第捌話

 臨時休業となったあと、春臣は一人、自室で寝転がっていた。

 あのあと、玲陽と彩玲と三人でもう一度蔵の中を探してみたが、春臣が見たはずの書物はやはりなかった。

(彩玲も術を強化するって言ってくれたし、志木さんも協力してくれてるけど……)

 胸の奥がざわざわする嫌な感じは収まってはくれなかった。春臣は枕にしていた座布団に顔を埋めた。

(はぁ……もやもやするなぁ……)

 そのまま突っ伏していたが、窒息しそうになったので数分と経たずに仰向けになった。

 墨と紙の匂いが満ちる自室は程々に散らかっていて、文机ふづくえ上には描き散らしては反故ほごにした紙が一面に散らばっている。手の届く範囲の畳には玲陽からもらったさまざまな書物が積んである。

 春臣は横になったまま、その山の一番上に乗せてあった札帳に手を伸ばした。手が触れた拍子に山が崩れたが、今は直す気になれなかった。

 春臣が手に取ったのは、今まで彼が描いてきた画鬼がまとめられた絵札帳と呼ばれるものだ。躍動感溢れる鷹や精悍な顔つきの犬など、描かれているものはさまざまだが、どの頁の画鬼にも通ずる特徴として挙げられるのは、瞳が描かれていないことだ。

 瞳を入れる行為──すなわち点睛するとき、それは画鬼を顕現させるときである。そして絵師は私事で点睛することを禁じられている。絵師にとって画鬼は剣士にとっての刀のようなもの──それを身を守る以外で使うことは許されない。その禁は法律という形で明確に示されているくらいだ。破った者は罪人として処罰される。

「絵師……かあ……」

 春臣はぱたん、と絵札帳を閉じると、自分の目も閉じた。

 一人前の絵師になるためには、いくつかの条件がある。まずは、式と契約を結ぶこと。それから、職業上の通り名となる「雅号」を持つこと。そして、自分の「紋」を持つことだ。この三つがそろって初めて一人前と認められる。

 春臣自身、絵師になるための修業を始めたのは遅くない。玲陽が直々に教え込んだ甲斐あって、筋もそこそこだと志木が言っていた。だが、不思議と彼は式に恵まれなかった。式がいないと、「雅号」も「紋」も決められない。特に「紋」は式の左頬に浮かび上がって初めて自分の形を知ることができるので、契約ができないと死活問題なのだ。

 春臣は深いため息をついた。

「……僕の式になってくれる妖なんているのかなぁ……」

 仮に同期がいたとすれば、もうとっくに一人前として世に出ていておかしくない。一人だけ大きく出遅れていることはわかっていた。

(……もし…式がいたら、こんなことにはならなかったのかな……)

 そんな気持ちがぐるぐると渦巻いて、春臣は気持ちを振り切るようにぎゅっと目を強く閉じた。

(あーだめだめ、少し寝よう。そうすれば、少しは気が楽になってるだろうから……)

 それは、幼いころからの春臣流の気持ちを持ち直す方法だった。

 そうして胸に絵札帳を抱えたまま、しばしの眠りに落ちていった。

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