第1話 いきなりお金がなくなった



 闘技都市 コロセアム


 それから時間は数時間くらい飛ぶ。


 あたし達はゆゆしき問題に直面してしまったため、その解決方法として、ナナキをとある大会に出場させていた。


 周囲にいる大勢の人々が歓声を上げ、周囲の雰囲気が沸きあがり、辺りを賑わせる。

 司会の男が、その歓声に負けないようにと大きな声を張り上げた。


「優勝したのはなんと新顔も新顔、今大会初出場の超ルーキー……ナナキ・リトランテ選手だあああー!!」


 大勢の観客に囲まれるようにして存在する、地面から盛り上がった円形状の舞台の上では、今しがた決勝戦の強敵を倒し終えたばかりの少年が悠然と立っていた。


 紫と白でまとめた飾り気の無い簡素な服に、艶やかな黒い髪、整った表情。とりたてて目立つような所も、奇抜な所も無い、ごく普通の少年だ。


 いささかの疲労も感じさせない様子の少年は使用した剣を腰に吊るした鞘に戻し、歓声に答える事も無く舞台を降りていく。


 その少年を見つめる観客達の中、最前列で試合の行方を見守っていたルオン達も歓声を上げていた。


「やったぁ! やったね、ルオンちゃん。ナナキが勝ったよ」

「当然だろ、モカ。あいつがこんなとこで負けるような腕してたら、あたし達は生きてここにいない」


 素直に喜びの声を上げているのはモカという少女。淡い色調でまとめた、ひらひらしたフリルやふわふわした生地を使ったワンピースを着た、女の子とはこういうものだという見本を体現したかのような少女だった。


 整えられた栗色の髪に髪飾りをつけ、屈託の無い笑顔を振りまき、華奢な細腕で舞台上の少年に向かって手を振っているその様子は、試合の最中であっても、周囲の観客の目をわずかながらに奪うほど可憐なものだ。


 対してルオンという少女……あたしは、舞台にいたナナキという少年が着るような……男物の服を身に着け、装飾品の類は力自慢の祭りに出てくるような気性の荒い動物の牙を、適当にくくりつけてあるだけであった。


 櫛の一つも通してないようなハネがところどころ目立つ黒髪、ごく普通の成人男性より少々高めの身長と、鍛えられていることが窺える体格。百人に性別を聞いて百人が、男性だと答えるところだろう。見た目だけならまだしも、中性的な声質と、ぞんざいな言葉遣いがそんな誤認識に拍車をかけてしまっているのは、さすがに本人(じぶん)も知っている。


 ……あたしもモカみたいに可愛い服とか着ればちょっとは、女の子らしく見えるんだろうか。


 正反対なだけに、並んで立つとどうにもモカと比べてしまいがちになる。


 ……ナナキはどう思ってるんだろうな、こんな男っぽいのがあの巫女様だなんて、嫌だって思ってるんだろうか。


 そんな事を考えていると、後方から声がかかった。


「なあ、お嬢ちゃん。これから俺たちと一杯飲みにいかねぇか、げへへ……」


 ……げへへって、なんだよ。今時そんな笑い方する奴いるか? 酔っぱらってんのかこいつ。


 モカに話しかけている後ろの席の男の方を見る。

 顔は赤らんでるし、目は焦点が定まっていない、そして何より酒瓶らしきものが男の片手に握られているのが何よりの証拠だった。


「おじさんたちと楽しくおしゃべりしようぜ、なぁ……」

「ごめんね、酔っぱらいのおじさん。モカこれから、ナナキとご飯食べる予定だから」


 そこでモカは、普通の女の子だったら顔を引きつらせて、否定の一言を言うのがやっとの状況のもかかわらず、物おじすることなく丁寧に対応して、あまつさえ笑顔すら向けている。


 ただ、事実でも人を酔っぱらい呼ばわりするのはどうかと思うが。


「そんな事言わずにさぁ……一緒におじさんと楽しい事しようよぉ……ぐふふ」


 と、モカの断りにもひるまず話しかけ続ける酔っぱらい酒瓶男。

 焦点の定まらない眼は、それでもある感情を匂わせてモカを眺め続けている。


 ……ていうか、楽しい事って。こいつそれが目的なんじゃ。


「楽しい事って何かな?」


 モカは、一点の曇りもない純粋な表情で聞き返す。それも酔っぱらい酒瓶男に。


「モカ、普通そういう事聞かない」

「そうなの? 何で?」


 ……何でって、それを説明させる気か? あたしに?


