第2話 カラスの論理

「お前は何でそんなにカラスが嫌いなんだろうな」

少し体格のいい、背の高いスーツ姿の男が不思議がってポツリと言う。

何でだろうな、と僕は返した。昼飯時に同僚に誘われて外食に出たファミレスで、ソファに座ってじっと考える。ファミレスは向かい合うソファが多いので、どちらに座ろうか考えなくて済む。夢を見始めてから、色々と考えることが多くなっていたので、考えずに出来ることは少しありがたい。

「そう言えば、昔、母に聞いたことあるんだけど……お前は物心つく前からやたらカラスが嫌いだったって言ってたな」

「へぇ、不思議なもんだな。生まれる前からのカラスとの因縁か。どういう話なんだ?」

うーん、と唸るが詳しい話は何も言えず、その様子に同僚は苦笑した。

「まあ、ともかく仕事のミスだけはやめてくれよ。俺の仕事が増えちまう」

「すまない、ここは奢るよ」

悪いな、いや悪くないかと破顔して、同僚は美味しそうに白飯を頬張る。

「いや、それにしても白飯は美味いな。日本人に生まれてよかったよ。瑞々しい、うまいコメが食える」

「ああ、それに」

同僚はこちらを注視する。

「カラスとは正反対だ」

悪いものの反対はいいものか、と同僚の笑いのツボを押さえたようで、彼はずっと笑いながら白飯を頬張っていた。



仕事帰りの夕暮れ時は少しスッキリした気持ちだが、今日はあまり気分が冴えない。昨日の朝の夢、彼女の思いがけない言葉が自分の胸を薄暗く衝いて、訳の分からない不安に付きまとわれている気分だった。

「何なんだろう、あの夢は……」

同僚は「あまり気にすると、老け込んじまうぜ、係長みたいに」と笑ってくれたが、余計に考え込んでしまう。人間、思い悩むと足元を確認したくなるのだろうか。足の出す先、踏む所、地面を送る動き、そして、次の足を準備するところなどをぼやっと観察しながら考える。考えるのだが、ぼや、とした考えであってまとまらない。

そこへ、急に両の翼をもつ小さな影が空から近づいて、行く先にある、道路脇の電信柱に止まった。見上げると、普通のよりも一回り大きい黒光する羽根をびっしりと纏った大きなカラスだった。それがこちらを凝視している。

「カラスか……大きいな」

こうなると、より不可解に思えてくる。

カラスを見つめる。見つめるというよりは、睨みつけているのだが。行儀よく行軍していた足はいつの間にか止まっている。

子どもの頃からカラスを目の敵にしてきたが、よくよく思い返せば、これといった嫌いになるエピソードも思い当たらないなと、凝視した真っ黒な目に、過去の記憶が呼び起こされる。

物心ついた時に、どうしてあんなに不快なやつがいるのだと母に聞いたことがあった。その時、母は、外の小さな庭に視線を移して、太陽の差す方を見て言った。

「あんたはとにかくカラスが嫌いだった。それはいつからとかじゃなくて、赤ん坊の頃からよ。多分始めてみた時から、あんたはぎゃあぎゃあ喚き散らして、まるであっち行けって、必死に唸ってたわ」


そう思い返しながら、見る。睨む。カラスもふてぶてしく、少し羽を揺らしてはこちらを見ている。そして、かあ、とただひと鳴きして、飛び立って行った。

いつの間にか握りこんでいた拳を緩めて、また、足元を確認し、ゆっくり家の方へと歩き出す。静かに。


何かの暗示なのか、それとも自らの深層心理とやらが見せた良くない精神状態なのか。分からないが、分からないなりに、考えていると、家につき、ご飯を食べ、風呂に入って、ベッドにいた。


「堕天使というのは人間がつけた名だ。我々は何も背いてはいない。自然に生き、自然に死んでいくんだ。一生懸命な」


「それで、お前達は死肉を漁っているのか、人の死を待つというのか」

込み上げる怒りを抑えきれない。大声で叫ぶ。

「それが自然の掟だ。分かるだろう、お前も。強ければ生き、弱ければ死ぬ世界なのだ」

「だからお前らとは相容れないんだ。弱肉強食の論理はもう沢山だ」

張り上げた声は現実に届いて、目が覚めた。傍らには心配そうに手を握ってくれている人がいた。

「また、カラス?」

優しい、そして、哀しい声でそう聞かれた。

ごめんね、と落ち着きを取り戻しながらこぼす。いいのよ、そう抱き締められて、温かさに心を委ね、赤子の母の温もり貪るように深く眠りに落ちていく。


「人間も弱肉強食の中で沢山の生き物を屠ってきた。それを忘れたか。同じ穴の狢だ。同じなのだよ」


カラスの傲慢そうな高笑いに、必死で我を抑えた。

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