チョコレートタルト
いつも通りの喫茶店の中。
カウンター席で膝立ちになったコトリは、カウンターの中にいるクロエの手元をのぞき込みながら、嬉しそうに話しかけていた。
「そなた、そなた。このちょこれーとたるととは実に美しいものだなぁ。鏡でもないのにこんなにも鮮明に顔が映る」
「テンパリングうまくいったからね。でも最後に削りチョコのせるからあんまり見えなくなっちゃうよ」
「え、こんなに美しい艶なのに・・・」
話しかけながらものぞき込むのはきつね色にこんがりと焼かれたタルト生地の中に閉じ込められた、焦げ茶色の艶やかな表面だ。
そこにはコトリの言う通り、コトリの満面の笑みを浮かべた美しい顔とチョコレートを包丁で削っているクロエの端整な横顔が、カウンター内の天井チューリップ型の照明と一緒に映っていた。
くんっと息を吸い込めば、換気扇によってだいぶ換気されてしまってはいるが。チョコレートの甘い香りとタルト生地の小麦とバターの甘やかで芳醇な香ばしさが鼻孔をくすぐる。
冷蔵庫から取り出されたばかりのチョコレートタルトは見るからにどこかひんやりとした印象の、玲瓏としたたたずまいで。木のまな板の上からカウンターの内外、コトリのもとまで存在感を放っていた。
残念だと言わんばかりに眉と肩を下げるコトリ。しょんと下がったそれらにチョコレートを削り終わったクロエは笑いかける。
「上に削りチョコのせた方が美味しいよ?」
「くっ・・・美味のためならば致し方ない。いっそ一思いにやってくれ!」
「いや、そんな切腹とかするんじゃないんだからさぁ」
目をぎゅっとつむって、己の身を切られるとばかりに震えるコトリに。クロエは思わず苦笑するのだった。
「はい、完成」
「おぉ! 刻みあーもんどものせるとは、なんて心憎い演出を!」
「美味しい方がいいでしょ?」
「もちろんだとも」
鷹揚に頷くコトリ、そんなコトリを後目にざくりざくりと音も香ばしく、クロエはチョコレートタルトを切っていた。1回包丁を入れるたびに汚れたそれを冷たいふきんで拭きとるという丁寧ぶりである。
くるんと削られ丸くなった削りチョコと、砕いたアーモンドを飴色になるまで炒ったそれを散らし、木のまな板の上で8等分になったそれを目の前にして。クロエは満足げに笑って完成を宣言したのだった。
それを調理用の薄い手袋越しにまるで高価な宝石で彩られたティアラを扱うような、そんな丁重な仕草でもってクロエはチョコレートを。窓から入ってきた春の日差しにきらきらと輝く3つのティースタンドへと2つずつのせた。
「さて、ティースタンドにものせたし。恒例のあれ、やるよ」
その紳士然とした慎重さに、ぼうっとクロエを見ていたコトリはクロエの言葉にはっと我に返った。
「あ、あれか」
「なんだと思う?」
「うえ!? あ、あの。あれだ!」
「ふはっ、どれだよ」
「あ・・・あ!」
「あ?」
あわあわと答えるコトリ。クロエが目を細め、意地悪く笑いだす。やがて、思いついた! とばかりに顔をぱああと輝かせて、コトリはクロエの顔を見ながら叫んだ。
「味見!」
「正解。ってことで、見事正解したコトリには生クリームもつけてあげようね」
「なまくりーむ! 白くてふわふわで甘いやつ!」
「そうそう。たっぷり絞ってあげるからね」
「あ、ありがとう!」
「はい、どういたしまして。じゃ、席について待ってな」
「わかった!」
いそいそと膝立ちをやめて座り直したコトリに、クロエは今度こそ声を出して笑ったのだった。
純白と言っても差し支えないほどに白い皿の上には。
こんがりと焼き色も食欲を刺激するタルト生地の1ピース。
断面は綺麗に切り取られていて、上から見れば艶々としたチョコレート。艶めきも美しいさらにその上には刻んで煎った香ばしい香りのアーモンドと、くるんと丸まって可愛らしい削りチョコレートが。
その横にはぽんと丸く絞り出された生クリームにはカウンター内で育てているミントの葉が1枚飾られている。皿にはキャラメルソースで緻密な模様が描かれていた。
皿の端に乗せられた小さなフォークも持ち手には薔薇の意匠が凝らしてあって、添え物としての役割を果たしていた。
「はい、どうぞ」
「わぁ・・・綺麗だ!」
「そう? 頑張ったかいあったね」
「すごいぞ、そなたの手はまるで魔法の手だ」
「ま・・・ありがと」
不自然に固い声で礼を言ったクロエ。何か不機嫌になるようなことを言ってしまったかとあわてたコトリだったが、そっぽを向いたクロエの耳が赤くなっているのを見て、ぱちりと目を瞬かせた。照れているのだ、と気付いたとき。ほにゃりとコトリが頬を緩めてしまったせいで、赤い耳がさらに赤くなってしまったことは余談だ。
それはともかく。
しばらくそっぽを向いていたクロエは耳の赤みが収まった頃、ようやくコトリの方を向いた。
色白な頬はわずかに上気していて、それをぱたぱたと手で扇ぎながら口を開いた。
「じゃ、食べようか」
「そなたも一緒に・・・」
「俺は隣の席で食べるからさ」
「一緒かな!」
「そうそう一緒」
キャラメルソースと生クリームののっていない自分用の皿と、からんと氷の音も涼やかな作り置きのアイスティーを2つ。両手に持ってクロエはコトリの席の横にさっそく汗をかき始めたアイスティーとチョコタルトののった皿、コトリのところにもアイスティーを置く。2人ともノーマル派なので、ミルクもシュガーも用意はしなかった。
そんなわけで、嬉しそうに「一緒」を繰り返しているコトリの隣にクロエも腰を下ろす。
まずは1口。タルトだけで食べてみることにしようと、コトリは1人頷く。いきなり頷きだしたコトリを、クロエは不思議そうに見ていた。
すうっと入ったフォークが、タルト生地にまで到達するとざくりと軽快な音を立てる。耳触りに良い音を聞きながら、そのままフォークですくって1口。口に放り込む。
と。
ざっくりと小麦とバターの香ばしい甘みもそこそこに、チョコレートの甘さが舌に触れてコトリは体が震える思いだった。そこに刻みチョコレートのぽろぽろした感触と刻んだアーモンドの小麦とは違う、ナッツの香ばしさ、かりかりの食感がすべりこんでくる。
それらが口の中で混ざってまた新しい顔を次々と出してくる。甘くて香ばしくて少し苦い。舌から伝わるその味に、幸福感に包まれてうっとりと目を細めるコトリ。そんなコトリを横目に見ながら、クロエもざっくりと大きめに崩したタルトを口の中にいれる。
舌の上で淫らに舞う踊り子のように、苦み、香ばしさ、甘みが激しく踊り狂う。その中でもチョコレートの濃厚さは舌を捉えて離さない。それでも、タルト生地と出逢えばざっくざくの触感と一緒に手を取りステップを踏み出す。
(コトもいい感じだし、成功かな)
幸せそうにほにゃほにゃ笑っているコトリを“いい感じ”と称し、クロエはぱくぱくと残ったチョコレートタルトを口の中に入れて咀嚼し呑みこんで。
取り合いされている舌を救うようにアイスティーで流したのだった。
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