宮下小影の絶対理性

人生

序章 告白or自白?

 プロローグ




   『屋上で待ってます』


 下駄箱に入っていた手紙にはそんな一文があった。封筒の表を見ても裏返しても、どこにも差出人の名前はない。そもそも、この手紙は自分宛てのものだろうか。間違ってこっちの下駄箱に入ってしまっただけなんじゃないのか……。


 というか、そうであってほしい。


 放課後、宮下みやした小影こかげは差出人不明の手紙を手にぼう然としていた。

 ちょっと中性的な顔立ちをしている点を除けば、よくいる男子高校生といった容姿の少年である。同じ制服を着た男子の中に混ざれば見事に溶け込んでしまいそうな没個性。そのためこれといってモテた記憶もなければ、今がいわゆるモテ期という実感もない。今から告白します的な手紙をもらう謂れにはまったく自覚がない。


 だというのに。


「なんだこれ……」


 驚くなかれ――下駄箱の中には溢れんばかりに詰め込まれた無数の封筒、封筒、封筒。そして封筒。また封筒。


 ……ちょっと待て。


 そう思考停止する間にも、狭い下駄箱にぎゅうぎゅうに詰め込まれていた色とりどりの封筒が決壊しようとしている。一枚を抜き取った影響か、それとも早く中身を見てほしいという送り主の想いの表れか。


 いずれにしろ、詰め込まれた大量の封筒がぶちまけられる結果には変わりなく、ただただぼう然と絶句していた宮下小影にはそれらを受けとめることが出来なかった。そんな余裕はない。せめてもの救いは、小影が所用から遅くまで学校に残っていたため彼がいざ下校しようという今、周りに誰も目撃者がいないことだった。こぼれ散らばった封筒を拾い集める惨めさへの救いではない。この手紙を書いた人物への救いだ。

 数十枚も床に散れば、中身が飛び出してしまっているものもある。誰もラブレターの中身を他人に見られたくはあるまい。


 ラブレター……かどうかはまだ判然としないが、可愛らしい便箋だ。果たし状ではないだろう。最初に開いた手紙とは封筒も違えば中の便箋の種類も異なる。ではそれぞれ別人から送られたものかといえば、


『屋上で待ってます』


 印刷したのではないかと疑ってしまうほど、一言一句違わない同一の文面。手書きのはずだが、先ほどの文字と変わらず美しい。


「……なんだこれ? ……?」


 首を傾げながらも散らばった手紙を拾い集め、とりあえず鞄に突っ込む。ざっと見た限りだと文章は同じだが手紙はそれぞれ封筒と便箋の組み合わせが異なる。可愛らしく色とりどりな便箋が十数種に、個性的な絵柄の封筒がこれまた十数種。この精神攻撃を仕掛けた人物は全バリエーションをわざわざ用意してくれたらしい。


「…………」


 手紙の要求に応えるかどうか。渋る小影である。

 こんなことをするくらいだ。いったいどんな奇妙奇天烈な人物が待っていることか。これ以上、驚異的な脅威を突きつけられるのはご免こうむりたい。

 しかし一方で、そんな危険人物の要求に応じないのもいかがなものかという懸念があった。


「……登和とわがいれば……」


 ここにいない友人の頼もしさに縋りたい気持ちを抑えて、なんとか勇気を奮い起こす。

 何が待っているか知れないが、行くだけ行ってみよう。もうこんな遅い時間だ。案外、相手もすでに帰っているかもしれない。


「そして、とにかく断ろう」


 それが告白であれ、なんであれ。


 今朝から連絡のとれない友人のことも気になるし、さっさと挨拶だけ済ませて帰宅しよう。

 というわけで、宮下小影は今さっき来た道を引き返すように、階段を上って、ひと気のない放課後の校舎を上へ上へと進んでいく。


「困ってるのかもしれないけど……登和の判断を仰がないと。あの子たちの件もまだ解決してないんだし……」


 呟きながら、また頭をよぎるのは今この場にいない友人の顔。


 鳴坂なきさか登和。


 つい昨日まで一緒に過ごしていたのに、今朝から急に連絡がとれなくなった。自宅にもいなければ登校もしていない。しかし欠席するという旨の連絡は入っているという。学校には連絡するのに、あの友人が自分に一言もないことが小影には解せない。


 何か、よからぬことに巻き込まれてはいないか。

 少々突飛かもしれないが、そんなことを思ってしまって心配になる。


 ――そんな、漠然とした不安もあった。


「そういえば」


 屋上って昼休み以外は解放されていなかったんじゃ、と彼はふと思い出す。だが階段を上り切った先の扉は開かれていた。温い風が吹き込み、小影の短い髪をはためかせる。


 そして――


 夕日の下に踏み出すまでもなく、小影の視界に入る人影があった。


 こちらに背を向けていて誰だか分からない。制服は女子のものを着ており、長い黒髪が風になびくたびに手で押さえる姿が様になっている点を見ても、相手は女子で間違いないだろう。女装した男子による悪戯の可能性は薄いと判断してもいいか。


