第14話 平行線の立場



 薄情なモカに見送られて、俺はナナキと共に宿泊客が利用する階から、下の階へと移動した。


 宿泊客が利用してもらう為に用意したという食堂にやって来たのだが、小さい宿の割には多くの人がひしめいていた(ここまでの道中、会話は一切なしだ)。

 宿に泊まる人間以外も利用しているのかもしれない。

 みな、思い思いに腹を満たすなり、今日の出来事について語り合っている。


 邪魔にならないようにしようと考えてると、ルオンたちの元に一人の中年の女性がやってきた。


「おや、何かご注文かい? もう少ししたら席が空くと思うけど、生憎と今は満席でねぇ……」


 客の料理の運搬やらその注文取りやらで忙しく動きまわっていた食堂のおばちゃんに、わざわざ気にしてもらって申し訳なくなる。


「いや、ちょっと水もらいに来ただけなんだ。忙しいならまた後で……」

「はいはい水ねぇ、すぐ持ってくるから待ってな」


 また時間を改めて来ようかと言おうとしたのだが、その前に、おばちゃんはさっさと奥へ引っ込んでしまった。

 狭くひしめき合うようにしてイスに座っている客達の間を、ひょいひょいと身軽に通って、だ。


「すげぇ」


 ……すげぇな、おばちゃん。あの人、ただもんじゃない。


 食堂の切り盛りでも長年勤めればあんなことが出来るのかと感心してしまう。

 あの動きを何かの参考にできないかと、ついガン見してまった。訓練生時代の癖だ。


「今の動きは、星衛士ライツでも手こずりますね」

「マジか……、って、はっ」


 ナナキの発言に一瞬で我に返る。


 ……何やってんだ俺、星衛士ライツ目指すのはもう止めたのに。

 ……それに、巫女が宿屋のおばちゃんの体裁きに目を奪われるとか……。


「……ルオン様は一年ほど前まで、星衛士ライツの訓練施設に通ってらしたんですよね」

「な、なんでそれ知ってるんだ」


 唐突にかけられた言葉の中身に驚いていると、何でもない事のようにナナキが続きを離し始める。


「大事な巫女様の護衛に就くのです。護衛対象の事はある程度把握しておくべきかと。それぐらい巫女付きとしてなら当然の事ですので」


 冷ややかともとれる態度に、俺は口を尖らせた。


「正当な理由があるから、人のプライバシーを侵害してもいいって事かよ」

「私は、そういう意味で言ったわけでは……」


 ……あれ?


 俺が言うのも何だが、こっちののケンカ腰の言葉にてっきり「当然です」みたいな返答がくるかと思いきや、返って来たのは困惑したような言葉だけだった。


「はい、水だよ。それとレモンの果汁入れといたからね、サービスだよ」

「お、おう。……ありがとう」


 にゅ、と緊迫した空気の中で横合いから差し出されたグラスに、一瞬どう反応していいのか分からなくなった。

 我に返ってお礼を言う頃には、おばちゃんは大分離れている。


 話題が微妙な所で途切れた気まずさを誤魔化す為に、グラスに口を付けた。


 ひんやりとした水の感触が、すっとして乾いた喉を癒していく。

 後に来るのはうっすらとしたレモンのあっさりさわやかな酸味だ。

 夢中で、グラスの中身がなくなるまで飲みほした。


 この気の効かせっぷり。やはりりただ者じゃない。


「……んく……ぷはぁっ」


 ごちそうさま。と心の中で、おばちゃんのいるであろう食堂の奥へとお礼の念を投げる。

 後で、グラスを返す時にも改めてお礼を言おう。


 だがその後に満ちる無言の空間。


 ……もうちょっと、ゆっくり飲めばよかった。

 ……モカの分もらうの忘れてるし。


 自分のあんまりな考えなしの行動に、激しく絶望するしかない。

 

 どうしたものか。

 グラスを返すのも、追加を頼むのも、食堂内で忙しく動きまわっているおばちゃんをまた呼びつけるのは気が引ける……。

 一番良いのはもうちょっと、落ち着くまで待ってやる事だが……。


「もうちょっと、待ってた方が良い、よな……」

「そうですね」

「…………」

「…………」


 ……駄目だ! 会話が続かないっ!!

