Chapter2―episode14
クロムとレーネに連れられて下層部を歩く。その間、アリスは二人から様々な話を聞くことができた。
まず、下層部は大きく分けて三つの区画に分けられることができる。
一つ目は、ゼルトザームで流通している多岐にわたる製品を作る「工場区画」。二つ目は、その工場区画で働いている人々やその家族が生活している「居住区画」。そして三つ目は、二つの区画の間を縫うようにして存在している「歓楽街」。他の階層に伝わっている下層部のイメージは、主に工場区画と歓楽街のそれだという。
「居住区画と歓楽街は、何が違うの?」
アリスの質問に答えてくれたのはレーネだった。彼は髪先をいじりながらも笑みを浮かべて口を開いた。
「歓楽街は、この下層部においても仕事に恵まれなかった人たちの住む場所さ。そうした人々は、もれなく犯罪者になり果てる。歓楽街は、いわばゼルトザームの最下層といっても過言じゃない。」
レーネはそこで一瞬視線をあらぬ方向へ向けた。アリスもつられてその先を追う。
ざわざわとした大通り。行きかう人波の向こう側。そこに、細い細い路地があった。その先に何があるのかはわからない。ただ、日の光さえ差し込まないほど暗く細いその道は、どこか不気味に見えて。
(……深淵。)
そんな言葉が頭をよぎった。アリスは知らず身震いをしていた。
レーネはアリスの様子に気が付いているのかいないのか、視線を前に戻して先を続けた。
「違法取引に違法営業なんてものは当たり前だし、些細なきっかけで人を刺しても誰も何も言わない。行きずりで死んでも、路傍の石と同じだ。」
彼はいたって淡々と語った。クロムを見ても、ちらりとこちらを見ただけで何も言わない。沈黙を以てレーネの言葉を肯定していた。
彼らにとっては、その光景はすぐ隣に横たわるものなのだ―—改めて、アリスはそう思った。
「………。」
「おっと、刺激が強かったかな?」
軽く首をかしげて訊いてきたレーネに、アリスは首を横に振った。
「……大丈夫です。むしろそっちのほうが、私が持っていた下層部のイメージに近いので。」
その言葉には、さすがのクロムも口を開いた。
「おいおい……あんなところと一緒にされちゃたまんねえな。」
「ふふ、その認識のずれもまた現実の一つってことでしょ。」
苦い表情を浮かべるクロムの横で、レーネがくすりと笑って言った。
そうこうしているうちに、あたりの雰囲気はだいぶ変わっていた。
人の多さは相変わらずだが、つなぎを着たの男性たちの姿が多くなった気がする。建物もこまごました雑居ビルは少なくなって、代わりに大きな倉庫のような建物がちらほら姿を見せ始めていた。
「この辺り、さっきと随分雰囲気が違うのね……。」
きょろきょろとあたりを見まわしながら言うアリスに、クロムが応える。
「この辺はそうだな。工場区画と居住区の境目ってあたりか。ちょっとした個人経営の工房なんかが多い場所でな。見た目はチンピラだが、根はいいやつらが多い。」
随分と知ったような風に言うクロムを不思議に思い、アリスは彼を見上げた。
「?どうしてわかるの?」
「俺は時々、ここいらにある工房に出入りしてんだよ。世話になってる人の手伝いってところだな。」
その答えに、アリスは〈ミネッタ・フランチェスカ〉に来て、初めてクロムが様子を見に来てくれた時のことを思い出した。あのときは精神的にそれどころではなかったから、疑問を口にすることもなかったが。
今にして思えば、あのときのクロムの格好はここにいる作業着姿の男性たちのそれと同じだった。
「……じゃあ、あのときつなぎを着てたのって……。」
「ん?……あぁ、あのときか。」
皆まで言わずとも、クロムは理解してくれたようだった。
「そ、ちょうど工房の手伝いをしてたってわけだ。」
すると、それまで二人の会話を黙って聞いていたレーネがにこにこと笑いながら口を挟んできた。
「クロムは手先が器用なんだよ。だから、いい仕事をするって評判なんだ。」
「へえ……!」
感嘆の声を漏らしてもう一度クロムを見ると、彼は帽子を被りなおして言った。
「ガキの頃から、そういうのに触り慣れてるってだけだぞ?別に大したことじゃない。」
そう言った彼の口元が、少しだけ照れたように笑んでいたのには気づかないふりをしておこう。
アリスはくすっと笑ってそう思ったのだった。
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