4 お好み焼屋にて

 午後の授業はあっという間に終わった。

 最後の授業は化学だったのだが、ミコトたちのクラスを受け持つ化学の教師は物ぐさなのか何なのか、いつも教科書通りに淡々と授業を進め、毎回定時に終了する。実に事務的というか、お役所仕事のような授業を行う教師で、学生側からすれば、もっとも眠気を誘うつまらない授業だ。が、その日最後の授業が化学であると、いつもより若干早く帰れるとあって、ありがたいという面もあった。

 ミコトを始めとした、いつものメンバーは一旦帰宅後、私服に着替えて瑞木のお店に集合ということになった。

 みんなで集まって課題をやるというのは、彼らの間ではよくやっている事であるため、八雲もこの段階では何の疑問も抱かず、


「十分前くらいには着くようにするよ」


 と、言い残してミコトたちと別れた。

 ミコトも帰宅後、黒に赤い文字でロックバンドの名前がプリントされたロングTシャツに迷彩柄のハーフパンツという格好に着替える。さらに首から自分の名前が刻まれたドッグタグを提げ、年頃の女の子というよりは、男っぽい出で立ちだ。

 もちろん、髪型はいつも通りのサイドテールだし、顔や体つきから見ても女の子であることは一目瞭然である。が、お義理にも色気あるとは言い難い。


(それなりの服装であれば可愛く見えるのにのう……)


 ミコトの意識には伝わらないように、クズは自身の奥底でそう呟いた。

 家を出る前に居間を覗くと、祖父の平造がいつものようにちゃぶ台の前に腰を下ろし、何やら民俗学の研究資料らしき冊子に読みふけっていた。ヘビースモーカーの彼は、こういうときになると咥えタバコのまま、灰が落ちそうになっていることにも気付かないで研究に没頭している。いつか火事になりはしないかと、静江やミコトは気が気でない。


「おじいちゃん。灰、落ちそうだよ!」


 ミコトが大声で呼びかけると、


「ん? ああ……」


 別段、焦る様子も無く、平造はゆっくりと灰皿にタバコを押しつけて火を消す。そして、視線だけミコトに向けると、なぜだか厳しい目つきになった。


「おめぇ……少しは変わらんのか?」

「え?」


 そのまま玄関の方に歩いて行こうとしていたミコトはキョトンとして、居間の入り口に立ち止まった。祖父の質問が理解できない。


「変わるって、何が?」


 すると平造は再び、ちゃぶ台の上に広げられた冊子に目を落とし、無言で頭(かぶり)を振った。


「え? な、何?」


 さっぱり訳がわからず、ミコトは目をパチ

 クリさせる。


「いや……。その様子では変わってねぇな……。何でもない。気にせず行って来い」

「は、はあ……」


 生まれてからずっと祖父と一緒に暮らしているが、彼は度々、こういった思わせ振りな発言をして、その度にミコトやリュウトは首を傾げる事になる。「極力、自分の頭で考えて、自分で答えを導き出せ」というのが平造の教育方針であるらしいが、まるで一休さんのとんちのようで、毎回、ミコトたちは祖父に振り回される形となっていた。

 幼い頃から祖父の事は大好きで、尊敬もしていたが、ずっと一緒に暮らしているミコトであっても祖父の考えている事はわからない事だらけであった。

 家を出たところで、不意にクズがクスクスと笑い声をあげる。


「な、何だ、急に?」

「おぬしの祖父じゃがな……なかなかに曲者のようじゃのう」

「そうなんだ。あたしにもよく理解できない事が多い」


 ミコトは眉間に皺を寄せて、軽くため息をつく。しかし、そんなミコトに対し、クズはスンと鼻を鳴らすと、


「孫娘であるはずのおぬしにはわからぬか……。ワシは数日、あの者を観察してきて、今し方申しておった事も理解できたがのう」

「な、なにぃ? ど、どういう事なんだ! 教えろ!」


 しかし、クズはただ笑うだけで答えをくれようとはしなかった。たったひと言だけ、


「自分で答えを導き出さなければならぬのじゃろう?」


 それだけ言って、それっきり黙秘権を行使した容疑者が如く、黙りこくってしまった。


「クソ~。おまえもおじいちゃんみたいな事をするな……」


 ブツブツと文句をたれるが、さすがにいつも祖父のそんな言動に振り回されているため、対処の仕方も慣れている。こういった謎かけのような事はいつまでも考えない。無理に答えを出そうとせず、さっさと忘れてしまうに限る! 

