Chapter2―episode15

ほどなくして、先頭を行くクロムが足を止めた。

「さあ、着いたぜ。」

その言葉に、アリスは周囲を改めて見渡す。そこは、先ほど雑談をしながら歩いていた通りから2本ほど路地を入ったところにある裏通りだった。建物同士が一層窮屈そうにひしめき合い、見上げれば屋根と何本も建物の間を走る洗濯紐に切り取られるようにして、青い空が見えた。

外を出歩く人の姿は見当たらない。それなのに、誰かに見られている気がしてならない。そんな居心地の悪さを覚える場所だった。

アリスは頭を振って、気を取り直してクロムの指し示す場所に視線を移した。そこには、建物と建物の間にひっそりと地下へ続く階段があった。その近くには、あまりにも申し訳程度な看板がある。

「情報屋〈水煙草の賢者〉……。」

いかにも怪しげな名前である。若干その雰囲気に圧されていると、レーネが突然真面目な声で話しかけてきた。

「気をつけてね、アリスちゃん。」

「えっ?」

真剣そのもの、といった風に忠告をするものだから、アリスは驚いて彼を振り返る。すると、声に違わぬ真面目な表情でレーネは続ける。

「これから会う情報屋───イヴはなかなかの曲者くせものだから。君みたいな可愛い子は取って食われちゃうかもしれないよ?」

「えっ……?」

そんな危険な人物なのだろうか。大いに困惑してしまったアリスに、クロムが落ち着け、と声をかけてくれた。彼はやれやれと呆れた様子でレーネを見る。

「おいレーネ……怖がらせてどうするんだよ。お前が言うと冗談も冗談に聞こえないからやめてくれ。」

「ふふ……過保護だなあ、クロムは。」

「俺が過保護なんじゃない、お前のいじり方が問題なんだ。」

「誉め言葉として受け取っておくよ。」

「今のどこに褒めと受け取れる要素があったんだ。」

にこやかな笑顔で言ったレーネに、呆れ顔でクロムは応えた。アリスは苦笑を浮かべながら二人を仰いだ。

「えっと………その人、大丈夫なの?」

彼女の言葉に、レーネは微妙な顔をする。

「大丈夫かどうかでいったら、大丈夫ではないだろうねぇ……。少なくとも、常識人ではないし。」

「まあな……だけど、俺たちと付き合いがある情報屋の中じゃ一番の古株だ。癖はあるが、持ってる情報はどこより早くて内容は濃い。そういう意味じゃ、信頼してもいいだろうよ。」

クロムはそう言うと、にっと笑って続けた。

「ま、一応あんたは極力黙っとけ。それが一番安全だろうからな。」

じゃ、行くぞ、と言って、クロムは地下へと続く細い階段に足をかけた。


実際に下ってみると、その階段は人一人がようやく通れるくらいの狭さで、しかも段差が妙に前へと傾いていた。壁を這うようにしてぽつぽつと取り付けられた電球は、その大半が切れていて用をなしていなかった。

クロム、アリス、レーネの順で地下へと下りていく中、アリスはずっとつんのめってクロムを突き飛ばさないか気が気ではなかった。幸いにしてそれは杞憂に終わったが。

階段を下ってすぐのところには、真っ黒に塗られた仰々しい印象のドアが待っていた。クロムはそのドアノブを握ると、ゆっくりとそれを押し開いた。ぎぎ……と重い音がドアベル代わりとなって、来客を告げた。

中はそれなりに広いようだった。階段を照らす明かり以上に暗いので、正確なことはわからなかったが。ただ、部屋の中央に椅子が一脚置かれているところだけは、スポットライトのように照らし出されていた。

そのときだった。

不意に目の前に立っていたクロムがはっと顔を上げて、叫んだ。

「!下がれ!」

「え─────」

その瞬間、突然暗闇から何かが飛んできた。正確に三人を狙って飛んできたそれを、アリスはクロムに突き飛ばされるような格好になってかわした。それと同時に、ぎし……という金属が軋む音がする。

暗闇の中から、椅子を照らす電球の光の下に現れたのは、能面のような表情のない顔をした不気味な男だった。

先ほど投擲とうてきされたのは、男が扇のように持っていたナイフだった。

「おいおいおい……マジで冗談じゃねえぞ……。俺たちだけならともかく、今はアリスもいるってのに……!」

クロムが焦りを滲ませた声で言うのと、男が腕を振るってもう一度ナイフを投げてきたのは、ほぼ同時だった。

「くそったれ……!レーネ!そっちは任せた!」

「はいはい。」

ナイフが飛び交う中クロムが駆け出す。レーネは軽い返事をしながら、ひゅん、と飛んできたナイフを最小限の動きでかわす。

「っと……危ない。」

そして、彼は何事もなかったかのように転がったままのアリスに笑顔で手を差し伸べた。

「大丈夫?ごめんね、イヴはいつもこうだから。」

「……いつも?」

アリスは訊きながら、ふとレーネの後ろに誰かがいるのに気がついた。一瞬見えた無表情と金属特有の銀の光に、ぞくりとする。もう一人いたのだ。

「───って、レーネさん、後ろ!」

思わず声を上げると、レーネは最初から気がついていたかのように振り下ろされたナイフを避けた。それから、振り返りざまに蹴りを見舞ってその手に持っていたナイフを弾き飛ばす。

「危ないなぁ……。」

ぶつぶつと呟きながら、レーネは背後をとった男に向き直った。細身の彼に、見るからに危なそうな男はいくら何でも無理だ。

そう思って、アリスが口を開こうとする前に、レーネはアリスに背を向けていた。

「アリスちゃん、ちょっと下がっててね。……あぁ、それから───」

彼はそこで肩越しに、もう見慣れた笑顔を浮かべた。今このときは、それがひどく心強く見えた。

「言うタイミング逃しちゃってたんだけど、ボクに敬語も“さん”付けもしなくていいからね。」

───そこから男が崩れ落ちるまで、実に数秒とかからなかった。レーネはダンスでも踊っているかのように軽やかな動きでナイフによる攻撃を避けると、3歩で距離を詰めて強烈な蹴りを相手の脇腹に決める。男が堪えきれずに取り落としたナイフを奪うと、レーネは膝をついた彼の首筋にぴたりとそれを押し当てた。

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