 屋上で待っている。手紙の通り、屋上に佇む少女はまるで誰かを待っているかのようで、恐らく彼女が手紙の送り主だろうと小影は思った。

 なので、こちらから声をかけることにする。


「あの……宮下小影、ですけど……?」


 どう話しかければいいか分からず、とりあえず名乗ってみると、相手はゆっくりとこちらを振り返った。


「……えっと、」


 見覚えのある顔だ。ほとんど毎日顔を合わせている人物である。

 だが、普段の印象と何か違う。……そうだ、いつもは眼鏡をしている。黒髪をおさげにしていて、地味であまり目立たない少女だったはずだ。みんながみんな「名前負けしている」と言うような、本当に大人しく影の薄い存在だったはずだ。


 しかし、同じ人物のはずだが、今目の前にいる彼女には――思わず目を見張ってしまう。

 それは背中に流した黒髪の影響か。眼鏡をしていないためか。それとも夕日の落ちる屋上が魅せる幻想か。

 だいぶ雰囲気が違う。全体的に別人のようだとさえ思える。けれども、彼女の顔を構成するパーツはどれも同じだ。背格好から見ても間違いない。


 ただ、宮下小影の知る彼女は、あんな奇妙な手紙を送り付けてきたりなどしない。


 ……はずだ。


「……天王寺てんのうじさん?」


「小影くん」


 天王寺真射まい。同じクラスに在籍する同級生。小影とは特に接点はなく、クラスメイト以外のなにものでもない。目が合ったら挨拶する程度の、入学当初以降はろくに会話したことがない相手である。

 つまり、赤の他人なのだ。

 そんな天王寺真射が、はたして自分にいったい何の用なのか。


「……小影」


 挙句の果てには呼び捨てだ。別にその程度で気分を損ねはしないものの、相手の意図が読めないのは少し不気味だ。


「僕に何か用かな?」


 どうせ断るつもりなのだから要件など聞かずにいればいいものを、ついつい訊ねてしまうお人好し。それが宮下小影である。


「ていうかあの手紙、何……?」


「……どの組み合わせがいいか、迷ったから。思い切って、奮発してみた」


「…………」


 それってちょっとどうなんだろう、と小影は眉を顰める。「どれも素敵で美味しそうだし選べないから全部ください!」みたいな大盤振舞ではなかろうか。規模は違うにしても、こんな相手にものを奢りたくはない、などと小影は頭の隅で考えていた。


 そんな彼に、彼女は緊張しているのか、ぎこちなく微笑みかけて。

 そして、こう告げた。



「鳴坂登和は、私が誘拐したから」



 ……………………。

 しばしの思考停止。本日二度目の意味不明さ。


 ……この子はいったい何を言っている?


 目の前で誘拐される光景に出くわしたのならまだしも、こうやって「誘拐した」と告げられても言葉の意味を理解するのに時間がかかる。ショックで何も考えられないのではなく、単純に理解不能なものとの接触に頭の処理が追いつかない。


 ぼう然となる小影に、天王寺真射はゆっくりと歩み寄りながら、


「これから一週間、私に一切の手出しをしなければ、鳴坂登和を解放してあげる」


 ゆったりとした独特の間を置く喋り方だ。


「一週間……? 手出し……?」


 なんとか鈍い頭で相手の言葉の中の不明な点を摘み上げる。


「来週の金曜日まで、あなたが私に、一切の手出し――暴力であり、性的なものであり、それら一切の手出しをしなければ鳴坂登和は解放する」


「解放……」


 どういうことだろう。『解放する』ということは……現在は自由がきかない状態、拘束などをされているのだろうか。


 鳴坂登和が、拘束されている。それが意味することは何なのか。

 そもそもなぜ拘束されるに至ったのか。

 登和に何かおかしな様子はあったか。

 確か、つい昨日まで一緒にいて――なぜか今朝から連絡が――


「……誘拐?」


 小影の頭はそこでようやく、最初に提示された疑問に辿り着く。


 だが天王寺真射はそれには答えず、小影の一歩手前で足を止めて。

 もう一度、自分に一切の手出しをしなければ鳴坂登和を解放する、と告げて。

 そして。



「宮下小影は、私のことを好きになる。絶対に」



 絶対に、あなたは私に手を出すから。

 そう言って、天王寺真射は妖しく微笑んだ。



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