Chapter2 ─episode25
〈ワンダーランド〉のお茶会は実に自由だった。かわされる情報は軽いものばかりではなかったが、各々は自分の好きな菓子を食べつつそれを聞き、ときには意見も述べる。深刻になるどころか世間話のついでのようなノリで話しているのを目の当たりにして、アリスは改めてこの集団はただ者の集まりではないのだと思い知った。
「……つまり、結局この人は二大組織のどちらからも狙われているということですか?」
クロムの話を聞いたあと、ケーキを頬張ったノアはもごもご口を動かしながら訊いた。先ほどから彼が食べている菓子の量は尋常ではなく、山盛りに持った傍から流れるように食べている。そのペースは一向に落ちる様子がない。さすがに人並みにお菓子が好きなアリスでも見ていて胸焼けするレベルだった。
「まあ、ざっくばらんに言っちまえばそうだな。」
甘いものが苦手とぼやいていたクロムはなおさらだったようで、さりげなくその光景から視線を逸らしながらノアに応える。ノアは彼の態度に特別気分を損ねた様子もなく、クリームたっぷりのケーキにフォークを突き立てながら、ふぅん、と相槌を打った。
「おいおい……冗談キツいねえ。」
二人のやりとりを聞いて苦笑を浮かべたのはフランチェスカだった。すると、彼女の隣に座していたレーネがくすっと笑って口を開く。足を組み替える何気ない仕草も、彼がやるとどうしてか優雅に見えた。
「冗談なんかじゃないよ、フランチェスカ。これは紛れもなく現実……そもそも、イヴの情報力で嘘だったらお手上げものだ。」
レーネの言葉にフランチェスカはただ肩をすくめるにとどめ、持っていたマグに口をつける。ノアはその様子を横目に、アリスに向き直った。アリスはいっそ刺すような鋭い視線に一瞬身を固くする。気づいているのかいないのか、彼は構わず先を続けた。
「あなた前世でどんな悪行してきたんですか?どうやったら社会の敵みたいになれるのかいっそ気になりますよ。」
さくさくとフロランタンを食べながら言ってのけるノアにしばしぽかんとしたあと、アリスは我に返って唇をとがらせた。
「そ、そんなこと言われたって困ります!ていうか、それむしろ私が訊きたいですよ!」
ノアはアリスの答えに鼻で笑ったあと、皿に取った分のフロランタンを平らげる。それから、次の獲物に目を光らせ始めた少年に、アリスは青筋が立つのを抑えるので必死だった。まったくかわいげがない。
クロムはそんな二人に淡く苦笑を漏らしつつも、いい加減冷たくなった紅茶を一気に煽って一同を見渡した。
「ともかく、現状はそんなとこだ。で、ここから先どうするかだが……。」
彼は次の一杯を注ぎながら、なんでもない話の続きをするような気安さで続けた。
「ひとまず〈騎士団〉をつついてみる。それで、あいつらが何を考えてアリスを捜しているのかを問いただす。」
彼の発言には場の空気が変わった。クロムはその反応に満足したようで、にんまりと笑いつつクッキーを一枚皿からつまみ上げる。
しかし、一人だけは冷静に切り返してきた。
「はあ?馬鹿ですか?」
ノアは心底そう思っているらしく、半目でクロムを見やる。それから、アイシングのかかったカップケーキを丁寧に剥がしかぶりついて紅茶を一口飲んだ。
「何でそんなギャンブルみたいな発想しかできないんですか?狙われてるっていうのに……出方次第では僕らもただじゃ済みませんよ?」
気難しい少年の手厳しい物言いにも、クロムはけろりとしていた。
「百も承知だ、んなこと。だから、始めにこっちから誘うのさ。」
「……!」
初めてぴたりとノアが動きを止めた。クロムはそれを見て笑みを深める。少年はその顔が気に入らなかったようで、思いっきり顔を歪めた。青年は不敵な笑みを浮かべたまま彼を見やり、カップを傾ける。きらりと緑の瞳が輝いた気がした。
「昔から言うだろ?虎穴に入らずんば虎児を得ずってな。」
誰も何も言わなかったが、ノアは返事の代わりにため息をついた。レーネとフランチェスカは同時ににやりと笑んだ。ルカはクロムの口にした諺の意味がわからなかったらしく首を傾げ、ミネッタはくすくすとおかしそうに笑った。
