第2話 彼女は革命家なのだろうか

 あれ以来、というか、それ以来というか、音羽の校則違反は度々起こった。髪の色が金であったこともピンクであったことも、あるいはドレッドであったこともある。次はモヒカンかな、などと周囲が軽口を叩くほどそれは受け入れられつつあった。


 榊音羽とは変わった女の子だ、と。


 中にはそれが可愛いという女子もおり、賛同の意をわざわざ彼女に伝えにゆく生徒もいたが,音羽は彼らに興味はなかったらしい。生徒指導の教師も何度目かのピンク色で生徒指導室に一日監禁するのをやめ、一時限だけ説教して終わりにするという方針に転向したようで、彼女は二限からは普通に授業に参加していた。


 はっきり言って、その鮮烈なピンク色は目に刺さる。染める前もショートボブのつやつやとした髪は綺麗だったが、ピンクになってもとても美しかった。なにかのコスプレができるだとか、ヲタ連中は口々に言っていたが、僕はそのキャラクターを知らない。それにも音羽は興味がないようだった。


 じゃあ、一体何が目的であんなことをしているのだろうか、と思う。


「ただ、好きなだけじゃねぇの? 目立ちたいだとか」と、まともな答えを呈するのが大柄のラグビー体型の高橋である。


ああ、ラグビー体型って言っても、ハンプティダンプティみたいなラグビーボールのような体型 (ああ、たまごか、あれは)という意味ではない。彼はれっきとした“普通の”ラガーマンだ。高橋はクラスは違うが僕と同じ中学出身でそこそこに仲がいい。昼飯を一緒に食うくらいには。


高橋自身はクラスの中でも中心にいるべき人物だと自認しており、なにかと集団を先導する姿が見受けられる。つまり、彼の言葉は外側のクラスの総意と捉えても良かった。事実音羽の度重なる奇行を真面目に捉える努力を無駄と感じたのだ。ああいう奴も世の中にはいる、と。


「別にさ、髪の色が違うだけで害があるわけでもないじゃん。あれ見て俺らも真似しようって思わないだろ」高橋はかきこんだ玉子丼を飲み込む前の口で言う。僕はそれを避けるような仕草をして返す。


「まあ、そうなんだけどね。だけどハードルは下がる。茶色ならいいんじゃないかって認識になって、全校生徒に拡散してゆくのが先生らは怖いんだろうよ」言いながらうどんの汁を最後まですする。


「俺たちにとっちゃどっちでも。要は女の子が可愛くなるなら髪の色だろうがスカートの丈だろうがどんだけ変わってくれたって構わないんだよ」


「っと、だよねぇ?」僕は目を丸くして人差し指の代わりに箸先を高橋に指し向けた。


「なんだ、よ?」高橋は不思議そうな目をして首をかしげる。


「いや、スカートの丈のことって言わないんだなぁ、って……」


「う? ううん? スカート丈って校則に載ってたか?」高橋は生徒手帳をめくった。「いやぁ、あるとは思うんだけど……」


 そんな話をした次の日かそのまた次の日かに、音羽は超ミニのスカートで登校してきていた。季節は冬で羽織ったコートで外ではそれは見えなかったものの、教室でその姿は露呈される。


推奨される普通の丈が十なら少し短い子が七ってとこだ。しかし音羽のそれは三くらいだ。いや、三がダメなら四でもいいが、とにかく異常に短かった。


 これは目のやり場に困る。というか周囲の女子の視線が男子を監視しているのが分かるだけに居心地の悪さはダブルパンチである。


悲しいかな興味がなくとも男というのはふくらはぎがあればそれを愛で、太ももがあればそれを拝む。太もものその上が望めるならば狂気にも似た視力と集中力で全力信仰する。もはや他のことには手がつけられない程に。


 正直見えたよ、見えすぎてあれはあれで、萎えた。


 そういう男子の視線をものともせず、校内を闊歩する音羽が何を考えていたかはわからないが、その表情は実に淡々としていた。よく言えば冷静、悪く言えば無表情。態度はいつもと変わらないし、周囲との関わり方も普通で、必要ならば会話もしている。そして相変わらず何もない時は独りだった。


