第拾九話
翌日。
志木と恵が〈結城屋〉に来るのを待って、春臣、玲陽と彩玲、そして白墨は集まった。誰も何も言わない沈黙の中、時計だけが規則正しい時の音を立てていた。
そうしているうちに志木たちがやってきた。彼らは軽く挨拶をすると言葉少なに昨日と全く同じ位置に座する。
それを待って、白墨が早速というように口火を切った。
「……それで?結局どうすることにしたのだ?小僧」
春臣は一度大きく息をついた後、真っ直ぐに白墨の視線を受け止めた。
「……契約を、します。あなたと」
そのはっきりとした言葉に、志木と恵は驚きと少しの不安を混ぜたような目で彼を見て、彩玲は微かに顔をうつむけ、玲陽はただ静かに春臣を見ていた。
「春臣……いいのかい?」
志木の言葉に、春臣は小さくひとつ、うなずいた。それから、ふっと苦笑を漏らした。
「……大丈夫ですよ、志木さん。僕が自分で決めたんです。だから……大丈夫です」
ふと視界の隅で白墨がにやりと笑うのが見えた。それが小馬鹿にされたような気がして、春臣はむっとした。
「……何ですか」
「……いいや。思いの外、迷いのない目をすると思ってな。もっと悩むかと思っていたが」
白墨の言葉に、春臣は決意の滲む表情を崩さずに言い切った。
「僕にも、あなたに付き合う理由ができましたから。……あなたにただ利用されるのは、絶対に嫌ですしね」
「いいだろう。それくらいの気概は持っていてくれないと困る」
にやりと不敵な笑みを浮かべた画龍は、すぐに無駄のない所作で立ち上がった。
「では、早速だが契約をしてもらおうか」
春臣は小さくうなずくと、立ち上がって白墨の前に歩み出る。彼女は春臣の前に片膝をついて、頭を垂れた。
「…………」
春臣は大きく息を吐いて、表情を引き締めた。契約の儀については、今朝玲陽から一通り教わっていた。
いつも使っている筆と
同時に、朗々たる声で唱えた。
「汝、我に従う者。我、汝を導く者。旧き盟約の下、ここに新たなる契りを交わす」
すると、真っ白な懐紙に落ちた黒い斑紋が、その上で独りでにひとつの形を描き出す。
それはやがて、一輪の花をあしらった“紋”となった。
その様子を見ながら、春臣は続けた。
「我が名は
瞬間、持っていた札から紋が弾かれるように飛び出した。それは春臣と白墨の間を一回り飛ぶと、勢いをそのままに白墨の中に吸い込まれていく。
一瞬、目も開けていられないほどの閃光が部屋の中に充ちた。そして、それが収まると同時に白墨の整った顔には大きな変化が現れていた。
「……お前の紋は“菫”か。何とも地味だな」
開口一番そう言い放った彼女の左頬には、菫をかたどった紋が顕れていた。芽吹いたばかりの双葉のような鮮やかな黄緑色のそれは、白と黒のみの白墨の出で立ちの中でひときわ目立つものとなっていた。
対する春臣はというと、契約の儀が上手くいったのと思いの外力の消耗が激しかったのとでへなへなと畳の上に座り込んでしまった。
「坊ちゃま!?」
慌てて飛んできた彩玲の手を借りながら、春臣は改めて白墨に目をやった。彼女はその視線を受け、ふん、と鼻で笑った。
「その程度でへばるな、小僧。まだまだ修行が足らんな」
「うっ…………し、仕方ないでしょう……まさかこんなに疲れるとは思わなかったんですから………」
「ふん、まあいい。形はどうあれ、契約は成ったのだからな」
その様子を見守っていた恵は、ふと口の端に笑みを刻んだ。
「“菫”、そして“青陽”の雅号か………春臣らしいな」
志木も恵の呟きにうなずく。
菫───花言葉は、“小さな幸せ”と“誠実さ”。雅号は春の季語である“青陽”。本当に、彼をそのまま表したような紋と雅号だ。
「……それに、師である玲陽さんから一字もらっているのもまた粋だね。韻も似せているし……」
ちらりと玲陽を見る。老師はどこか寂しそうな、それでいてとても誇らしそうな、優しい表情を浮かべていた。
志木はそのことにまた笑みを深めると、再び春臣たちに視線を戻した。
画龍と契約を結んだ少年絵師。その背に背負うものがどれほど大きく重いものになるのかは計り知れない。
(………だけど、どうか今だけは)
その門出を、祝ってやりたい。
志木は、強くそう思うのだった。
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