レトロスペクション3

 あれは忘れもしない中学最後の年の出来事 同じ学年の生徒が怪我をして登校してきた。

 気弱そうな男子生徒で、本人は学校側に自転車で転倒したと報告したそうだが、あれは誰がどう見ても殴られたりなどの暴行を受けた傷だとわかった。

 それでも問題を表沙汰にしたくない学校側と、本人も何も話したくないという様子が在り在りと見て取れたため、教師たちも深く追及しなかったそうだ。

 その生徒の名は生駒修治いこましゅうじという、僕やミコトとは違うクラスの生徒で、僕たちとは特にこれといった交流も無かった。


「喧嘩するような奴に見えないんだけどなぁ」


 それが彼を知る学生たちの意見で、僕も見た限りでは全く同意見であった。

 とにかく、大人しくて、あまりみんなと賑やかに騒ぐタイプではない。友達が居ないという訳ではなさそうだけど、それでも社交的な人物と呼べるような生徒ではなかったように思える。

 まあ、僕自身、ミコトや京華、鉄平、瑞木のグループ以外の学生とはあまり付き合いも無かったけど、それでも彼ほど物静かという訳では無い。

 だから、絵に描いたような気弱で物静かな彼が殴り合いの喧嘩をするという事は、到底、誰一人として信じられる者はいなかっただろう。つまり……それは何者かから一方的に暴行を受けたという事だ。

 当然、校内はその手の話で持ちきりになった。


「誰が生駒を殴ったんだ?」

「ありゃあ一人じゃねぇな……集団リンチか?」

「高等部の奴か?」

「いや、外部の奴じゃね?」


 彼の耳に届いていたかどうかはわからないけど、みんながみんな、まるで探偵ごっこでも楽しむかのように、好き勝手に想像を膨らませ、ありとあらゆる憶測が飛び交っていた。


「うっといなぁ……」


 その当時、試験勉強に集中していたミコトは、この手の噂話を耳にするたびに眉間に皺を寄せていた。


「まあまあ、ミコト。人の噂も七十五日て言うからさ……」


 僕は精一杯なだめたつもりだったが、


「そんなに待ってたら、試験終わっちゃうだろ!」


 理不尽に怒鳴られる羽目になってしまった。そのうち、


「仕方ない。あたしが原因を聞き出して、解決してやる」


 などと言い出した。


「余計な事しない方が良いんじゃない? 厄介事に巻き込まれるのは御免だよ」


 京華は特に試験勉強に専念するでもなく、一方でそんなつまらない噂話も右から左へ聞き流している。だから、彼女にしてみれば周囲がそんな話で盛り上がっていようと、どうでも良い事なのだ。

 しかし、勉強に専念したいミコトにとっては、周りでゴチャゴチャうるさいのは死活問題。そんな訳で、京華が止めるのも聞かず、善は急げとばかりに生駒修治のクラスへと乗り込んで行った。


「おまえが生駒か?」

「え? そ、そうだけど……」


 この頃ではミコトは校内でも有名人で、既に高等部の生徒たちからも恐れられていた。そんなミコトが話しかけてきたとあって、彼は大いに戸惑っているようだった。


「その怪我、誰にやられたんだ?」

「え……そ、それは……」


 彼は口ごもった。もちろん、言いたくなかったに違いない。


「ほかの奴には他言しない。それだけは約束する。だから、何があったか言ってみろ」

「た、たいした事じゃないよ。転倒して、転び方が悪かったから、こんな怪我をしてちゃっただけだよ……」


 明らかに目が泳いでいる。

 するとミコトは矢庭にズイッと彼に顔を近づけ、恐い顔で睨みつける。目が据わっていた。


「おまえ、あたしを見くびるなよ。誰かに暴行を受けて負った傷だってことはひと目見ればわかる」

「うう……」


 もともと気弱な彼だ。居心地悪そうに、青い顔をして俯いてしまう。


「それに、ほかの連中がおまえの噂話ばかりしてるから、あたしの勉強の妨げになってる。こっちは迷惑してるから、さっさと片付けたいんだ」

「か、片付けたいって……あいつらをどうする気なの?」


 そこまで言って生駒修治はハッと口をつぐんだ。


「あいつら? やっぱり、おまえを怪我させたのは複数人なんだな? どこのどいつだ? どうしてそんな目に遭ったんだ?」


 狂犬と恐れられるミコトが矢継ぎ早に質問するので、彼はとうとう白状してしまった。

 彼の話によると、学校から帰宅途中、コンビニに寄ったのだが、そこの駐車場で四人くらいの暴走族に声をかけられたそうだ。そして、彼が気弱であることを良い事に、暴走族の連中は金を恵んでくれと要求してきた。