「ふへへ、おじさんが教えたげるよぉ……」


 ……何だ、その気色の悪い笑い方。下心丸見えだろ。


 酔っぱらい酒瓶男は、身を乗り出してモカの手を掴む。


「だから一緒に……」

「その手を離せ、酔っぱらい。人を呼ぶぞ」


 だから、あたしは、酔っぱらい酒瓶男の手を掴んで止めた。


「ああん、なんだお前。他人がでしゃばるなよ」

「他人じゃない、モカの……その子の連れだ」


 どうやらこちらの事は視界の中に入っていなかったようだ。

 男の手をモカから引きはがして背中にかばう。


「何だぁ、彼氏がいたのかよ」


 白けたような顔つきになり、男はさっさとその場を去ろうする。

 そのまま見送っておけばよかったものの、あたしはつい反論してしまった。


「彼氏じゃないっ、見てわかんないのかよこのタコ!」


 そう余計なひと言を添えて。

 不機嫌そうだった男の背中が、正真正銘の不機嫌な色を帯びていく。

 振り向いた顔は、本人には悪いがさらに赤みの増していてタコそっくりだった。


「なん……つった、小僧てめぇ……」


 これが自分は女だと反論していたなら、また違った反応になったのだろうが、もう遅い。

 時は巻き戻せないものだ。


 ……だから、一生懸命人間は生きるんだしな。


 ちょっと、思考がシリアスな感じのよそに行ってしまった。

 戻ってこよう。


「あー、これひょっとしてやばいか……?」

「モカ、やばいと思う」

「だよなぁ」


 頭を掻きつつ考える。

 こんな所で騒ぎを起こしたら、大変な事になる。怪我人が出るかもしれないし、せっかくナナキが稼いだのに、その賞金が没収されてしまうかもしれない。


 だが目の前の男は、今さら訂正したところで聞く耳もたないだろう。やるしかないのか。

 と、悩みつつもさらっと戦闘を決意。


 普通なら、戦わない方向で解決方法を探す所だが、あたしは違う。

 泣き寝入りは嫌だ。


「暴れ牛の新星と呼ばれたこの俺の実力みせてやるよ、へっ、謝ってももう遅いからなぁ……」


 だが、見た目に酔っぱらっている割にしっかりとした足取りで、結構様になった構えを見せる姿に、


「判断間違えたか……?」


 今更ならが後悔した。


「くらえぇぇ、ひぃっさつ回転突進拳!」


 男が酒瓶で殴り掛かってくる、帰りが買っている観客が周囲にいるのにもお構いなしでだ。


「拳じゃねぇじゃん! お前、他の人間に迷惑だろ」

「その言葉、ルオンちゃんが言っちゃだめだよ」


 確かに。

 早々に、戦闘を決意した人間のセリフではなかった。


「回転突進拳! ええぇい回転突進拳! ……もういっちょ回転突進……拳!」


 やたらと酒瓶を振り回し、回転突進拳なる技を連発する男を見て、


「ひょっとしてお前、それしか出来ないのか」

「……、ぐ、ぐぐぐ」


 またもや余計なひと言を発言してしまった。

 ようするに図星をついてしまったようだ。


「きしゃあぁぁぁぁ!」

「人の叫びじゃないな」


 怒り狂う男の攻撃を避けながらの、冷静に突っ込みのひと言。


 散々使われた酒瓶は、三分の一も原型を留めていない。

 安いのだろうか、高いのだろうか。


 それに、周囲の椅子やら手すりやらに増えてく傷を見て、はあぁ……とため息をつく。


「仕方ないな。うん、仕方ない。なるべくならやりたくなかったんだけどな、手加減できないし。でもさすがに……」


 これ以上はまずい。

 弁償で死ぬ。


 あたしは、全身に力を入れる。男の行動を観察して予測し、確実に一撃を入れられるタイミングを待った。


「ルオンちゃん殺しちゃわないでね。大変だから」


 モカが、可愛らしい声でとんでもない事を言っているが集中しているが、あたしはあえて聞かなかった。


 とうとう酒瓶が限界に達してしまったのか、粉々になってしまう。

 暴力の道具にされて可哀そうに。

 男はそれを投げ捨て、素手でルオンの方へと迫った。


「ちょろちょろ逃げんじゃ、ねえぇぇっっっ!」


 安心しろ、もう逃げねえよ。


「そ……、こだ……っ!」


 ぎりぎりまで引き付けて、男の拳を避ける。

