Chapter 1―episode 3

三人がそちらに目を向けると、ちょうど一人の青年が入ってくるところだった。

白に近い銀髪。陽の光の加減で赤くも見える不思議な色合いの瞳。左目には古風なモノクルをかけ、それが逆に彼の持ち前の思慮深さを際立たせている。左腕にはよく使い込まれたことがわかる革製のバッグが抱え込まれていた。

青年の登場に、ニコルはまた大笑した。

「はっはっは!タイミングがいいなあ、ロト!」

青年―今まであずかり知らぬところで話題に上っていたロトは、案の定目を丸くして首をかしげた。

「は、はい?えっと……何の話でしょう?」

「気にしなくて良いわ……それより、いつものでいい?ロト」

どことなく釈然としない表情を浮かべながらも二コルの隣の席に座ったロトは、アリスの言葉に柔和な笑みを浮かべた。いつもの、とは、彼が好んで飲む〈ウィスタリア〉特製ブレンドのことだ。

「ええ、お願いします」

ロトの返事を受けて、クラウスが準備をし始める。彼のお気に入りのコーヒーカップは、柔らかなクリーム色のシンプルなものだ。ふわりとコーヒーのにおいが香りたつ中、ロトは小脇に抱えていたバッグを開けた。

中から取り出したのは、ゼルトザームでは一般的なノート端末だった。画面の小さい携帯端末よりも文字が見やすく、容量が大きいということもあって、特に読書家の間で根強い人気があると聞く。ロトがその画面に触れると、端末は認証画面を映し出した。彼は慣れた手つきでパスワードを打ち込むと、端末の隅にあるカメラを覗き込んだ。虹彩認証だ。

一連の流れを終えてようやくホーム画面を表示した端末を操作しているロトの横で、ニコルはやれやれと肩をすくめた。

「まったく……いつも思うが、君は見た目は完全に文系なのに、そういう機器の操作を見ていると手慣れたもんだよなぁ。俺はどうも機械とは相性が良くないからうらやましいな」

「そんなことはないですよ。見かけだけで、私も仕組みとかを完全に理解しているわけではないですし」

「またまた、謙遜しなくたっていいだろ。俺が前に端末ひとつ壊しそうになったときは見事に解決してくれたじゃないか」

小突かれて困ったような表情を浮かべたロトだったが、ため息交じりに話を続けた。

「……ニコルさんの場合はせっかちにいろいろやらせすぎなんです。機械だって次から次へと立て続けに命令されたら嫌になってしまいますよ。ネットワークのタブが軽く二桁いっていたのを見たときにはさすがにあの端末に同情しました」

アリスはひきつった表情でニコルを見た。

「に、ニコルさん……なんて無茶な使い方してるのよ……」

ニコルは悪びれた様子もなく笑った。

「はっはっは、まあいいだろう。これでも一応、困ったらロトに聞くことにしたんだぞ?」

「そこは自慢げに言うところなの……?」

もはや何も言う気になれない。アリスが脱力していると、タイミングを計っていたのか、そこでクラウスがそっとロトの前にコーヒーを置いた。それから、クッキーがのった皿も隣に置く。ロトが驚いたように顔をあげると、彼はサービス、と言ってウィンクをした。残念ながら、様になるウィンクではなかったが。

「君のことだから、きっとまた勉強するのに手いっぱいになって、ご飯を抜いたりしているんだろうなあと思ってね。おじさんの押し付け程度に思ってくれるといいよ」

ロトは現在、独学でシステム工学という学問を修めようとしている。将来は研究者になりたいのだという。いつだったか、あの〈災厄〉のような惨劇を生み出さないシステム作りに関わることが夢なのだと語ってくれたことがあった。そんな立場を理解しているからこそ、クラウスは何かと彼に対して世話を焼いているのである。そして、そのことをロト自身も十分に承知している。

「そんな……ありがとうございます」

至極嬉しそうに笑ったロトに、アリスは笑みを深めた後、ふとあることを思い出してぽんっと手を打った。

「そうだわ、ねえおじさん。せっかくだし、昨日作っておいた試作品のキッシュ、ロトに味見してもらわない?」

そろそろ新しいメニューを、と思って昨晩店が終わった後に作ってみたのだ。チーズとトマトをふんだんに使い、香草を添えたミートキッシュである。味としては悪くないはずだが、ちょうど第三者の意見が欲しいと思っていたところだった。

アリスの提案に、クラウスも笑顔で頷いた。

「あぁ、いいね!ニコルも食べて意見を聞かせておくれよ」

ニコルはクラウスの言葉に満面の笑みを浮かべた。

「常連客の一員としてしっかり意見させてもらうぞ?」

アリスは胸を張って言い返した。

「望むところよ!待ってて、準備してくるから!」

そして、アリスはいったん厨房へ下がっていった。

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