 もちろん、最初は彼も断ったのだが、立地的に人目に付きにくい場所であった事が災いし、彼は連中から袋叩きに遭い、手持ちの五千円を奪われてしまったのだと言う。

 さらに暴走族の四人は彼にこう言い残したそうだ。


「学校だの警察だのにチクりやがったら、仲間連れてテメェの家に火ぃつけに行くからな」


 そう言って彼の財布に入っていた学生証と保険証を持ち去った。


「なんだか……手口が恐ろしく古い奴らだな……」


 バブル期にそんな不良たちがわんさかと居たという話は聞いた事があるけど、恐らくミコトはそういった昔のヤンキーみたいだと言っているのだろう。


「ほかの街から来てる連中みたいだけど、最近、そのコンビニの駐車場にたむろしてる事が多いらしいんだ」

「なるほどな……それは有力情報だ」


 ミコトは何やら楽しげに頷く。


「よし! あたしに任せろ」

「え?」


 一瞬、僕も生駒修治も、ミコトの言っている事が理解できず、ぽかんとしていた。


「あたしがおまえの奪われた物とお金を取り返してやる。もちろん、おまえがやられた分も返しておく必要があるな」


 凜としてそう言い放った。


「いやいやいや!」


 そう言ったのは僕と生駒修治、ほぼ同時だった。


「ミコト、彼の話を聞いてなかったの? 相手は複数なんだよ!」

「そうだよ! それに仲間も大勢いるって言ってたし、歳だってボクらより上だよ!」


 しかし、ミコトは毅然とした態度で言ってのける。


「だから何だ? おまえはそんな社会のクズに理不尽に暴力を振るわれて、お金まで取られたんだぞ。おまえがそのまま泣き寝入りしようが、どうしようが知ったこっちゃないが、それじゃあ、あたしの納得が行かない」


 それだけ言うと教室を出て行こうとする。


「悪党はあたしが断罪してやる」


 戸口に立ち止まると、こちらに背を向けたまま呟き、そして去って行った。



 もちろん、この事態を放置しておけるほど、僕も無責任な人間ではない。

 残り一時限の授業を放棄して学校を出て行くミコトの後を僕は必死で追った。ミコトの方も僕が後からついて来ている事に途中で気がついたらしく、


「なんだ、ついて来たのか」


 これから闘いに赴く人間とは思えないような、呑気な口調で苦笑いした。まるで餌をやったらついて来てしまった野良猫を相手にするような口振りだ。


「いくら何でもほっとけないよ!」

「心配いらない。でも……そうだな……」


 いつになくミコトが深刻な顔をして唸った。相手が何人いるかわからないが、いつもの喧嘩程度では済みそうもない事はミコトなりに感じているようだった。


「とりあえず、おまえも来い」

「ええっ?」

「何も一緒に闘えと言ってるわけじゃない。むしろ、八雲が手を出すと足手まといになる。だから、おまえは物陰から見ていろ」


 見ていろと言われても困る。僕は目を白黒させた。


「そして、もしもあたしが不測の事態に陥ったら最終手段だ。警察を呼べ」

「いやいやいや! 普通に考えて、喧嘩になる前に呼ぶよ!」


 するとミコトは少し悲しそうな顔をこちら

 に向けた。


「頼む、八雲……。ウチの学生がやられたんだ。できる事なら、あたしが始末をつけたい」


 それがミコトなりの義の精神であった。

 自分の考えばかり周りに押しつけて、それに同調しない者には制裁を加えるという強引なやり方で恐れられているが、それでも、誰よりも自分の仲間たちを思っている。学校の仲間が酷い目に遭わされたのなら、その仲間の代わりに自分が相手を制裁する。