 まあ、これもいずれ教師に指摘され、是正させられ、次の日にはやや短いものの標準的な女子のスカート丈に戻った。


「注意されたら戻すってのは素直なんだよなぁ、まあ別の手口でまた来るわけだけど」僕はカツ丼を口に頬張りながら高橋に言う。


「そうだなぁ、残念ながらというか、俺は見ていないんだけど。まあ、彼女のおかげでこの退屈な学校がほどほどに楽しいけどな」と高橋はわかめうどんの丼に残ったわかめを箸でつまみ、つるっと口に運んだ。


「ただ見えすぎるってのもどうかとは思うよ」正直、見たいと思って見るのと、見えてしまうのとでは視覚欲求に対する充足感に差がありすぎる。人によっては充足どころか嫌悪感すら覚えるだろう。


 考えてみれば女子が海辺で着用してるビキニなんて、下着かそれ以下の面積で運用されているわけだけど、あの状態を恥ずかしげもなく白日のもとで晒している彼女らも、露出狂というわけではなく街中では常識的感覚を持っている。そしてそれを普通に喜んでみている僕らがいる。OLのスカートのスリットからふとももが、いつもより多めに露わになっただけで股間に熱を帯びるような僕らが、だ。普通の女性が下着同然の姿でわんさといる浜辺と考えたら、本来は卒倒ものだろう。


「確かに、限度ってのは可変式だよな」高橋は腕を組んで食堂の高い天井を見上げる。


「可変式?」高橋にしては珍しい言葉を使うと思った。


「限度は状況によって変わる。シチュエーションで行動も変化する。だから音羽の行動も学校(ここ)でなければ変じゃなかったりする、だろ?」


「まあ、な。あったとしてもどこぞのイベント会場とか、ライブステージくらいだけどな」


 そう言ってから思った。じゃあ、僕らに、僕にふさわしく違和感のない場所はどこなのだろうかと。この学校なのだろうかと。そんな僕の思惟をよそに身を乗り出して高橋は訊く。


「で、何色だったんだ?」と――。どうでもいいじゃないか。


 一年も終わる頃、春先は春先でやっぱり音羽の奇行は続いていた。黒のトレンチコートにハイヒール、サングラスにギャングスターハット、要するに文字通りマフィアっていうのかギャングっていうのか、そういうのの姐さん的なやつ。それで登校してきた。中身は普通の制服だったし、靴は上履きに履き替えてしまえば関係ない。


 そういえば冬休み前の終業式の日はサンタの衣装で登校していた。もちろんこれも中身は制服なので何ら問題はない。ただの防寒着だと言い張られればグウの音も出ない。


 しかしこれは失敗だった。ここまであからさまだと逆に失笑を買うというか、やっぱりそれなんだ? と、より多くの複雑な捻りを求める声が湧き上がる。音羽にしては普通すぎる、とね。


 まあそうだよな。クリスマスにサンタなんだから当然といえば当然だ。ピザの宅配員だって着ているくらいだからな。


 その後のその後、二年生になって最初の日、彼女の髪は急激に伸びていた。年度末までは肩口までのショートボブだったのに、春休みが明けてみれば彼女の髪はストレートの腰まであるロングヘアーになっていた。


 種明かしをすれば、つまりズラだ。ウィッグとかいうらしい。今まで散々なコスプレというか、校則違反というか、そういう行為を続けてきた音羽だが、その奇行が目立ちすぎて本体の中身の方に人々が言及することは少ない。変な子だとは言われてもそれ以上の感想を持ち得ないのだ。彼女が次に何をするのかだけに興味を注がれているといってもいい。特にその奇行に関して本人に感想を言う事もない。


 正直なところ、彼女の顔は上品ではあるがすごく地味だ。体の線も細い。失礼な言い方だが彼女の素体だけで女性の魅力を推し量るのには無理がある。いや、本当に失礼で申し訳ないが。


