Chapter2―episode12
アリスが下層部に対して持っている知識は、人並み程度のレベルだ。
階層社会〈ゼルトザーム〉の最下層。この社会の生産機能を一手に担う場所であり、住む人たちの所得水準は平均よりも低いとされる。また、歓楽街なども多く、それゆえに犯罪が絶えないと言われている。
クロムとレーネに続いて〈ミネッタ・フランチェスカ〉を出たアリスは、二人に導かれるようにして閑静な細い通りを歩く。道の両脇に連なる雑居ビルはどれもあまり人の気配がなく、病室のブラインド越しに見たように外壁が汚れていて、ところどころに亀裂が走っていた。
きっと、街の至る所がこんな雰囲気なのだろう。そう思っていたのだが、アリスの予想はいい意味で裏切られることになる。
「―――………。」
大きな通りへと足を踏み入れた瞬間、思わず立ち止まってしまった。
そこには、荒んだ街の姿など微塵も無かった。雑然としているのに空気全体が大きく対流しているかのような、ただただ圧倒される活気と躍動感に溢れていた。
道を行き交う人の数は、中間層部の比ではない。道の幅が中間層部よりも狭いこともあるのかもしれないが、それにしても人が多い。通りを見渡せば、そこかしこに屋台が立ち並んでいる。昼時にはまだ早いが客は目まぐるしく入れ替わり、皆足早にどこかへと向かいながら屋台で買ったものを頬張っている。
見上げれば、晴れ渡った空を背負って多くの機影が駆け抜けていく。頭上を飛ぶエアバイクは改造されているのか、地上の喧噪に負けないくらいの爆音を響かせながら飛んでいく。速度の遅い機影は、エアスクーターだろうか。中間層部ではもはや骨董品扱いされるようなエアバイクの前身だが、ここでは健在だった。いずれも中間層部では違法走行で捕まるレベルの低空飛行で、機体の細部までよく見えた。
機影群の向こう側には、中間層部を支える鋼の壁が見えた。青空を背景に壁を見上げる――字面だけ見れば同じことなのに、あの壁が支えているのが今まで自分が住んでいた場所なのだと思うと、なんだかとても不思議な気分になった。
声も出せずに立ち尽くしていると、レーネがひょいっと顔を覗き込んできた。その距離が存外近かったので、アリスは目を丸くして二、三歩退いてしまった。
「ふふ、びっくりしちゃったかな?」
そんな彼女の反応を楽しむように、レーネは目を細めた。その拍子に、目元近くに走る猫の爪痕のような赤い刺青が少しだけ動いた。
周囲を見渡せば、クロムの姿はなかった。どこに行ったのだろうと首を巡らせていると、レーネがくすりと笑った。
「クロムなら、屋台に行ったよ。下層部では下手な店に入るよりも屋台の食べ物のほうがおいしいんだ。お昼を食べるにはまだ早い時間だけど、キミはここ最近まともに食事をしてないでしょう?」
彼の言葉を待っていたように、アリスの腹の虫が鳴いた。それと同時に、自分が空腹であることが強く意識されて胃が痛んだ。恥ずかしさ半分で隣に立ったレーネを見上げると、彼は涼しい顔をして首をかしげてきた。
(………絶っっっ対聞かれた………。)
優しさなのか何なのか、少なくとも何かしら言ってくれた方がマシだ、とアリスは心の中で叫んだ。穴があったら入りたい気分とはまさにこのことだ。
「下層部は、キミの予想とは違った?」
だから、いきなりの質問に答えるのが遅れた。面食らってもう一度レーネを見ると、思いの外真剣な光を宿した瞳がこちらを見ていた。
「教えてくれる?キミがどう思ったのか。」
アリスは、その言葉に改めて目の前の光景を見た。
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