5 奇跡的なバカ

 この日もいつも通りの授業が行われ、そして何事もないまま終わった。

 この日、最後の授業は英語だったのだが、この日は課題が出た。で、授業も終わったばかりだというのに、鉄平がミコトに早々と泣きついて来た。

 彼はどんな課題であろうと、まず自分で考えるという事はしない。ほぼ、他力本願。出された課題のうち、二割も自力でやれば良い方である。


「ミコトォ~、ここなんだけどよぉ~……」


 と、答えを聞く事が当然であるかのように、ノートを持ってミコトの席へやって来る。


「おまえなぁ……たまには自力で全部やってみたらどうなんだ?」

「オレが自力でやろうとしたら、この手の課題、終わるのに三年はかかるだろ?」


 なぜか得意げになって答える。無論、普通の学生なら一晩で終わるような課題だ。それでもミコトは、


「なるほど……。確かに鉄平一人でやってたら、課題が終わる前に卒業しちゃうな。それは問題だ」


 妙に納得している。


「でも、一部は自力でやってみたぜ」


 当たり前の事を胸を張って言うあたり、さすが鉄平と言わざるを得ない。彼が言うから、逆に「凄いじゃないか!」と、思わず褒めてしまいたくなる。

 で、彼が自力でやったという部分が日本文を英訳しろという問題のほんの一部分なのだが、それを見るなりミコトは目を細めて、しばらく黙りこくってしまう。

〈私は同意する〉という言葉を彼なりに英訳してあるのだが、彼のノートには〈I'm ugly.〉と書かれていた。


「おまえ……醜いのか?」

「へ?」


 そこへ京華もやって来て、ミコトの肩越しに鉄平のノートを覗き込む。そして、「ぷっ……」と吹き出した。


「文章も微妙に間違ってるし、アグリーのスペルも間違ってるけど、奇跡的に意味は通じるわね」

「同意するなら、〈I agree.〉だ」


 そう言ってミコトが正解を書いてやる。


「おまえの訳だと、『わたしは醜い』って意味だ」


 ミコトの態度は至って冷ややかだが、京華はミコトの後ろで大笑いしていた。


「ほうほう、なるほどな。間違っても意味は通じるとは……さすがオレだな!」

「何がさすがなんだか……。単におまえが奇跡的なバカだということだろ。何だったら今度からおまえの事、『醜いおバカの子』って呼んでやろうか?」

「踏んだり蹴ったりなあだ名じゃねえか!」


 一応、ミコトたちの学校も進学校であるから、決してレベルは低くはない。それなのに鉄平のような学生が一緒に存在している事が不思議でならない。

 もっとも、鉄平は入学したばかりの頃は決して今のようなおバカ学生ではなかった。優秀でもなかったが、少なくとも学年では平均レベルだったのだ。ところが、昇級するにつれて徐々に成績が下がって行った。そんな訳で、今では学年でも下の下という成績である。


「ミコトォ~。アタシも教えてほしいところがあるんだけど」


 いつの間にか京華も自分のノートを持ってきていた。


「仕方ないなぁ……」


 こんな具合に課題で分からないところがあれば、いつもミコト頼み。これが中等部からずっと続く光景であった。

 瑞木も時々、この中に入って一緒に課題をすることがあるのだが、今日は部活の参加申請のために席を外していた。

 そしてもう一人……。今までならミコトと並んで成績優秀な八雲が教える側に交ざっていたのだが、彼は先に帰ってしまったのか、既に教室内には姿が無かった。


(八雲の奴……本当に元気が無いな……。もともと大人しい奴だけど、あそこまで喋らないって事は無かったからなぁ)


 このところ、めっきり口数が少なくなった八雲の事が、やはりミコトには気懸かりであった。

 他人に対して冷酷で無慈悲とも言われるミコトではあるが、仲間に対しては別だ。親友四人に対しては表面上は他と変わらない態度を取っているが、その実、色々と気にかけてはいる。

 母親を失ってから元気を無くし、まるで抜け殻のようになってしまっている八雲に関しては、殊更心配していた。が、絶対にそれを表には出さないし、滅多に口にもしない。それがミコトであった。


 

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