 彼女は数日おきでこの素体をもって何ら問題のない学生を演じてもいる。毎日が変わっているわけではないのだ。


 ただ、その時の存在感のなさと言ったらもう、目も当てられない。彼女の魅力、彼女の個性、それは彼女のコスプレ行動にしか顕れていない。もはや音羽といえば“コスプレの子”と呼ばれているわけだが、普通で目立たなくて地味で、いてもいなくても気にならないほどの存在感の僕よりかは一歩か二歩かリードしている。いやもっとかも知れない。


 二年生になっても定期的にコスプレ啓蒙活動はおこなわれ、やがて教師も校則に抵触しない範囲内であれば、彼女の行為を咎めることなく、どこか楽しむ風潮さえ生まれだしていた。


 夏休みが明けて、僕が学食へ向かおうとした時、高橋に呼び止められた。


「鴻上、頼む! 今日は俺のおごりでいいから!」というのは、夏休みの宿題であった読書感想文の本を一冊も読んでいないので、なんでもいいから本のあらすじを教えてくれ、と拝み倒された。


高橋は大の読書嫌いで、文字を読んでると意識が朦朧としてくるのだそうだ。それはそれでなにか重篤な病ではないかと医者にかかることを勧めてみたが、体は丈夫だから大丈夫だと訳のわからないことを言う。


仕方がないので、僕は自分の頭の中にある物語をとうとうと述べてみる。それらが何の物語かなんてわからない。だって僕がいろんな話をツギハギして即興で作った物語なんだから。高橋は喜々として僕の口述をノートに筆記する。なんだか偉い先生になったみたいな気分だ。


「で、この話の題名はなんて言うんだ?」


「え?」


 とりあえず、後で思い出して教えると言って誤魔化し、約束通り学食カレー大盛りをご馳走になる。ま、どうせバレないんだし、タイトルなんてなんだっていいかと、カレーのご飯を突き崩しながら考えていた。


「しかし、なんか最近雰囲気変わったよな、この学校」高橋がカレーに生卵を落としてぐちゃぐちゃとかき混ぜている姿を見て僕は眉をひそめる。


「うん、ちらほらだけど軽く髪染めてる子も増えたよね。ピアスもあけてるみたいだし」


「なんつーの? 華やかになったっていうかさぁ……」顔がほころぶ高橋は一年の時よりも体が健やかに一・五倍に増えていた。関係ないけど、よく考えたら僕は一年中高橋と昼飯を食っている。一緒に食べるのが当たり前のように。


「まあ、それも音羽がかき回した結果なのかもしれないけどね」


 流石に教師もあそこまで徹底してやられると、校則の服装規定に照らし合わせて裁可をくだすことに虚しさを感じるだろう。


 先日廊下で先生とある女子生徒が言い合いしているのを見た。


「なんで榊さんはよくて、私はダメなんですか!」と。どうやら髪の色のことで注意を受けた生徒が、先生に反論したらしい。社会科の壮年の先生は十七歳の少女に多少気圧されながらも、苦々しく「あいつには信念があるからだ!」と言い切っていた。


 ある意味では納得がいかないこともない。信念。主張とも訳せるだろうか。音羽が教師に向けてそのステイトメントを弄したとは思えないが、まあ筋は通してやり抜いているという実績は認められているのだろうか。


 信念があれば則を破っても構わないというほど、社会全般に寛容性はないが、一定以上の力を誇示すれば対話のテーブルに同席することはできる。それは古今東西の史実が示すように、反乱軍が正規軍と戦った結果、対等な立場で講和条約を結ぶ。あるいは勝てば官軍式に、常識も規範も塗り替えられてしまい、新たな統治者に恭順するため人々はそれに準じ変化し従う。


 そうやって国を築いた革命家は数多くいる。その全てにおいて結果が良かったわけではないだろうが、世界はひとりの人間の手から始まりとなって変化を強いられることもある。


 じゃあ彼女は革命家なのだろうか。


 気が付くと僕は、右斜め後ろの席からいつも彼女を見ていた。その当たり障りのない磁器のようなつるりとした美しい顔は長い首に支えられ、じっと前の黒板を見つめていた。面相筆で書いたような切れ長の目と薄い唇。背がさほどに高いわけでもなく胸があるわけでもない。けして美人ではない。だが綺麗だと思った。

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