第8話

 心電図は一定のリズムの電波を刻み続けている。ずっと…一年もの間。彼が目を開くことはもう無いのかもしれない。私はそんな絶望と、それでももしかしたら、私が柔らかな春の陽射しにウトウトしている間に、まるで何事も無かったかのように彼がベッドから起き上がって微笑みながら私の寝顔を見ている…という微かな希望の間で気持ちの拠り所を失いながら、毎日ここに通っている。


 彼が好きだったビートルズの「Here Comes The Sun」をiPodを通してスピーカーで流しながら、私は窓の外を眺めていた。恥ずかしそうに手を繋ぐカップル、自分より大きなベビーカーを一所懸命な表情で押す女の子、それを心配そうに見守る若い母親、ベンチに腰掛ける老夫婦…白い壁一枚隔てただけでそこには別世界が広がっていた。


「一体何が不満だったの?」


 私は目を覚まさない彼に向かって話しかけた。規則正しい人工呼吸器の音が聞こえてくるだけだった。私は再び窓の外に目をやった。


「こんにちは」


 病室に彼の母親が入って来た。彼女は紙袋に入れた、彼の着替えと私のための林檎を持っていた。


「毎日ありがとうね」

「いえ、私は何も…」

「今日は顔色がいいみたい」

「え?」


 彼女は彼の前髪を右手で搔きあげて微笑みかけた。


「天気もいいから…良い夢でも見てるのね」


 彼女は紙袋から出した林檎の皮を、果物ナイフで剝きだした。


「もう大丈夫なのよ、あなたの幸せを考えて」


 彼女は切った林檎を一切れ、私に差し出しながら言った。


「はい…ありがとうございます」


 私は一切れの林檎を眺め、眠り続ける彼を見つめた。


「でも、私の幸せは彼が知っているんです。だから、彼にその答えを聞くまで私は…」

「…そう。その答え、おばさんにも聞かせてね」


 彼女は切り分けた林檎を一切れ口に運び、「甘いわよ」と私にも勧めた。私は林檎を頬張りながら、頷いた。


 iPodからは「Because」が流れていた。

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Here Comes The Sun 松尾模糊 @mokomatsuo1702

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