 ……誰かのこの胃に悪そうな空気を何とかしてくれ!


 頭の中でなさけなく悲鳴を上げるしかなかった。


 奇跡的に上の階からモカが降りて来るとかないかな、と他力本願なことを現実逃 避気味に考えてみたりするが、当然そんな奇跡のような事は起こらなかった。


 不思議だ。空気に重さなんてないはずなのに、俺は押しつぶされそうだ。

 このままだと、身が持たない。ぺしゃんこだ。

 相手がこっちに良い感情を持ってないにしても何か会話してないと、潰れてしまいそうだった。


 ……何か! 何か会話のきっかせとなるもんはないのかっ!


 血に飢えた猛獣の様な表情で、必死に周囲をさがしまわる俺の視線。

 近くに座っていた客の何人かが、そんな視線とかち合い、こっちの形相を見て情けない声をあげたり、持っていた食器を落としたりしてしまうのだが、どうでもいい。


 で、そんな旅路の果てに視線が辿り着いたのは、一本の鞘に納まった短刀だった。


「へ、へぇー……、綺麗な武器だな、それ」


 それはナナキの腰紐に括りつけられてる武器だった。

 必死に探した話題の種が武器って……。

 口にしてすぐに後悔した。


「これ、ですか……?」


 ナナキは括り付けてあるそれを外し、目の前に持ってくる。


「これは、俺の訓練生時代にお師匠様からもらった物なんです。武器にするには心もとないかもしれませんけど、お守り代わりにいつも持ってるんです」

「そ、そうなのか、大事なもんなんだな。でもそれにしたって、男が持つにはちょっと可愛すぎるような気がしなくもないような」


 短刀の柄の先には、ナナキの瞳の色と同じ様な深い夜闇をこめたような水晶がはめ込まれている。その水晶の中には、無数の様々なの色の星の形の装飾品が入っていた。星自体も、水晶と同じ材質なのか透き通っていて、食堂に満ちる明かりを反射してきらきらと輝いていた。


「そうですよね。俺もそう言ったんですけど。見た目なんかどうでもいいって言われて」

「見た目もちょっとは大事だろ。まあ、汚れてるよりは良いけどさ」

「俺が、星衛士ライツの最後の試験に受かった夜、お祝いにもらったんです。夜盗百人と熊三十匹の血を吸ったこの剣を持っていけば、巫女付きを目指しているお前にはちょうど良いお守りになるだろうと」

