫又はさらりとその苦言をかわして見せた。

「ハハ、そいつぁ同感だ。さすが旦那は風流人だね」

「……世の中に風流を解さない連中が多いだけだ」

 苦々しく言った青年に、紅尾と呼ばれた猫又はくくっと喉の奥で笑ってみせた。

「まあ、誰も彼もが旦那みてぇに団子より花見ってぇわけにはいかねえだろうよ。それじゃあ世の中つまらねぇ。ごった煮みてぇにさまざまいるから、世の中面白れぇんじゃねぇのかい?」

 青年はその言葉に沈黙で応える。紅尾はそれに特段気分を害した様子も見せず、ただ肩をすくめて話題を変えた。日の高い今、針のようになっているその黄色い瞳が日陰できらりと光って見えた。

「……ところで、旦那んとこのお姫ちゃんはどこにいるんだい?いつも一緒に居るのに、珍しいじゃねえか」

 青年は鼻眼鏡の位置が気に入らないのか、しきりにつけたり外したりを繰り返しながらもその問いに答える。

「あいつは置いてきた。居てもうるさいだけだし、今日は朝から志木さんも恵さんもそろってどこかに出かけていていないからな。結界の番をしてもらっている」

「ははぁ、なるほど」

 しばらく、双方に沈黙が下りる。がやがやとした喧噪がより大きく感じられた。どこかで出店でも出ているのか、冷やしあめを手にした子供が元気よく駆けていく。その様子を見ながら、青年は眼鏡をいじり、紅尾は煙管をぷかぷかとふかした。

「そちらこそ、ごった煮の主格みたいなお前の主はどこにいるんだ?」

 ようやく気に入った位置におさまったのか、青年が不意に口を開いた。紅尾はくるくると器用に煙管を手の内でもてあそぶと、それである方向を指し示した。その先を追った彼は、怒るよりも先に呆れた。

 そこは池のほとりにある甘味処だった。小さくてこぢんまりとした、なかなか好みの店構えをしている。だが、今はその前に、店にはとても入りきらないほどの人だかりができていた。

 その中心に見えたのは、赤と白の袖なしの羽織を着た青年だった。無心で次から次へと団子を食っているようで、彼の傍らに積まれた皿の数と串の本数は見えるだけでも胸がいっぱいになるくらいだ。

「……………………あの莫迦はいったい何をしているんだ?」

 頭を抱えた青年に、紅尾は至って普通の口調で言った。

「団子食い競争さ。なんでも、店の記録を突破出来たらタダ券がもらえるんだと。挑戦自由、突破出来たらそれまでの団子の代金はチャラになるってんで、張り切っちまってるわけだ」

「………………………」

 もはや言葉もない。あんなのを同僚とは認めたくない。あんな……風情の欠片もないようなやつを同僚とは呼びたくない。なかった。

 だが、見つけてしまったからには即刻回収しなければならないのは危急の問題だった。このまま放置してしまっては、自分以前に絵師という職業の印象が台無しになってしまいそうだ。

 決意の表情を浮かべた青年を、紅尾はちらりと見やって言った。

「旦那、一応弁明しておくが。……俺ぁ止めたからな?軽いノリで行っちまったのはあいつだ」

「それは……あとは俺がどうしても構わないということだな?紅尾」

 紅尾はただ肩をすくめただけで、無言を貫いたのだった。



 この後、盛大な怒声とともに青年が甘味処に乗り込んでいったことは言うまでもない。



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