 その回避行動中に、無防備になった首筋に手とうを叩き込もうとして……。


「ぅあ……?」


 間抜けな声を残して男が吹っ飛んで行った。

 あたしの後ろから現れた優男が、こちらの狙う目標の腹を蹴っ飛ばしたらしい。


「あ、いい感じの所に入ったね」


 モカの角度からはそう見えたらしい。こちらからじゃ分からないが。

 一瞬遅れて、目標を失った拳が手すりを後ろの席を破壊。

 心地の良い音とともに、粉々に砕け飛び散った。

 酔っぱらい酒瓶男は、後方の席に吹っ飛ばされて目を回している最中だ。


「何すんだ……って、ナナキか」


 蹴っ飛ばし犯の方に視線を向け抗議をしようとすると、見知った人物だという事に気付いた。


「それはこっちのセリフだ。あの人を殺すつもりか」


 巫女に仕える人間だというのに、平気でため口を使う。生意気そうだ。というかいつも生意気だ。生意気な奴なんだこいつは。


 前にそんな事を話したら、そっちこそと言い返されたが。

 まあ、いつもはもっと大人しいのだが、時々こうなるのだ。


「そ、そんなわけないだろ。ただ、ちょっとその……、気絶してもらおーかなーっと……思っただけというか」


 何というか、ごにょごにょ……。


「貴方の力で気絶なんて生ぬるいですよ。人間だったら粉砕物です。何度も言ってますが、その特技は人前に出さないでください、良いですね? 絶対です!」

「そんなに言わなくたっていいじゃんか。仕方なかったんだよ」


 前世は席だった物を指さして、真顔で抗議される。

 言葉は敬語に戻ってるが、何か余計なことでも言ったらそんなの軽く吹っ飛ぶだろう。

 それにまあ、あの酒瓶男はともかく……周囲の人間への迷惑とか考えて、無残になった席とか見たら、もうちょっとやりようがあったかも……とは思わなくはないが。


 来世があったら、ちゃんと最後まで席でいられたらいいよな、なんて思いつつ反論の言葉を考える。だって、こっちにだって一応理由はあったし、一方的に因縁つけて殴ろうとしたわけじゃなかったんだし。


「反論禁止です」


 が、すぐさま釘を刺された。


「なんだよ……。頑固頭」


 ふてくされてそっぽを向くと、遠巻きに怯えながら見つめているやじ馬たちと目があって、


「ふんっ……」


 苛立ったのでなんとなく威嚇した。どすの利いた表情という奴で。


「ルオンちゃん、女の子がそんな顔しちゃだめだよ」


 モカが、苦笑しながら注意する。


 ……どんな顔だったんだ。今更ながら。まさか、ナナキが引くぐらいの凄い顔してなかっただろうな……。村の畑を荒らしに侵入してきたイノシシを脅した時みたいなのだったら、確実に終わるな……。


「ナナキも、ちゃんとルオンちゃんから理由を聞かなきゃ」


 ナナキにも、とモカは言う。

 基本平等な彼女は、こんな時の非常に優秀な仲裁役だ。


「俺だって分かってますよ、ルオン様が理由もなくそういう事をする人ではないことぐらい。加減というものを知ってほしいところですが……」


 ただ、とナナキは先ほどよりさらに遠巻きになっているやじ馬の人垣から、男性が一人走ってくるのを見て付け足した。


「俺が分かっても、向こうにとって分からないことでしょうね」


 駆けつけてきたのは、大会の警備員だった。

 そりゃそうだ、こんな騒ぎで来ない方がおかしい。来なかったら職務怠慢で警備員失格だ。


「何の騒ぎだ。話を聞かせてもらうぞ」


 当然ナナキは隣でため息をつく。

 毎度毎度のことだ、とは割り切れないみたいだ。言うと、クソがつくくらい真面目なのだ。


 ……ストレスにならなきゃいいけど。……って無理か。アタシのせいだし。


 ……はぁ、ナナキがせっかく勝ち進んで手に入れた賞金が、パアにならなきゃいいんだけどな。そもそも数時間前に、財布の中身が消えさえしなけりゃこんな事せずにすんだのに。


 巫女が闘技大会に星衛士ライツ出して金策とか、間違っても人には言えない話題だろう。


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