(まるで昔の任侠映画の親分みたいだ……)


 僕は「クク……」と声を殺して笑った。

 この華奢な女の子が、以前、テレビの再放送で見たことのある、清水の次郎長親分みたいな存在であることが妙におかしかった。

 しかし、心配は心配だ。

 いくらミコトが腕に自信があるとは言え、相手が何人いるかわからない。それに相手が武器を持っていたりでもしたら完全にミコトにとって分が悪い。

 ミコトがどんな相手であっても素手でしか闘わないというポリシーは随分と前から持っている。

 そのこだわりが裏目に出なければ良いが……。そんな不安がどうしてもぬぐい去れなかった。



 その後、生駒修治が連中に絡まれたというコンビニの駐車場に行ってみたのだが、例の暴走族の姿は見当たらなかった。見つからないのなら、それで終わりでも良かった。むしろ、そのまま何もなければ、僕にとっては御の字だ。

 それでも……その連中が近くの廃工場にたむろしている姿を見たという話を近所のおばさんたちが話しているのを偶然耳にしてしまったものだから、僕の僅かな希望もすぐに崩れ去ってしまった。


(タイミング悪いなぁ……)


 このときほど、おばさんたちの井戸端会議を恨めしく思ったことは無い。

 そのままミコトと向かった廃工場は二年ほど前に閉鎖された鉄工所だった。経営者が多額の負債を抱え、夜逃げしてしまったために、その鉄工所は今でも取り壊されること無く放置されているのだという。

 工場の屋根は半分抜け落ち、錆びた鉄パイプやら細かい金属片があちらこちらに散乱している。入り口には黄色と黒のロープが張られ、〈立入禁止〉の札が掛けられていた。

 しかし、正面は立入禁止のロープが張られていても、裏手の外塀が一部崩壊しているので、入ろうと思えば誰でも敷地内に入ることは出来る。

 しかし、ミコトは堂々と正面のロープを潜ると、躊躇うことなく敷地内に侵入する。

 僕も後に続こうとした。が、そこでミコトに止められた。


「おまえは裏手からこっそり様子を見てろ。奴らに見つからないようにな」

「え?」


 見れば半分朽ち果てた工場の入り口近くに何台かのバイクが駐めてあった。そして、その近くには聞いていたよりも多くの男たちが

 しゃがみ込んでいる。


「数は十一人ってところか……。なかなか歯ごたえがありそうだ」


 ミコトはキラリと光る八重歯を見せて、ニヤリと笑う。

 まるで喧嘩を楽しもうとでも言っているかのようだ。いや……事実、彼女は楽しんでいるのかもしれない。その相手が悪人であれば、彼女にとっては一石二鳥なのだろう。


「気をつけてよ」

「あたしを誰だと思ってるんだ? 心配するな」


 夕暮れ時を迎え、辺りは薄暗くなってきていた。

 彼らのいる辺りは、通りの街灯の明かりが届いており、工場の建物内とは違って、暗くなると何も見えなくなるという事はない。

 僕はミコトに言われた通り、裏手に回ると物陰から彼らの様子を覗う。

 ミコトはまるで知り合いにでも会いに行くかのように、スタスタと彼らの方へ近付いて行った。

 連中の一人がミコトに気付き、すっくと立ち上がると威嚇するように頭だけミコトに近づけ、わざと上目遣いに睨みつけた。

 ミコトが何かを言っている。でも、僕の立っている位置からはかなり離れているため、何を言っているのかはよく聞こえない。

 僅かに聞き取れたのは、


「おまえらがうるさいから近所迷惑だ」


 という事くらい。見ていた限りでは、生駒修治の件に関しては全く触れなかったようだ。

 でも、そこがミコトらしいといえばミコトらしかった。

 要するに本音は学校の仲間がやられた事に対する報復なのだが、仲間のためという事を僕らメンバーの前以外では、照れもあって大っぴらには口にしないのだ。

 そのあと、ミコトが二言三言、なにか挑発するような事を言ったらしかった。

 その場にしゃがみ込んでいた全員が立ち上がり、それぞれ武器を手にする。もともと持って来ていたと思われる釘バットや、工場内で拾ったであろう鉄パイプ。全員が武器を所持している中、たった一人、ミコトだけが素手のまま、だらりと両手を下げて立っている。

