第壱章 少年と画龍
第壱話
麗らかな春の朝。
その少年の一日は、店の神棚に手を合わせるところから始まる。小さな神棚には、商売繁盛やら家内安全やら様々な札が窮屈そうに並べられており、少し揺らしたら全て落っこちてきそうなくらいだった。
「……今日も良き日になりますように」
少々手狭だが、良質な紙と墨、それから筆がそろうと評判のその店に春臣が養子にとられたのは、彼が十歳のときだった。丁稚奉公に出された春臣をこの店の主人である
玲陽が他に丁稚をとらなかったこと、そもそも現在は“丁稚”という制度そのものが古くさいものとして考えられるようになったことなどから、春臣は祖父ほども年が離れた玲陽によく育ててもらった。玲陽は教養のある人物でもあり、読み書き算盤以外にも歴史や作法などさまざまなことを教えてくれた。
だから、どちらかといえば春臣にとって結城玲陽という人物は、「親」というよりは「先生」に近い。それゆえに、普段の呼び名も「父」ではなく「先生」だった。
「えーっと……。
開店前、品数を逐一確かめるところから、春臣の一日は始まる。
花霞は新都より西の、山深い郷の名だ。ほのかに桜色に染まった紙が特産物として知られ、絵師のみならず一般の客にも人気の一品となっている。夜玄の墨は、新都より遠く北にある、
丁寧に棚を見ていた春臣だったが、とある品物の前で足を止めた。
「あれ、
麻葉綴とは、書物の綴じ方の名前であり、その綴じ方が用いられた書物のことである。糸で綴じたときに、その模様が麻の葉の形に見えることからこう呼ばれる。他にも四ツ目綴、亀甲綴などがあるが、見た目の美しさからいっても麻葉綴が一番人気だ。
春臣はやれやれと肩をすくめると、ちらりと壁にかかった時計を見上げた。あと少しで開店時間だった。
「うわっ、早くしないと!」
このまま開店することは信用に関わる。もし結城屋を訪れたお客が求めるものが棚にないとなったら、結城屋の──ひいては店主たる玲陽の印象が悪くなる。それだけは避けたかった。
とりあえず「商い」の札看板を出すのは後回しにするとして、春臣は店の奥──在庫が置いてある蔵へと急ぐのだった。
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