 中学生になった辺りから、こういった習慣が身についていた。



 瑞木の父親が経営しているお好み焼屋……店名は『いけずなおっさん』という妙な名前であった。

 昭和の大阪下町情緒を再現した二階建て木造建築で、一階が店舗。二階が住居となっている。店舗の入り口は格子の入ったガラス張り引き戸で、日焼けで色あせた藍色の暖簾が掛けてある。二階には手前に低い柵の付いた曇りガラスの窓がひとつ。いかにもレトロな外観で、ひょっとしたらエアコンすら付いて無いのではないか? といった先入観に囚われてしまいそうだ。

 入り口付近に置かれた看板は、店の外観とはミスマッチなイーゼルタイプの物で、喫茶店などに置かれていそうなオシャレな看板の割に、書いてある文言は〈焼いてまっせ!〉といった、いかにも……というか、ややインチキ臭い関西風のお好み焼屋のそれである。

 ミコトが元気良く、


「こんちゃー!」


 と、挨拶をして入り口の戸を開けると、既

 に八雲が先に到着していて、熱した鉄板の前にかしこまった様子で腰掛けていた。

 鉄板の向かい側で店の者が焼いてくれるスタイルになっているのだが、その場所には瑞木が立っていて、八雲とおしゃべりをしていた。


「お? 八雲、早いな」

「ミコトちゃん、いらっしゃ~い。つい二、

 三分前に来たんだよぉ」


 瑞木は相変わらずのお日様のような笑顔で迎える。

 一方の八雲は少々怪訝な顔をこちらに向けていた。


「ミコト……どういう事? 課題をみんなでやるって聞いてたけど、ここで待っててくれって言われたんだけど……」


 なるほど、八雲がそんな顔をしているのは、これからの趣旨を理解していないためらしい。


「何だ? 瑞木、こいつに伝えてないのか?」

「うん。だって、みんなが集まってからの方が良いでしょ? こういう事はサプライズが肝心だよぉ」


 そう言っている時点で何か別の事をやろうとしていることはバレバレな訳だし、既にサプライズにもならない。その辺り、意思の疎通が上手くいってない分、台無しと言えた。


「ま、まあ、表向きはみんなで課題をやるって話だったが……詳しくはみんなが揃ってから教えてやる。す、少し待ってろ」


 いつも通り尊大な態度のミコトだが、動揺を隠せずにいるのは誰の目にも明らかであった。

 すると店の奥から、


「おっ? ミコトちゃん、来たんかいな!」


 無駄に大きなだみ声。そして、短い胡麻塩頭の恰幅の良いおじさんが姿を現した。紺色の作務衣を着ているが、未だにミコトはこのおじさんが作務衣以外の姿でいるところを見たことがない。