 連中はミコトを取り囲むが、ミコトは顔色ひとつ変えず澄ましたまま。

 一人がバットを振り上げ、ミコトに殴りかかった。

 あれは本気で殴りに行っている。殺すことに躊躇いが無いのか、それともバットで殴ればどうなるかわかっていないのか……。いずれにしても、直撃を受ければ即死さえ免れない程の一撃だ。

 しかし、ミコトはそれをあっさり躱すと、その男の顔面に右ストレートをお見舞いした。

 メキッという嫌な音。

 多分、その一撃で彼の鼻が折れたはずだ。

 僕はより様子がわかるように、もっと近い場所に移動した。幸い、ミコトたちのいる場所から五メートルくらい離れた場所に三本のドラム缶が置かれている。僕はその陰に隠れて様子を覗う事にした。


「なんだ、おまえら? 大層な得物を手にしてる割に弱っちいな」


 ミコトは鼻で笑った。


「てめぇ……マジでぶっ殺す!」


 喧嘩など、おおよそした事の無い僕にでもわかる。彼らの目には本気で殺意が込められていた。


「ふふ……少しは歯ごたえを見せてくれそうだな」


 どう見たってミコトにとっては危機的状況だ。それなのに彼女は、その状況さえも楽しんでいるかのようだった。

 ミコトの尊大な態度に彼らはとうとう激昂した。そして、ミコトに向かって一斉に襲いかかる。

 多くの攻撃はすんでのところで躱し、一人ずつ、確実にカウンターのパンチやキックを見舞うところは、さすがと言わざるを得ない。けれど、これだけの大人数から同時に殴りかかられているのだ。躱しきれずに直撃を食らっているところも幾度となく見られる。

 やはり多勢に無勢だ。

 しかし、それだけ全身に攻撃を受けても、ミコトは一切怯む事はなかった。むしろ、数で勝っているはずの相手を圧倒している。

 まるで手負いのライオン対ハイエナの群だ。数のうえで圧倒的有利であるはずのハイエナたちが、防衛本能によって鬼神のように暴れまわる一匹のライオンに片っ端から屠られている。。

 獅子奮迅というのは、まさにこの事を言うのだろう。

 そして、とうとう立っている相手は残り一人となった。

 その頃にはミコトも全身を滅多打ちされ、ボロボロになっており、脚もフラついている状態だった。黙っていれば可愛いとさえ感じる顔だって、原形を留めないほどに腫れ上がり、口もとからは血を流している。学校からそのまま来たから、着ていた制服だってボロボロだ。

 それでも、そんなボロ切れのような姿になったミコトを前に、一人残された男は青い顔をし、ガタガタと震えていた。既に戦意喪失していたのだ。


「ゆ、許して……」

「へ……へへ……。これに懲りたら、二度とこの街に来るなよ」


 そう告げるなり、ミコトは容赦無く相手の顎を下から上に蹴り上げた。

 それで終わりだった。

 全て片付いたと悟ったミコトは両膝をつき、前のめりにその場に倒れた。ほとんど、気力だけで立っていたのだろう。


「ミコト!」


 僕が駆け寄ると、ミコトは満足げに笑ってVサインをする。そして、


「さすがにちょっと疲れた……」


 そう言って意識を失ったのであった。


「ホント……無茶するよ……」


 結局、事後処理は僕がすることになってしまったのだけど、僕の知人に警察官僚が居たこともあってか、事件は大事にはならず、公になることもなかった。

 後日、早々に学校に復帰して来たミコトは、見た目だけは酷いナリであったけど、あれだけのダメージにも拘わらず、いつも通り元気いっぱいだった。

 そして、いつものメンバーの前に来ると、


「してやった」


 と、得意げに笑って見せたのだった。

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