第7話 もう一人の魔法使いと猫又

突然伸びてきた触手に捕らわれ、不本意な三度目の霊界訪問を果たした秋奈は、どうにか現世に戻ろうと、霊界と現世をつなぐ”揺らぎ”を探し、走り回っていた。

だが、探しているものはまったく見つからなかった。

――まずい……これ、ほんとにまずいよ……

秋奈は周囲を気にしながら、走り回った。

だが、その成果は得られることはなく、ただただ、時間と体力だけが消耗されていった。

――こんなことなら、無理やりでも土御門くんから、魔法を教えてもらっておくべきだった!!

この一週間、秋奈は精神修養と同時に、簡単な魔法を教えるよう、何度となく春明に迫ったのだが、教えてくれたのは、魔力をコントロールするイメージ方法だけで、他のことは本当に何も教えてくれなかった。

そうこうしているうちに、秋奈に向かって、どこからか先ほど同じ触手が伸びてきた。

「そう何度も……捕まってたまるかぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

だが、いざという時のために戦う方法だけは教えてくれた。

秋奈は自分の足に風をまとわせるイメージを浮かべ、地面を蹴った。

すると、秋奈は猫のような俊敏さで触手の包囲網をくぐり抜けた。

――いやぁ、しかし「これだけは覚えておけ」って言われたからトレーニングしてたけど……やっててよかったぁ……

そんな感想を抱きながら、息切れ一つ起こすことなく、そして触手を掠めることすらなく秋奈は触手から逃げ続けた。

逃げ続けているのはいいのだが、襲ってくる触手の数が多すぎる。

さらに悪いことに、秋奈は身体能力を向上させるイメージはつかめたのだが、死角にある存在を感知するイメージはつかめていない。

そのため、死角に入りこんできた触手までは対応しきれなかった。

「ぐっ!!……ちょ、く、くるし……」

背後から伸びてきた触手が首に巻きついたと同時に、腕や足、そして体にも触手が巻きつき、秋奈を拘束した。

みちみち、と嫌な音が響いてくる。どうやら、この触手は自分を握りつぶすつもりでいるらしい。

――ま、魔力を体にまとう、い、イメージを……

秋奈が意識を集中させると、彼女の体に回路のような模様が、赤い光を放ちながら浮かび上がってきた。

光が体中を巡った瞬間、骨や肉がきしむ音は聞こえなくなった。

だが、この状態でもいつまで耐えられるか、秋奈にはわからなかった。

以前、秋奈は春明に魔力切れを起こすか起こさないかの判断の仕方について、それとなく聞いたことがある。

ちょうど、集中力も切れた頃合いだったためか、その時はわりとあっさりと答えを返してくれたのだが、返ってきた答えは、知らない、の一言だけだった。

なお、そのとき一緒に返ってきた言葉が。

『体力が人それぞれで違うように、魔力も人それぞれで違う。魔力切れはスタミナ切れと同じようなものだから、魔力が切れそうになるかどうかなんて、個人の感覚でしかないから、こればかりは教えようがない』

とのことだった。

参考までに、春明の場合はどうなるのか、試しに聞いてみたのだが、魔力切れを起こしたことがないからわからない、とあっさり返されてしまった。

「……んと、ゲームみたくステータス表示がされたらどれだけ便利かって思うわ……」

「まったく、その通りですな」

秋奈が恨めしそうにつぶやいた瞬間、足もとから、渋い声が聞こえてきた。

そちらに視線を向けると、虎猫がこちらを見上げていた。

「ね、猫?……は、早く逃げないと、あなたも巻き込まれるわよ??」

「おやおや、存外、お優しいのですな」

「……はは、わたし、もう限界かな……猫が、しゃべってるようにみえるよ」

「いやいや、このようなところで終わられては、某がわざわざついてきたことの意味がなくなってしまいます……というよりも、某が終わらせぬ」

足もとの虎猫はそういいながら秋奈を見上げ、微笑みながらそう返した。

その光景だけでも、秋奈は驚いているのだが、さらに彼女を驚愕させることが起こった。

本来、四足歩行しかできないはずの猫が、すっと後ろ足で立ちあがったばかりか、いつの間にかその背に身の丈ほどはあろう刀を背負っていた。

「なっ??!!」

当然、あまりに唐突なことで秋奈は言葉を失っていた。

だが、そんなことは気にせず、虎猫――ムラマタは背負った刀を引き抜き、秋奈に巻きついている触手を切り裂いた。

「ふべっ!!」

「……なるほど、春明殿の言う通り、色気のない悲鳴ですな」

「悲鳴に色気を求めるな!!……って春明殿?土御門くんを知ってるの??」

「えぇ。彼とは契約を交わした間柄ですので……それより、来ますぞ」

「へ?」

ムラマタからの警告に、秋奈は思わず間の抜けた声を出してしまったが、その目前に触手が迫ってきていることに気づくと、紙一重でそれを回避した。

襲ってくる触手を一本一本、確実に切り伏せながら、ムラマタはその動きに感心し、感想を漏らした。

「ほぉ、なかなか良い動きをしますな」

「これでも一応は陸上部!このくらいの動きは出来るわよ!!」

「それは心強い。しかし、油断は大敵ですぞ!!」

ムラマタが警告した通り、回避を続けても、次から次に触手は襲い掛かってきた。

何度となく春明と戦闘を経験してきたムラマタではあったが、一体多数という状況を覆すことができるわけではない。

やがて数の暴力に押し負けることは、目に見えていた。

「……これは、某も覚悟を決めねばなりませぬかな」

「ちょ、縁起でもないこと言わないでよ!!あんた、猫又でしょ?!なんとかならないの??!!」

「某が猫又というだけで、この状況をどうにかできると考える根拠は?」

「……ないです、ごめんなさい……」

ムラマタの指摘に、秋奈はぐうの音も出ず、謝罪を返した。

同時に、ここ数日で何度となく春明から、あるいは春明の父親や祖父から叩きこまれてきた文言が頭に浮かんできた。

『自身の今までの常識を超えるものであっても、能力に限りはある万能ではない。できることとできないことを見極め、を見出せ。それが、生き残るうえでもっとも重要なことだ』

