烏の歌

かさかさたろう

第1話 泣いているのか


「泣いているのか?」


夕焼け空の下、何の変哲もない木の棒についた電線の上で、巣に帰りもせずに僕をじっと見つめたカラスは静かにそう言った。

あの時もそう言ってくれたな、と僕は言う。

泣いていたんだ。確かに。あの日も、最愛の人と別れて悲しみにくれていた。そして、今もまた。


お前に人間の情の何が分かるのか、と僕は言う。

本気で愛していたのだ。長く伸びた髪は切っても良いんじゃない、と提案したが、

「伸ばしてみたらと言ったのは誰?」

と返されて口篭る。

でも、長い髪も素敵だった。


「人間はなんとも脆い」


非情な烏はそう嗤う。僕は目も脳味噌も、今にも焼けつきそうな感覚に襲われながら、烏を睨む。


「そんなに怒るな。なあ、お前も死んでしまうぞ」


烏はほくそ笑んだ。


「そうだな、飯が増えるのは良いことだ。お前も死んだらいい」


烏を見据えて、僕は石を投げる。烏は、かあと泣き、ひらりと宙に舞った。そして、バサバサと空を少し駆け、舞い戻ってくる。


お前も焼かれてしまえ、と吐き捨てる。地面はゆらゆらと揺れる。炎の中で表面を焦がされて。


「なあ、そんなに悪くいうがお前もカラスになってみたらいい。カラスも大変なんだぞ。一々家族が死んだって泣く暇もない。己の身を守るので精一杯だ。涙なんてついぞ流していない」


うるさい、と僕は言う。大声で叫ぶ。突然火の雨が降った。最初の1発は最愛の人に命中した。僕の世界から1人の大事な人が消えていった。


「お前は俺たちを悪魔だと思っているのか?お前達の方が悪魔だぞ。見ろこの光景を……人間は火を自由に使えるようになって、1枚も2枚も他の動物を凌駕した。そして……これだ」


木で出来た家屋は轟々と火を吹いてそこら中が焼け死んでいく。悲鳴が聞こえる。逃げ惑う人々の走る大地の唸り声が聞こえる。


僕は悪くない、と力の限り叫ぶ……が思ったよりも声が出ない。押し潰されそうな心があった。怒りか、恐怖か、悲しみか。


「悪いことは言わない。お前もカラスになれ。人間は愚かだ。何も気づかない。自分で怪物を作り出しては、悦に浸る。そして怪物に自分の家を、家族をめちゃくちゃにされる。いや、人間自ら、すると言った方が正しいのかな」


そんなこと、言われなくても分かっている、と言う。


「分かっているからなんだと言うんだ?愚かしい。浅はかな生き物め」


お前に、お前に言われたくはない!!





「どうしたの?」


慌てて駆け寄ってきたのは僕の彼女だった。びっくりした様子で横たわっている僕の手を取り心配そうに声を掛けてきた。

「いや、、なんでも、、ないよ。」

酷く息切れしている。怒りか、悲しみか、恐怖か。その入り混じった感情を一気に胸裏に感じ、心が重かった。

「た、只の夢だよ。っ……最悪の目覚めだ」

瞼を手で覆う。また、あの夢だった。今度も全く知らない場所だった。あの、第二次世界大戦中の日本のどこかの町なんだろうか。そんな感じだった。


「あの夢なのね。もう大丈夫よ。怖かったわね」

そう言って、抱きしめられて、温もりを感じる。長い髪から香るシャンプーのほのかな花の香りが心地よい。ただ、抱きしめられて安心を得る。

「ご飯ができたわよ。顔を洗って、テーブルについてね」

うん、ありがとう、そう言ってギュッと抱き返す。


顔を洗って、タオルを顔に押しつけるようにして、考えを少し巡らす。

思えばなぜ、あの夢を見始めたのか分からない。ここ1年で3回も見た。今日がその三回目だった。

一回目は、よく分からないが、多分古代の都市アテネでの出来事だと思う。彼女の服装やら身につけていた装飾品やらが美術館の絵のものにそっくりだった。

二回目は、多分アフリカ……白人が彼女を連れ去ろうとした時の出来事だった。

どちらも目の前で彼女は死んだ。救えなかった。救う術が見つからなかった。あっという間だったのだ。

いや、と頭を切り替え、夢だ、囚われるな、と強く思い、不安を打ち消す。タオルから顔を離すと胸に手を当てる。そして、鏡をみて、短い黒い髪を軽く整えた。

朝食は、焼き鮭と味噌汁、沢庵とご飯。非常にシンプルだが、これが良いなと思った。味噌汁は赤味噌だ。

「ちょっと辛いかな?」

「いや、丁度いいよ。ご飯とよく合う」

そう言うと、少し満足したように彼女は笑って、良かったと言った。その笑顔はキラキラしていてとても心地よく。ついぎゅっと引き締めてしまっていた、顎の筋肉を緩めた。

「それにしても不思議な夢よね。何だか、聞いてて不安になっちゃう。余りにもリアルな感じで……女の人が、その、死ぬんでしょ?私なのかな?」

「何でそう思うの?」

慌てて聞き返してしまった。不安になると聞いて、夢だよと言おうと思っていた。なのに、死ぬ女の人が自分だと彼女が言ったためか、ぎくりとしてしまったのだ。そして、死んだ女性は何となく彼女そのものだったと思った。肌の色も違った。時代も違った。なのに。

「うーん、何となくかな……。あっ、味噌汁冷めちゃうから、早く食べて」

「急かしたら、体に悪いじゃないか、ゆっくり食べさせてよ」

そういういつものやり取りに打ち消されて、有耶無耶になった。食べ終わり、後片付けを手伝うため、台所に行ってスポンジに洗剤を垂らす。

「あー、さっきの話だけどさ、夢だからな。まあ、悪い夢には違いないけど、気をつけてれば大丈夫だよ。安心して、なにがあっても守るから」

「頼りにしてるぞ!それにしても、貴方はカラス嫌いだもんねえ……なんか、可笑しい」

ふふふと笑う彼女に、なんにも可笑しくないよと少し真剣に返した。

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