第壹話 陸節
「結局のところ、骸惚先生はどのようにお考えなンですか?」
改めて河上君から訊ねられ、骸惚先生は困ったように眉を寄せ。
「どのようにと言われてもね。正直なところ、何か考えを口にできるほどの情報がないとしか言い様がないな。今の段階では、何を言ったところで確証のない憶測にしかならないよ。そんなものを軽々しく口にするものじゃあない」
「それは、まァそうなンですが……」
口にしつつも納得していない様子の河上君を見て取って。
「探偵小説でも同じだろう。探偵は軽々しく憶測を口にしたりはしないものさ。充分な情報が出そろってから、確信を持って推理を披露する。言ってみればそれが探偵の流儀というものなのかな」
「その言い方はちょっとずるいんじゃない?」
反論を封じ込められてしまった河上君に、涼嬢が横から口出し助け船。
「ずるいとは何だ。人聞きの悪い」
「だってそうでしょう。普段から父様は、探偵作家は探偵じゃないとか、自分を探偵のように思うのをやめろとか言ってるじゃない。それなのにこういう時だけ探偵ぶって自分の考えを明かさないなんて卑怯だわ。ねえ、太一だってそう思うでしょう?」
でしょうと言われても。
他ならぬ骸惚先生の前では「はい」とも言えず。さりとて、骸惚先生のお考えを聞きたいことは確かなだけに「いいえ」とも言えず。
結局、「ははは」と愛想笑いを返すしかないとは、我ながら情けないと思えてくる河上君でございます。
「あのな、涼。僕が自分の考えを明かさないのは確証もなく無闇矢鱈とあれが怪しいこれが犯人だと口にするのは極めて危険な行為であると認識しているからであって、その点においては探偵小説に登場するおおよその探偵と同じ考えだと言っているだけだ。
別に探偵ぶっているからじゃあない」
「でも……」
とその時に。弱々しい口調ながらも控えめな抗議が出たのは、溌子嬢の口からで。
「先ほど、お父様は兄様に意見を聞きたいと仰いました。兄様はご自分のお考えが憶測だから口にするのは控えようと考えていらしたのに、です。それなのに……」
その弱々しい抗議を耳にして、俄然意気込んだのは涼嬢で。
「そうよ! 溌子の言う通りだわ。人には言わせておいて自分の考えは明かさないなんて、これを卑怯と言わずして何を卑怯と言うのよっ」
苦虫を噛み潰した、などという言葉では表しきれぬほどに苦い表情となる骸惚先生。それと同時に一本取られたとも思ったか、チョイト居心地悪そうに頭を掻いて。
「確かに河上君に話せと言ったのは僕だな。だから、まあ……話せと言うなら話しもするが、ろくに何も分かっていないというのも本当のことだよ。話したところで河上君と似たり寄ったりの話しかできない」
「その上で君らは一体、何が訊きたいんだい?」
骸惚先生から話を聞き出せれば、この事件の真相に近い的確な意見を言ってくれるだろうと期待を抱いていたのは、河上君は当然、涼嬢や溌子嬢もおんなじで。
何が訊きたいかと問われては、サテ何を訊けばいいのやらと顔を見合わせてしまうお
首を捻ったあげくに口を開いたのは河上君。
「今回の一件、誰かの明確な意志が介在しているのは間違いないはずです。骸惚先生が事件を演出した人物として一番疑ってらっしゃるのは誰なんですか?」
問われた骸惚先生、煙草を一旦もみ消して。続けて銜える次の一本。それに火は点けずに顎撫でて、視線を浮かせて考え込んで。
「そうだねえ。事件を演出した人物か。そういう意味でいうのならば、僕が一番疑っているのは……」
誰もがごくりと唾飲んで。次の一言を待ち受けて。
自然とどこか緊迫した空気となる中で、ふらふら彷徨わせた視線を止めたところは――。
隣に座る奥方様。
「澄かな」
「ええっ!?」と驚愕の声が上がるのも無理はなく。
けれど言った方も言われた方も、落ち着き払ったいつもの様子。
「まあ。わたくしを疑っていらっしゃるのですか?」
言われた澄夫人は不服そうではありますが、驚嘆悲嘆の響きはなくて。
「そりゃあそうさ。そもそもこの話を聞かせたのはお前じゃあないか。誰かが拐かされたなんて物騒な話を娘たちの前で話して聞かせるお前とも思えないからね。
まして、自分で夕飯の最中に殺伐とした話は困るなんて言っているんだ。何か企てがあるとしか思えない」
「あら、企てだなんて人聞きの悪いことを仰らないでくださいな。何か考えがあってのことではなく、単に自分のことを棚に上げていただけかもしれないじゃありませんか」
「それだって充分に人聞きは悪いと思うがね」
あまり褒められたものではないことをさらりと口にするご夫人に、骸惚先生微苦笑で。
「だが、悪いが僕はそんな身勝手な女を嫁にしたつもりはないのでね」
こちらもさらりと骸惚先生。よくよく聞けば、それは惚気に他ならず。
澄夫人が「あら」と少女のようにはにかむ姿からも、このお
それはとても微笑ましい光景ではあるものの、端から見ている身になれば唖然呆然ぽかんとするより他はなく。
二人のご令嬢よりは一瞬早く立ち直った河上君。
「ちょ、ちょっと待って下さい。つまり、奥様が仰った登美子ちゃんの拐かしのお話が嘘だったというわけですか?」