確かに、春明にしてもムラマタ目の前の猫又にしても、今まで秋奈が培ってきた知識常識にはない存在だ。

それゆえに、自分にない力を持っていて、自分にできないことはなんでもできると思いこんでいた。

だが、そんな春明でも人間なのだ。できることや得意なことがあれば、苦手なことやできないこともまた、当たり前のようにある。

それをすっかり失念していた。

「謝罪するくらいなら、まずこの場から生き延びることを考えていただきたい……某だけでは、あなたを守りながらではさすがにもちませぬ」

「なら、わたしが力を貸しましょう」

秋奈からの謝罪に、刀を構えながら返した猫又は、突然、響いてきた声の方向へ視線を向けた。

秋奈も同じように視線を向けると、驚愕に目を見開いた。

彼女の視界に入りこんできた光景は、修道服をまとい、頭巾をかぶっている同い年くらいの少女がゆったりと歩み寄ってきているものだったが、驚愕すべきは彼女の容姿や清楚に整った顔立ちではない。

歩み寄ってくる修道女シスターが手にしているものは、その細身では考えられないほど巨大で武骨な十字架だった。

身の丈以上もあるため、彼女はその十字架を担ぐことはなく、持ち上げるでもなく、ずるずると片手で引きずりながら、平然と歩み寄ってきていた。

「ちょ……え?……」

「あら、どうかしましたか?人の顔をまじまじと見て」

見られていることが少し不快だったのか、シスターは怪訝けげんな顔をして、秋奈に問いかけた。

「あ、ごめんなさい。ギャップがあまりにもすごかったから」

「あら……ふふふ、そういうことなら、仕方ありませんわ。

「……あ、そうなんだ……」

慣れている、といわんばかりの口調に秋奈はもはや突っ込む気すら失せてしまったようだ。

だが、その中で唯一、冷静な声が響いてきた。

「どうでもよろしいのですが、そろそろ戦っていただけないでしょうかな?それとも、某だけにすべて押し付けるおつもりか?」

「あら……失礼しました、猫又さん。それでは、始めましょうか」

ムラマタの言葉にシスターが答えると、その雰囲気は一瞬で冷たいものへ変わった。

その一瞬の変化に、秋奈は気圧され、体を震わせた。

一方のムラマタは慣れているためか、依然として、刀を構えたままだった。

「……ご助力、感謝いたしますぞ」

「いえいえ。これも、親愛なるあの方のためです」

「左様で」

「えぇ……さて、そろそろ始めましょう」

言うが早いか、少女は手にした巨大な十字架を振りあげ、地面に叩きつけた。

その衝撃で、周囲で鎌首を上げていた触手たちは吹き飛び、家々の壁という壁に叩きつけられた。

叩きつけられた衝撃は触手の耐久力をいとも簡単に限界までもっていったのか、叩きつけられた触手は地面に落ちることなく、その姿を霧散させた。

「……恐ろしい怪力ですな」

「あら、いたいけな少女乙女に向かって『怪力それ』は失礼ではないでしょうか?」

「いや、平然とやってのけて、それ言うの?」

すっかり蚊帳の外となってしまっていた秋奈は、シスターのその言葉に、冷や汗を伝わせながら突っ込んでいた。

そんな突っ込みは聞こえない、とばかりに、シスターは顔色一つ変えずに十字架を振り回した。

十字架にあおられても吹き飛ばされず、果敢に向かってきたものはムラマタが切り伏せていった。

「……切りがありませんね」

本体大本を叩くほかありませぬが……姿を隠しているようですな」

刀を構えながら、ムラマタは鋭い眼光を周囲に向けた。

だが、猫の目をもってしても、触手の本体を見つけることはできなかった。

ひくひく、と鼻も動かしているのだが、姿だけではなく、匂いも隠しているらしい。

「……匂いもしませぬ。どうやら、長期戦に持ち込むつもりのようです」

「こんなとき、春明さんがいてくだされば、何かいい知恵を授けてくれるのですが」

背中を合わせながら、二人がそう話し合っていると、秋奈が突然、口を開いた。

「……こうなったら、わたしが囮になって触手が伸びてくる大本を見つけるしかなさそうね」

「それはさすがに危険ですぞ!」

「けど、こうするしか方法ないじゃない!!」

秋奈の言う通り、現状、誰かを囮にする以外に有効な方法はない。

だが、それは秋奈を危険にさらすことでもある。

いくら魔法使いの存在を知り、魔法を学ぶ準備を始めたとはいえ、彼女はまだ見習い中の見習い。

保護対象であることに変わりはない。

護衛対象をみすみす危険にさらすことは、プロ失格の行為だ。

それをわかっていて、ムラマタは真っ向から否定したのだが。

「……わかりました」

シスターは秋奈の提案を受け入れた。

それ以外に、方法がないことは、彼女にも理解できていたから。

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