「また大胆なこと考えるわねぇ、クロムは。賑やかで面白そう。」
のんびりしたミネッタの言葉に笑ったクロムは、その視線を白髪の少年へと向けた。
「やれるか?ノア。」
ノアは面倒くさそうな表情を隠そうともせず、ちょうど攻略しかけていた青いアイシングのカップケーキをいささかゆっくりとした動作で皿の上に置いた。妙に緊張気味の視線が交錯する中、アリスは会話の意図がわからずにいた。クロムはノアに何を訊いているのだろう。
「クロムはノアに〈騎士団〉相手にハッキングを仕掛けろって言ってるのさ。」
そんなアリスにこっそりと助け船を出してくれたのはレーネだった。彼はティーカップを傾けると、一口飲んでふっと笑った。
「ノアはハッキングのプロなんだ。よくいろんな機関のネットに入り込んでるよ。」
アリスは目を剝いてレーネを見る。彼はいっそ呑気ともとれる表情でテーブルの端にあったパウンドケーキを一切れつまんだ。隣でフランチェスカが行儀が悪いとぼやいていたが、レーネはどこ吹く風だった。
「そ、それって犯罪なんじゃ……?」
謎めいた青年はケーキを何故かスプーンで食べながらアリスの言葉に声を上げて笑った。
「あはは、ここら辺じゃあ普通さ。この世の中キミみたいにまっさらで生きてこられたほうが珍しいんだ。」
レーネはこぼれた欠片を拾いつつ、つとその色違いの瞳を斜向かいに座るノアに向けた。
「で、どうするの?ノア。」
問われた本人はしばらく黙りこんで意味もなく手元のフォークをいじっていたが、やがて盛大なため息と共に口を開いた。
「はぁ……3日待ってください。足のつかないプラットフォームを用意します。」
クロムはその答えに唇をつり上げて笑った。
「そうこなくちゃな。」
「どうせ僕がごねたところで決定事項なんでしょう?あなたはいつもそうだ。」
ノアは肩をすくめてしばらく文句を言っていたが、やがてまた大きなため息をひとつ落とすと不意に不敵な笑みを浮かべた。実によく似合う、彼らしい笑みだった。
「……高くつきますよ。基本ポンコツですけど〈騎士団〉のセキュリティは他よりずっと堅いのは確かですしね。」
「でも、お前なら5分あれば十分だろ?」
「3分に訂正しておいてください。」
そう言うと、クロムは吹きだしてノアに向かって手を差し出した。ノアはその手を握ることこそせず雑に叩くと、隅のほうで手持ち無沙汰に座っていたルカに向き直った。
「ルカさん、たしか近いうちにバベルさんのところに行くって言ってましたよね?」
「えっ?あ、うん、そうだね!」
ぼうっとしていたルカは肩を震わせてそれに応える。ノアは頷いて続けた。
「なら、今回は僕もついていきます。いらない端末が手には入るかもしれませんから。」
「そっか、わかった!」
ルカとノアの話がまとまったところで、クロムが横合いから口を挟んだ。
「それならアリスも連れてけ。どのみちおっさんにはアリスのことは話しておいたほうが良いだろ。」
すると、ノアはあからさまに嫌そうな顔をした。面倒だ、と顔に大きく書いてある。
「………まあ、そうですね。」
アリスはそんな彼にめげそうになったが、おそるおそる訊いてみた。
「……えっと、バベルさんって……?」
「明日説明します。二度手間になるので。」
にべもない答えが返ってきて、アリスは今度こそ少しへこんだ。最初の出会いが鮮烈すぎて、彼との距離の取り方がわからなかった。
一方で、他にバベルという名で反応を見せたのは意外にもミネッタだった。彼女はふわりと笑うと手のひらをソーサーにしてマグを置いた。
「うふふ、バベルによろしくね。」
彼女の口ぶりからすると、どうやら親しい付き合いの人物らしい。ミネッタの言葉には、レーネがいつもの笑みを以て応えた。
「キミが言うと意味深に聞こえるのはどうしてだろうね?」
「あら、レーネったら。失礼しちゃうわ。」
ミネッタはふふっと笑った。その拍子に、柔らかな髪がかすかに揺れた。
アリスはそのやりとりを横で眺めて、やはりこの二人はミステリアスでよくわからないと思った。
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