第5話 CANARY…
青い青い ガラス玉。
何処からともなく転がって
私の所にやって来た。
深い深い海の底。
そこからひとり抜け出して
やってきたのは良いけれど
奥でゆらりと揺れている
黄色い綺麗な鳥の羽根
それは月夜に放たれた
歌を忘れたカナリヤの
小さな小さな落としもの
カナリヤ カナリヤ、 いま何処に…
「みちる、みちる良かった、気がついた」
目を覚ますと、不安げに眉根を寄せて自分を覗き込む母が、安堵の息をついた。
「お母さん…ここどこ?」
白を基調とした飾り気のない部屋。家ではない事はすぐに分かった。見慣れない景色に、みちるは上体を起こして辺りを見まわそうとした。
「ダメよ、まだ寝てないと」
頭を擡げたところで母に制止され、やむを得ず再び枕に埋もれる。
そして初めて、自分が今どんな状態でいるのか気が付いた。
口には酸素マスクが当てられ、腕には点滴、傍らに備え付けられたベッドサイドモニターからは、小さな電子音が聞こえてくる。
どうやら病院にいる様だ。しかも、自分至上今までにない重篤状態。
「あなた、一時は大変だったのよ?お兄ちゃんのタバコの煙吸い込んで…。なんとか持ち直してくれたから良かったけど、そのあと2日も目を覚まさなかったんだから」
そう語る母の顔は化粧気もなく、長いストレートの髪は随分雑に束ねられていた。目の下には、紫色のクマも浮んでいる。だいぶ疲れている様子だ。
「タバコ…?」
母に言われて、ふと思い出す。ああ、あの時部屋で友達と吸っていた…タツヤの…
(タツヤ…?)
暗闇の中で出会った、一人の男の姿が脳裏に鮮やかに蘇る。
確かにあれは、死んだはずのジェットストリームのボーカル、タツヤだった。あの不思議な空間で自分を助けてくれて、お互いの「声」を渡したまま…
そこまで思い出してハッと目を見開いた。
「……声!」
「わっ!びっくりした。何よ、いきなり」
慌てて酸素マスクを外し、口元に手を持っていく。…息はちゃんとできている。声も出ている感覚がある。
(でも…)
「ねぇお母さん、私喋れてるよね?ちゃんと声出てるよね?おかしい?私、タツヤと声を…」
「あなた何訳の分からない事言ってるの、ちゃんと喋れてるじゃない。声だっていつもと一緒よ。どうしたの?」
ほら、ちゃんとマスクして、と呆れたように溜息をつきながら母はみちるに言い聞かせた。
「うん…」
促されるまま、病院の硬いマットレスに横たわり、ひとりモヤモヤと考える。
母の言う通り、確かに「声」は正常そうだ。
けど本当に、あれは夢だったのだろうか?それにしてはやけに鮮明に覚えている。流れも、「彼」とのやり取りも…
その時だ。
「おっ!目覚めたか、我が妹よ」
ガチャリという音と共に病室の扉が開き、ニカッと笑って、短髪の威勢の良い若い男が一人入って来た。
片手に持った缶コーヒーをボールのように投げながら、軽い足取りで近づいてくる。
彼の能天気ぶりはやはり生まれつきのものだったと、再確認せざるを得ない登場の仕方だ。黙っていれば爽やかな、なかなかのイケメンなのに…
「なーにが目覚めたか?よ。あんたのおかげでみちるは死にかけたって言うのに」
ドカッと隣に腰掛けた兄・圭太に冷たい一瞥をくれて、母は口を尖らせた。
「また、母さんは大袈裟なんだよ。ここ来て処置してもらったらすぐ回復したじゃん。医者だって薬が効いているから眠ってるだけだって。おまけに発作どころか喘息自体がなくなったんでしょ?万事無事解決、まぁ、オレのおかげ?みたいな」
そんな母親の言動を軽く流して、圭太は持っていた缶コーヒーを開け、グビグビと勢いよく一気に飲み干す。楽観的と言うか、脳内お花畑と言うか…まぁこの兄は昔からそんな調子なので今更気にもならなかったが、最後の一言には耳を疑った。
「えっ?私、喘息治ったの?」
「治ったかどうかはまだハッキリしないけど、あの発作が治まってから気道の炎症自体が全くないみたいなのよ。もともと小児喘息だから大きくなれば治ったりするけど…あら、いけない、先生に報告しないと」
そう言って母は立ち上がり、主治医にみちるが目覚めた事を伝えてくると言っていそいそと病室を後にした。
「じゃあ、オレは父さんに連絡入れてから大学行くわ。じゃあな不死身の妹よ」
「その一言余計だよ」
「本当だからしょうがない」
にやりと笑って圭太が言った。
兄妹でこんなやり取りをするのは久しぶりだ。圭太はみちるの頭をポンポンと軽く叩くとカバンを肩に掛け立ち上がった。
「ねぇ、お兄ちゃん」
圭太がドアノブに手を掛けた時、みちるはふと呼び止めた。
「何?」
「…タツヤは天国に行ったよ」
「は?」
「だ、だからジェットストリームの」
「まさかおまえタツヤに…」
信じられない、といった風に圭太が目を丸くする。
ジッと見つめ合う兄妹。黙って頷く妹に、圭太は真顔でツカツカ歩み寄りその顔を覗き込んだ。
「みちる…」
呟くように小声で呼んで、一瞬間を置く。
そしてシリアスな表情を浮かべたまま、大きく息を吸い込んだかと思うと一気に言い放った。
「おまえ、アタマまで行っちまったのかよって…いってぇ」
圭太めがけて、みちるが思い切り枕を投げつけたのは言うまでもない。
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