「いや、それはない。澄には作り話をする理由はないし、仮にあったとしてもせめて涼や溌子のいない場所で言うだろう。どうしてと聞かれても、それが平井澄という人間だからとしか答えようはないがね」
その人物評を今更否定するのは、馬鹿馬鹿しいとすら思えることで。
「そ、それは分かりますが……。じゃァなんで、そんな嘘を……」
「嘘というよりは、語っていない部分があるというべきだろうね。それも恣意的にではなく、ただ単純に話が中断してしまったというだけのことだろう。まあ、それについての責任の大半は僕にあるわけだが」
苦笑しつつの骸惚先生のお言葉に、澄夫人は「はい」とは言わず。けれど「いいえ」とも言わずに、にこにこ微笑んでおられる様子は、それが間違っていないことの証明のよう。
混乱を鎮めるために話を聞いているにも関わらず、ますます頭がくらくらしてくる気になる河上君でございまして。
「ちゅ、中断……? ああ、いや、それよりも。それよりも骸惚先生、先生はそのことに最初からお気づきだった様子なンですが、どうしてそれがわかったンです? 今のところ小生にはよっぽどそちらの方が気になりますヨ」
と問われると、骸惚先生、チョイト照れくさそうに頭を掻いて。
「勘……というか、僕の抱いている印象が理由の大半を占めるから論理的かと言われると困るんだが、この話を澄が聞いたこと自体が奇妙に思えたんだよ。
話して聞かせた魚正のお内儀が犯人、あるいは共犯という積極的な形でこの事件に関わっていた場合、他人に話して聞かせる理由がない。
狂言のように自身が無関係だと周囲に知らしめるために話しているのだとしても、いかにも時期が遅すぎる。登美子嬢の行方が知れなくなってすぐに吹聴せねば意味がないだろう。
それこそ『なぜお前だけが知っていたのだ』という風に自身の関連性を疑われてしまい、逆効果にもなりかねない。
話した相手が澄だということも気になった。澄は誰彼構わず噂を広めて回るような性格じゃあないからね。話の広がる起点となるには役者不足にも程がある」
「褒めて下すっているのでしょうけれど、もう少し表現というものを考えて欲しいものですわ」
役者不足にも程があるなんぞと言われては、酷評されているように思えてしまうのも無理はなく。
頬に手を当て憂い顔の澄夫人。
けれど骸惚先生ちらり横目で見るだけで、口から出るのは河上君に向けたお言葉で。
「僕には澄と魚正のお内儀がどこまで親しいのかは計りかねるが、家も近いし店を利用することも多い。世間話程度なら幾度となくしただろうから、お内儀だって澄のそういう性格をまったく知らないとは思えない。だとすれば、お内儀が澄に事件の話をしたのは、あえて澄を狙ってしたのか、それとも誰でもよかったのか、大きく分けるとするならこのどちらかということになるだろうね。
まず、澄でなくてはならなかったとした場合だが、この場合、先ほどとは逆に、澄の口の堅さを信用して話したということになるだろうか。それ以外の理由も存在しているのかもしれないが、今のところそれを検討できるだけの材料がないので、この際あえて無視してしまおう。しかし、お内儀が《口が堅いから》澄を話し相手に選んだとした場合、どうしても見過ごせない点が存在してしまう」
そこまで聞いたところで、なるほどとばかりにぽんと手を拍つ河上君。
「魚正の店先で話していたという点ですね?」
「そうだね。いつ誰が来るか、いつ誰に聞かれるかも分からないような魚屋の店先で、誰かに聞かせられないような話をするとも思えない。だとしたら、誰でも良かったわけではないだろうが、誰かに聞かれたとしても困りはしないといった類の話だったのだろう」
「近所の家のお子さんが行方不明になったッて話ですからねェ。聞かれて困るどころか、広めた方がいいくらいの話ではありますケド」
「それだけならば、玉川夫人から話を聞いた時に報せて回っているさ。そうすることはなく、今になって話して聞かせたのがこの話の奇妙なところだ」
「つまり」と河上君。
何かに気付いた様子ではあるものの、喜びよりもため息ばかりが顔に出て。
「話して良かったのではなく、話して良くなったということですか」
「そうだろうね」と骸惚先生目を細め、少し嬉しそうに河上君を眺め見て。それはあたかも弟子の成長を喜んでいるかのようなご様子で。
「魚正のお内儀の中では、既に事件は終了しているのだろう。だから、世間話として澄に話してしまえたわけだし、澄も娘たちの前でこの話をすることを躊躇わなかったわけだ」
「奥様のお話の続きを聞けば、事件が解決していたことも分かったわけですね」
はあ、とため息、肩落とし。ちらり横目で澄夫人を伺えば、奥方様はただニコリ。それは河上君の言葉を肯定する何よりのお返事で。
「結局、小生の早とちりだったッてわけですか」
がくり落胆、トホホとため息、河上君。苦笑を浮かべて頭を掻いて。それでも大事でなくて、ほっと胸をなで下ろすあたり、お人好しの彼氏らしいというものでございました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます