第8話 大地のうた


「農夫と土」「祖国の土」「死の灰」

「もぐらもち」「天地の怒り」「地上の祈り」


そして「大地讃頌」。混声四部合唱とオーケストラのためのカンタータ「土の歌」の終曲。


原爆を落とされながらも、力強く甦った大地への感謝を歌った曲。



歌っていると清明な気持ちになれて、大好きな曲の一つだった。




(…なのに、何で…?)


歌おうとすると、声が掠れる。久しぶりに歌ったから?


それにしてもおかしい。普段は何ともないのに……


無理に出すと裏返りそうだ。



こんな事は、今までなかった。なかった…



思わぬ非常事態に、みちるはただただ凍りつくばかりだった。















(この曲を弾くのは、先月の卒業式以来かしら?)


ピアノを弾きながら、宮園玲子は頭の隅でふとそんな事を考えていた。


青陵学園の卒業式には、ほぼ毎年この曲が歌われている。これを歌う頃には感極まった女子生徒達が啜り泣きを始め、嗚咽混じりの合唱となるのが恒だ。


そして自分ももらい泣き。


しかし音楽教師になって、卒業生の為に「最後の伴奏」としてこの曲を弾く事はあっても、新入生の為に「最初の伴奏」として弾いたのは、これが初めてだ。


(なかなか面白いクラスね)


自分から率先して買って出ただけあって、教壇上の内川綾の指揮はほぼ完璧だった。


彼女の巧みなリードで、クラス全体の合唱も悪くない。あくまで「即席にしては」というレベルだが、出だしも揃っていて良く歌えている。


この出来栄えなら、みんな良い感じだと思っているだろう。顔も前を向いて、積極的に歌おうとしている姿勢も伺えた。


…ただ一人を除いては。


前例の端にいる、背の高いショートカットの女子生徒。少しボーイッシュな印象の素敵な顔立ちなのに、喉元に手を当てながら、気がつくといつも下を向いている。


(喉の調子でも悪いのかしら…?)


気にはなったが、そろそろ曲も中盤、暫しピアノのみの間奏に入るところだった。これが終われば歌は残りあと約2分弱、そして授業は終わり生徒は昼休みだ。とりあえず、宮園玲子は伴奏に専念することにした。





身体も喉も、調子なんて悪くない。喘息もなくなって、むしろ絶好調なくらい。


(なのに何で出ないの⁈)


クラスみんなが順調に歌っている中、みちるだけが一人戸惑っていた。そうこうしている内に、曲はピアノの間奏に入る。それを見計らって、目立たない程度に小さく咳払いなどしてみたが、何ら変わりもない。


(どうしよう、歌はまだ続くのに)


ジワリ、と若干の冷や汗が額に滲む。


(とにかく、この場を乗り切らなくちゃ…)


俯いてばかりいても逆に目立ちそうなので、顔を上げ、地声で小さく歌うことにした。


「〜………………………………〜♫」


いつもの声は出なかったが、歌っているうちにテンポを掴んで、なんとかコーラスの波に乗ることは出来た。


(そうだ、アルトパートで歌ってみよう)


そうなってくると、やはり歌いたいという気持ちが強くなる。いつもの歌声よりトーンを落とし、代わりにボリュームを上げて声を出す。


「〜…………………………………〜♫」


思ったほど悪くなさそうだ。


(やっぱり歌はいいな、歌ってる時が一番楽しい!)


調子が戻るにつれ、気持ちも高まっていく。




そして訪れた、クライマックス。



「〜………………………………〜♫」


内川綾の振る指揮棒に、音楽室内の全ての空気が集結するーー




……はずだった。




「あ#@&?aaaaaー…」





シーンと、さっきまでとは180℃違う、張りつめた重たい空気が音楽室を包む…



クスリ、と誰かが笑った。


するとあちこちで堰を切ったようにクスクスという笑い声が漏れ出し、ついには外に溢れんばかりの大爆笑がドッと湧き上がった。


その中心で、顔はおろか耳の先まで真っ赤に染めて佇む声の主。


「誰だよ、最後絞め殺されたトリみたいな声だしたのー」


「宇野だろ?狙ってやったのかよ?やり過ぎだってー」


「宇野ちゃんサイコー!マジウケる〜」


「…そ、そう?あり…がとう。アハハー」


クラス中の大爆笑に、引きつりながらもなんとか愛想笑いで答えたが、その心中は複雑なんてものではなかった。


調子に乗って、いつものような声を出そうとしたのは確かだ。但し、あくまで「いつもの声」であって、ヘンに力を入れ過ぎた訳でもなんでもない。


けど、今のアレは酷すぎる。一言でいえば…


「なーんだ、ウケ狙いかよ?宇野って見かけによらず超絶オンチなのかと思った」




誰かの何気ない一言が、グサッと音を立てて胸につき刺さった。










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