「おっちゃん、こんばんはぁ」

「おうおう! 久しぶりやないかぁ! ここんところ、ちょっとも来てくれへんかったから、ワシ、寂しいてしゃあなかったんやで」


 彼は箕面勘一みのおかんいち。言うまでも無く、このおじさんが瑞木の父親である。娘の瑞木は遅くに生まれた子であるようで、父親である勘一は今年で還暦だとの事であった。


「久しぶりって……あたし、先月末には来たじゃないか」

「あれ? せやったか? どうも年を取ると物忘れが激しくなってしゃあないわ」


 そう言って勘一は「ガハハ!」と豪快に笑う。


「お父さんはミコトちゃんのファンやから」

「こ、こらっ! それは言わん約束やったろが!」


 勘一は年甲斐も無く顔を赤らめて、しどろもどろ。

 瑞木も父親と接するときだけは、いつものおっとりした感じが無くなり、少々意地悪そうに、


「お母さんも当分帰って来えへんのやし、ええんちゃうかなぁ?」


 などと、心にも無いことを言ってからかった。


「お、おまえ……なんちゅうことゆうてるねん!」

「ま、まあ、おっちゃんがあたしのファンという事に関しては悪い気はしないが……さすがにその発言はあたしでもドン引きだぞ、瑞木」


 この店に来ると、瑞木は口調も性格もまるで変わる。悪くはないが、方言が出るか出ないかで性格が変化するというのも、やはり妙な話である。

 しかしまあ、瑞木の言うことは冗談ではあるものの、母親になかなか会えない事に寂しさを抱いているという話は、以前、ミコトも聞いたことがあった。

 瑞木の母親は多忙な人物で、世界のあちこちを飛び回っている。それもそのはず、彼女の仕事はなんと戦場カメラマンで、一年のほとんどを世界各地の紛争地帯で過ごしているのだ。

 もちろん、年に数回は帰って来るのだが、ほぼ一緒に暮らしていないも同然であるため、瑞木にしてみれば、ほとんど母親の愛情を知らずに育って来ている。

 ミコトも二、三度、瑞木の母親には会った事があるが、勘一よりも大分若く、スラッと背の高いファッションモデルのような美人であったが、それは余談。


「しかしまあ、ミコトちゃんがウチでバイトしたいゆうんやったら、いつでも歓迎やで」

「またその話か。考えとく」


 勘一はミコトが店に来るたびにアルバイトの勧誘をしていた。悪い話ではないが、ミコトの方は別にバイトをしてお金を稼ぎたいとは、まだ考えていない。毎度、「考えとく」とは答えているが、これも単なる社交辞令に過ぎなかった。


「まあ、ミコトに料理関係の仕事は勤まらないだろうね」

「うわっ、京華! いつの間に……」


 いつ店内に入って来ていたのか、ミコトの背後には黒と白を基調とした装いの京華が立っていた。時々、このように気配も感じさせず近付いて来るあたり、侮れない女だ。


「てか、あたしに勤まらないってどういう事だ!」

「言ったまんまよ。あんた、料理作らせたら猿以下じゃない」


 さらりと辛辣な台詞を吐く。

 確かにミコトは料理というものが大の苦手だ。以前、家庭科の授業で野菜炒めを作らされたことがあるのだが、どこをどう間違ったのか、カレー作りのタマネギよろしく全ての具材が飴色になっている得体の知れない料理が完成したという前例を持つ。砂糖と塩を間違える程度ならば、まだ可愛いもので、ほとんどの場合が全く違うシロモノに変化してしまうのだ。


「そ、それは認めるけど……いくらなんでも猿以下ってのはあんまりじゃないか……?」


 珍しくシュンとしている。それだけ気にしているらしい。


「でもでもぉ、ミコトちゃんには得意なものがたくさんあるから大丈夫だよぉ」


 そうやっていつもフォローしてくれる瑞木の存在が本当にありがたい。もっとも、多くの場合が深く考えもせずにフォローしようとしているので、京華などに突っ込まれると二の句が継げなくなってしまう事がほとんどというのが玉にきずではあるが……。


「それで? 鉄平はまだなのか? 京華がバス停で待っててやってたんだろ?」

「ああ、途中までは一緒だったけど、準備する物があるからコンビニに寄るって」

「準備?」


 これには八雲が頸を傾げる。


「おまえは気にするな。あたしが頼んでおいた物だ」

「え? ミコト、あいつに何を頼んだの?」


 これについては、京華や瑞木も与り知らぬ事であるようだ。


「ふふん……。今回の集まりには重要なアイテム……とだけ言っておこう」


 ミコトはなぜか自信たっぷりに胸を張る。大層な鼻息だが、それがむしろ京華には不安要素でしかなかった。


(ホント……大丈夫なのかしらねぇ……)


 

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