Chapter2 ──episode26

その後、詳しい段取りを話し始めた皆に置いてきぼりを食らった感じのしたアリスは、紅茶でも入れ替えようとポットを持ってそっとその場を後にした。キッチンへ戻ると、白で統一された棚から紅茶の入った缶を探す。棚の中にあったのはどれもこれも見たことのある缶詰めやレトルトばかりで、料理に使う調味料の類いはほとんど見当たらなかった。本当に食事に関しては皆手抜きらしい。

今度、食事の件について誰かに訊いてみようと固く心に誓ったアリスは、ほどなくして紅茶の缶を見つけた。しかし、取っ手がついた両開きのその棚は彼女が背伸びをしてもやや手が届かない微妙な位置にあった。

「踏み台は……ないか……」

不意に後ろから手が伸びてきたのは、アリスがまさに困ったと考えあぐねていたときだった。びっくりして振り返れば、そこには片手にお菓子ののった大皿を片手にしたルカが立っていた。

「探しものはこれ?」

「あ、うん。ありがとう、ルカ。届かなくてどうしようかなって思ってたところだったから助かったわ」

「どういたしまして!」

ルカは彼らしい陽気な笑みで応えると、大皿をテーブルの上に置いた。それから、引き出しから小さな紙袋をたくさん取り出してお菓子を包み始める。アリスはその作業に首を傾げた。

「何をしているの?」

ルカはリボンの扱いに苦戦しながらも教えてくれた。

「これはねー、明日会う子たちへのプレゼントなんだ。バベルは身寄りの無い子たちのお世話もしてる人だからね」

「……そうなの」

アリスは少しの間押し黙った。それから、手に持ったままだった紅茶の缶をようやく開けると中からティーバッグをとりだした。そしてケトルに水をくむと、火にかけて沸かしはじめる。

自分もクラウスに拾われることがなければ同じ立場にあったかもしれないのだ。実際〈災厄遺児〉は過酷な環境に置かれた人たちが多いと聞く。そんな中でも自分はとても幸運だったのだと、改めて思い知らされる。そして、そんな幸運をくれたクラウスに感謝ができなくなってしまったことが今はただ悔やまれた。皮肉にも、幸せというものは全てがなくなってから気がつくものであるということを、彼女はもう痛いほど知っていた。

ぼこぼこと湯が沸く心地よい音に耳を澄ませながら、アリスは未だルカの覚束ない手元に目を向けてちょっと笑うと彼を見上げた。

「ね、ルカ……私も手伝っていい?こういうのはちょっとだけだけど、得意だから」

ルカはアリスの提案にぱっと顔を輝かせた。その拍子に、せっかく半分くらいまでいっていたリボンの結び目がほどけてしまう。彼は顔をしかめると次いで苦笑を漏らした。

「オレ、基本的に細かいことは苦手だからさ……いっつもあの子たちには怒られちゃうんだよ。ルカはいつも三つ編みしてるくせに包み方が下手くそだって」

「そう言われれば……そうだね。いつも自分でやってるの?」

「ううん、これはフランチェスカがやってくれるよ。あと、気分が乗ったときはレーネも。あの二人はとっても器用なんだ」

少し意外な二人の名前が挙がった。だが、フランチェスカは普段から患者の傷口を縫ったり包帯を巻いたりしているのだから手先が器用で当然だろうし、レーネに関しては何でもできそうな雰囲気がある。特に驚くことでもなかったかもしれない。アリスは思い直して、リボンに手を伸ばした。

それから二人でしばしの間、お湯が沸いたのも忘れてラッピングに没頭した。ルカの不器用さは折り紙付きで、アリスも横からアドバイスをしていたのだが、結局彼女が大部分を作り終えても残念ながらひとつも完成には至らなかった。

「うう……結局アリスにほとんどやってもらっちゃったよ……」

「そんなに落ち込まないで、ルカ。人には向き不向きがあるもの」

明らかに落ち込んでいるルカの肩に手を置くと、彼はしゅんとした顔のままそっか……と相槌を打つ。なんだか濡れそぼったままの犬を相手にしている気分である。

すっかり冷えてしまったケトルをもう一度沸かすことにして、今度は二人で水が対流する音を聞く。お茶会はまだ続いているようで、賑やかな声が静かなキッチンにまで響いてくるようだった。

「……ねえ、アリス。オレ、自分ができること何かなってちょっと考えてたんだけど」

「え?」

不意にルカが零したのはもうすぐお湯が沸くというタイミングだった。仕掛けておいたタイマーはすぐに電子的なアラーム音を立て、仕事を終えたケトルを手に取ると、彼はその蓋を開ける。

「オレ、皆に比べてできないこと多すぎるから。こんなオレでも何ができるかなってちょっと考えてた」

少々危なっかしいが慣れた手つきで、ルカはティーバッグを沸かし立てのお湯の中に沈めた。ふわりと良い香りが鼻先を掠める。イチゴのフレーバーティーだった。

「オレさ、あんまり頭は良くないけど腕っぷしはわりと強いんだ」

ルカはそこで言葉を切ると、にっこりと笑ってアリスを見た。

「だからね、ヤバい奴らが来ても安心してね!オレには難しいことってよくわかんないけど、代わりに何があってもオレが守ってあげる!」

どこまでも真っ直ぐな言葉と笑顔に、アリスはしばらく言葉がなかった。どうしてか、彼女はその笑顔をこれから先ずっと忘れられないような気がした。

「……ありがとう、ルカ。すごく嬉しい……けど、無理はしないでね。あなたが怪我をしたら、皆悲しむと思うから」

「あ、そのへんは大丈夫!“ほんとにヤバくなる前に死ぬ気で逃げろ”ってクロムに仕込まれてるからね!」

アリスの言葉に、ルカは力強く親指を立てて笑った。つられてアリスも笑ってしまう。この屈託のなさがこの青年の良いところなのだろう。だからこそ、彼の傍にいると笑えるようになる。それは一見目立たないが、すごい才能のように思えた。

ラッピングをしたお菓子を二回りほど大きな紙袋に詰めると、アリスは紅茶入りのケトルを手にする。そこで、ふと思い出した。

「……そういえばルカ、お茶会であまり飲んで食べてしていなかったけど大丈夫?お腹すいてない?」

振り仰いだルカは一瞬きょとんとした顔をすると、次いでどこか決まり悪そうな表情を浮かべた。

「……ううん、大丈夫!オレ、実はアリスが手伝いに来てくれるまでの間に味見し過ぎちゃっててさ……あんまりお腹すいてないんだ」

今度はアリスがきょとんとする番だった。そして、ぷっと吹き出す。どうして味見のときにフロランタンを一枚きりで止めたのか、その思わぬ理由がわかってしまった。

「わかった。でもほんとにお腹すいたらちゃんと食べてね?」

「うん、ありがとう!」

ルカはいささか恥ずかしそうに三つ編みを指でいじくりながら礼を言った。アリスは頷いてキッチンを出た。

「……嘘、ついちゃったなぁ……」

ゆえに、彼が小さく零した言葉には気がつかないままだった。

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