第7話

 ホテルに戻った二人は激しく求め合った。野口は何度もその感触を確かめるように、冨田ミヨの薄い唇に自分の唇を重ねた。野口の欲望を抑えつけていた倫理観が全て否定され、野口は我を忘れ、獣のように冨田ミヨの四肢を舐め、お椀のように張った乳房を揉みしだき、仄かな桜色の隆起した乳首を吸い、噛んだ。何度も交わりながら、しかし、野口の頭は先程の冨田ミヨの告白を繰り返していた。


––吉田和真、それが本当の野口の名前。死んだと思っていた親友は、自分自身だった。自殺は未遂に終わり、しかし、線路に頭を打ちつけたことによる記憶障害で産み出された野口という人格が、いつの間にか自身の人格を乗っ取り、そして吉田が死んだ親友として記憶された。頭蓋骨は陥没したが、脳に異常は見られず、精神科に回された。医者も取り敢えず話を合わせて、急な混乱を避けるよう進言するに留まり、家族もそれに従った。冨田ミヨは過去に過ごした吉田との想い出の地を巡り、本来の記憶を呼び戻す作戦を思いつき、医者と家族の了承を得て(医者はそんなことをしたら、脳が混乱し、多重人格者になってしまうと危惧したらしいが)、このまま知らない第三者の人格として、恋人に接するくらいなら、何が起こっても構わないと思い、実行した。吉田は自殺未遂により顔も聴こえる声も随分変わっていた。何より、野口は吉田を別人格として形成していた。だから吉田は写真を見ても、携帯電話に録音された昔の自分の声を聞いても、気づかなかった。––


「あの携帯は誰のだったの?」

ベッドの中で彼女のサラサラした髪を指でなぞりながら、吉田は携帯電話の疑問を尋ねた。

「昔の私の」

「じゃあ、一年前のあの電話って……」

「そ、和真が私にかけたの」

「でも、あの声は?」

「昔の録音された声を切り貼りして音楽ソフトで編集したの。だから、会話にならなかったでしょ?」


 とにかく、やはり混乱はしているが、今のところ新たな人格は生まれてはいない。吉田が自分で、野口は架空の人物。何度もそう自分自身に言い聞かせた。


 隣で小さな寝息を立てる冨田ミヨを起こさないように、そっと吉田はベッドから起き、カーテンを捲り、窓を開け、バルコニーに出た。まだ薄暗い街並みから朝日が昇りはじめている。石造りの建物の間に日が差し込み、薄紫色の空が青く輝きはじめる。


“Here comes the Sun”


 吉田はあの歌を口ずさんでいた。

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