止まらない鼓動

「だ、大丈夫……?」


「あ、ああ……大丈夫……」


なんとか返事をしながら、おれはズボンの後ろポケットに入れていたハンカチを取り出して、口元を拭う。


全く、良いタイミングで来過ぎだろ……

周りには木ノ下以外、奇跡的に人がおらず、幸いにもおれの醜態を見られてはいなかった。


「それより、まさかこんな早く来るとは思わなかったな」


「それはこっちのセリフだよ。駅に来たら先にいるんだもん。びっくりしたよ」


言いながら、木ノ下は小さく微笑む。


よく見れば、木ノ下ってかわいいよな……

パッチリとした目に整った顔で、髪がショートからロングになったから、なんというかすごく女の子感が増したというか。

でも、服装はボーイッシュな感じでチェックのシャツにジーパン。そのギャップが男心をくすぐる……

昨日まで嫌いな奴だったはずなのに、心境の変化でこんなに変わるものなのか……

それか、おれが単純なだけなのかも……


「ちょっと来ヶ谷君、ジッと見過ぎ……」


すると、おれは無意識で木ノ下を見つめていたようで、木ノ下は少し恥ずかしそうに顔をうつむかせた。


「え……?あ、ああ、悪い……!」


やばい、なんかすごい胸がドキドキしてる……

木ノ下が女の子にしか見えない……

あ、いや、木ノ下はずっと女の子なんだけど、その今まで意識したことがなかったから、なんというか一つ一つの仕草がすごい胸にくるというか……

こういう時なんて言えばいいんだ……?

言葉が思い浮かばない。

というかこんな調子で大丈夫かな、おれ。

なんとなく、少し不安を抱えてしまう。


「それで今日はどこに行くんだ?」


なんとか心を落ち着かせて、おれはベンチから立ち上がり、木ノ下にそう尋ねた。


「あ、うん。ここに行きたくてさ」


そう言って、木ノ下は肩からかけていたポーチから携帯を取り出して、画面をおれに見せてくれた。


「ここって……」


画面に映っていたのは、先月ショッピングモールのレストランフロアにオープンしたケーキバイキングのお店だった。

リーズナブルな価格の上に種類も豊富で、何より斬新なのが回転寿司のようにケーキが流れて運ばれてくるのだ。


「ここに食べに行くってことか?」


「そうなんだけど、それだけじゃなくてね……」


言いながら、木ノ下は再びポーチに手を入れ、今度は小さな雑誌を取り出した。


「実は私、この雑誌に載せる若者向けのレストランやお店のコーナーを任されてるの」


木ノ下が取り出した雑誌はいわゆるフリーペーパーで地域の人向けに配っているものだった。おれもたまに読むことがある。

そういや、最近になって若者向けのコーナーが増えたなと思っていたが、そういうことだったのか。


「え、これを?すごいな。でも、なんでまたこんなことを?」


「まぁうちも色々大変でさ……」


そう言って、木ノ下は苦笑する。


「あ……」


おれはその言葉で木ノ下が何を言いたいか察した。母子家庭だし、それにまだ学生の子供が2人いれば何かと金銭面で大変なのだろう。それが少しでも楽になればという、木ノ下の親孝行なんだと思った。それに部活をしている以上、長時間拘束されるアルバイトより、こういうものの方が向いているってわけか。


「まぁおれで良ければ付き合うよ」


「ほんと?良かった!もし、ここで断られたりしたらどうしようかと思ってたよ」


「いやいや、そんなことしないって」


おれは小さく苦笑すると、木ノ下と共にショッピングモールまでの道を歩き出した。

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