「お守りって言うより、呪いの品っぽいだろそれじゃ」


 突っ込みつつも、さっきよりはずっと気が楽な事に気付いた。

 黙っているより喋ってる方が全然いい。空気が重くないし。


「ですよね。色々と私の師匠はおかしい所がある人でしたから」


 そう言いながら、短剣を見つめるナナキの表情は、今までに見たどの表情よりも柔らかくて温かなものだ。


 ……へぇ、こいつこんな顔も出来るんだな……。


 今まではもっとこう……、と表情を思いだそうとして、あまり浮かばない事に気がついた。

 今までの表情を多い浮かべようとしても、怒っているようなのしか浮かばない。


 ……それもそうか。あれから、まともにこいつの顔見てなかったからな……。

 ……そうだよな、いつまでも距離置いたままじゃ駄目だよな。


「あ、あのさ。ずっと言いたかったんだけど……」

「何でしょう」


 ナナキの顔をまっすぐ見る。

 思ってたよりは怖くない……と思う。思っておこう。気にすると思考が泥沼に入りそうだし。

 むしろ、線は細いし顔立ちも整ってるし、夜色の瞳は何か夜空みたいだし……意外と、けっこう……って何余計な事まで考えてんだ。戻ってこい。


「あのな。あの時は……」


 悪かったな。と言おうとして、誰かが近くを通るのに気づいた。顔が真っ青だ。

 この宿の宿泊客だろうか。

 食堂にやってきたその男性は顔を青ざめさせたまま進み、視線をキョロキョロと動かす。


 誰かを探しているだろうのか。


 人でごった替えした中、その男は先に席に座っていたらしい仲間を見つけて声をかけた。


「どうしましたルオン様」

「いや、あいつ大丈夫かなって……」


 怪訝に思ったナナキに尋ねられて俺は男の方を視線で指し示す。

 男は仲間が座っている卓の席について、大げさな身振りで急く様に話し始める。


「大変な事が起きたぞ!」

「おう、遅かったな。どうしたんだよ、そんな顔して。もう夕飯喰っちまったよ」

「それどころじゃない。さっき聞いたんだよ。港に行く方面の街道で、隊商が野党に襲われて、全滅……したらしい」

「何だって、全滅! 生き残った奴はいないのか」

「ああ、生存者はいない。無残になった残骸をたまたま通りかかった他の旅人が見つけて知ったらしい」

「ひでぇな」


 どうやら良くない類の話題らしかった。

 周囲で聞き耳を立てていた他の客達も、「おいおい、まじかよ」「その話、本当なんだろうな」などと言って、耳を疑ったり、逆に訊き返したりしている。


「嘘じゃねぇ、本当だ。しかもその夜盗ってのが、最近急激にでかくなりつつある、グリーンウルフらしいんだ。襲われた馬車に、緑色の狼のマークが描かれてたって……」


 話を聞きつつも、俺は顔が強張ってしまう。ナナキの方を向くと、目があった。


 実は俺達は、明日そこ通る予定だったからだ。


 あの男は、港方面の街道に出たといった。自分たちの目的地はその港なのだ。進路がモロ被りだった。


「すいませんルオン様、部屋に戻っていただけますか」

「へ?」


 急なナナキの言葉に、意味が分からず間抜けな声が出る。


「モカ様の水は、後でお持ちしますので。ルオン様のも、こちらで返しておきます」

「あ、ああ。お前はどうすんだよ」


 ごく自然な感じで、手に持っていたグラスを渡されて、部屋へと促されて戸惑う。


「私は、もうちょっと話を詳しく聞いておこうと思いまして。これからの進路のこともありますし。状況によってはルートの変更も視野に入れなければなりませんので」

「な、なら俺も聞くって……。お前だけに任せておけないだろ」

「まだ巫女付きになって日も浅いですから、私の腕について信用できないのも仕方ないでしょうけれども、任せてもらえないでしょうか」

「ち、違うって、そういう事じゃなくて……」


 ……俺はお前だけに、そんな大変な事させられないって言いたいんだよ。


 言いつのろうとするがそこにモカの声がかかる。

 待ちくたびれて部屋から出てきてしまったらしい。


「ルオンちゃん? 遅いからちょっと心配しちゃったよ」

「モカ」「モカ様!」

「どうしたの二人とも、こんな所で壁のお花さんになって。あ、ひょっとして仲良しさん? 邪魔しちゃった?」


 と、モカは一瞬嬉しそうにするのだが、すぐに食堂内の状態を見て納得する。


「そっか、お水頼んじゃってごめんね。もうちょっと人がすいてからこればよかったね」

「モカ様、あまり一人で出歩かないでください」

「えへへ、ごめんなさい。うーん、じゃあお部屋に戻って、ルオンちゃんと一緒に日記でも書いてよっかな。今日あった事についてルオンちゃんともっとお話したいな」

「けど……」


 視線をナナキとモカの間で彷徨わせる。

 少し前までなら喜んでついて行ったのに、今はすごく躊躇いがあるのだ。


「私は大丈夫ですから。さあ、部屋まで送ります。後で明日の事についてお話がありますので」

「情報、得られなくたって、文句言ったりしないからな」


 結局モカの言葉を受け入れる形で、部屋に戻る事になったが去り際にそれだけ伝えておいた。

 それからモカと今日の初めての旅路について色々話したが、半分くらい上の空で少し申し訳なくなった。


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