9 今ある日常へ…
*
八雲はハッと我に返った。
「今のは……ミコトの記憶……?」
そこで全てを悟った。
ミコトは父親の記憶が無いと言っていた。
それはあまりに幼い時分に父親を亡くしたために、ほとんど覚えていないという程度の話だとばかり思っていたが……違う……。
覚えていないのではない。ミコトはあまりにも惨たらしい父親の死を目の当たりにし、その現実を受け容れきれず、無意識のうちに父親との全ての記憶を封印したのである。
それは自己を守るために彼女の脳がそう働いたのだろう。そのような現実を受け容れるには彼女はまだ幼すぎたため、自己防衛の本能が働いたのだ。
それをミコトは今、思い出してしまった。十年以上封印されていた悲惨な記憶が一気に蘇り、ミコトの心に津波の如く押し寄せたのである。
「八雲よ……よく聞くのじゃ。ミコトは自信家で、常に己を完璧な者として位置付けておるが、それは虚勢を張ることで自己を保っているだけの事なのじゃ」
「ミコトが……?」
八雲は傍らで頭を抱えて蹲っているミコトに目をやった。
確かにそこにいる女の子は、いつも「完全無欠の絶対王者」などと宣っている……みんなから「狂犬」と恐れられる女の子ではなくなっていた。何ものにも怯える子犬のように、一人身を震わせて縮こまっている。
「ミコトの心は人一倍弱い……。それ故、外的に作用する物事に対して強くある事で、何とか己の存在意義を確立しようとしておる。心が脆く壊れやすいが故に、強固な鎧に身を包むことで、無意識のうちに己が心を守ろうとしておるのじゃ」
「それが……ミコトの防衛手段……」
勉強でもスポーツでも喧嘩でも、常にトップであり続けるというミコトの姿勢は、結局はガラスのように壊れやすい心を剥き出しにしておきたくないがためだったのだ。だからこそ、人一倍強く見せて、日常的に威圧的な態度を取っている。つまりはそういう事なのだ。
「ミコトの心が一人前になるまでは、誰かが傍で見守ってやる必要がある。ミコトが真に心を開いている者にしか、その役割は務まらぬ。そうしなければ、いずれミコトは孤立して、立ち直る事が出来なくなるじゃろう」
「その役割が……僕であると……?」
八雲の問いに、しばし沈黙が続く。
そして、亡者たちとともに葛の葉狐もあちらの世界へ消えようとしていた。徐々に中空に空いた穴が小さくなってゆく。
「八雲……ミコトの事……頼んだぞ……」
そして穴は完全に閉ざされ、葛の葉狐の声は空の向こうに消えた。
「そう言われても……」
八雲はあらためてミコトを見つめる。
幼き日の恐怖に、ただただ怯えるその姿は、こちらが何を言ったところで届かないような気にさえさせる。
(それでも……ミコトは僕を助けるために、慣れないことまで必死になってやってくれたんだ……。今度は僕がなんとかしなくちゃいけないんだ。ミコトの思いに応えるためにも……)
八雲はそっとミコトの背中を擦ってやった。
なんの意図があったという訳でもなく、自然とそうしていた。
そして感じた。
(ミコトに憑いたモノは既に原形を留めていない……。今、ミコトをこんなふうにしているのは、ミコトに憑いたモノの影響で蘇った彼女自身の忌まわしい記憶だ。封印されていた恐怖と絶望を呼び覚ましてしまったことで、ショックを受けてる)
亡者たちの欠片はあまりの小ささに、この世に形を留めておく事が出来なかったのだろう。それならば、あやかしを祓う力を持たない自分にも何とかできる……八雲はそう確信した。
「ミコト……とっても恐い思いをしたんだね。堪えられないくらい、辛い思いをしたんだね……」
八雲はミコトの背中を優しく撫でながら語りかけた。
「ミコトの中に眠っていた古い記憶……僕も見ることができた。あんな思いをしていたら、僕にだってとても堪えられなかったと思う」
依然として、ミコトの呼吸は苦しそうだ。先程と変わらず、頭を抱えて身を震わせているだけ。こちらの声など耳に届いていないように思える。
しかし、八雲は続けた。
「あの白い狐は、ミコトの心が弱いと言ってたけど、僕はそうは思ってないよ。ミコトはただ不器用なだけ。人って本来は弱い生き物だと思うんだ。それはミコトだけじゃない。僕だって同じさ。だから、みんなどこかで支え合って生きてる……」
(僕もミコトにそうやって助けてもらったのだから……)
タタリモッケに憑かれていたときの記憶はほとんど無いが、それでも度々ミコトの呼びかけだけは耳に届いていた。あの不器用で、人との接し方が極端に下手なミコトが、あそこまで必死になってくれたのだ。その気持ちは痛いほど嬉しかった。
それに八雲は知っている。かつてのミコトは今とはまるで違う……泣き虫で甘えん坊な少女であったことを……。
ミコトは根っこから変わってしまったわけではない。外側を取り繕ってはいても、本質は昔と何も変わっていないのだ。だから精一杯の虚勢を張っている。葛の葉狐に言われたことではあったが、八雲自身、そのことには少なからず気付いていた。ただ、確証は持てなかったし、そんなことを考えてミコトに勘づかれでもしたら、きっとミコトは怒り出すだろうし、自分を避けるようになっていたかもしれない。
その事が恐くて、自然と考えないようにしていたのかもしれない。八雲はそう思った。
「確かに自分を守るために虚勢を張ることは必要悪なのかもしれない。けど、もしもミコトが僕らに心を許しているのなら、もっと僕らを信じて頼っても良いんだよ。一人で意地を張って自分自身と戦い続けることにだって限界というものがあるんだからさ」
僅かにミコトの震えが鎮まったように見えた。
やはりミコトの耳に届いている。ミコトは一種の錯乱状態に陥っているだけだ。その心が完全に外部との繋がりを断ち切っているわけではない。そう確信した。
「僕はキミのお父さんの代わりにはなれない。けれど、キミが辛い思い、苦しい思いをしているときは、僕がキミの支えになる。頼りないかもしれないけど僕がミコトを守る。初めて会った、あのときのようにね……」
そう……初めて出会った、あのグラウンドの時のように……。
「だから……戻っておいで……。忌まわしい過去の記憶から、今ある僕らの日常へ……」
そう言うと八雲はそっとミコトの小さな体を抱きしめた。
「や……くも……」
ミコトがしゃくり上げながら、掠れ声で八雲の名を口にした。
そして、ミコトも八雲の体に手を回す。
「八雲……八雲ぉ! うあぁぁぁぁ……!」
あらん限りの声をあげ大泣きした。八雲の胸に縋りながら、その場でひたすら泣き続けた。
昔のままのか弱いミコトがそこに居た……。
八雲はそんなミコトの水滴が滴るほど濡れた髪を、幼い子供を宥めるように優しく梳いて撫でてやるのだった。
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