第2話 クーリエ 『メトロヤブーの血闘』後編


「失礼なことを言うじゃないか、マイルズ候補生!」

 クーリエが自分でも驚くほど大きな声だった。

「聞き捨てならないな! 謝罪を要求する!」

 悲鳴に近い女の怒鳴り声に、遊戯室中の目が集まった。

「なんだ?! お前、相手を見てものを言えよ?!」

 マイルズもシェローズも険しい顔になっている。

 周りでは、なんだなんだ、と、ざわめきがおこり始めた。

 機を見て、クーリエは立ち上がり、

「私はイカサマをやったと罵られた! 著しく名誉を傷つけられたのだ! 謝罪ができないのなら決闘だ!」

 と、マイルズを指さしながら遊戯室中に聞こえるように言った。

「決闘?」

 ペッツが慌てた。

「おいおい。クーリエ君、彼らは負けすぎて、ちょっとイライラしていただけだ。ちゃんと君に謝るよ」

 実際のところクーリエは見かけとは全く逆に、極めて醒めていた。

 だが、彼女はこの場面では憤慨しているように演じることが必要だった。

 そして、彼ら2人が謝れないようにするにはなんと言えばいいのか考えていた。

「そうですか。それならここに居合わせた諸君の前で、彼らがわたしに許しを乞えばよしとしましょう」

 クーリエはキッと挑むようにマイルズを睨んだ。

 するとマイルズとシェローズは彼女の思い通りになった。

「つけあがりやがって、このアマ! 誰がお前に謝るか!」

「いきなり怒り狂いやがって、お前、頭がどうかしたのか?!」

 クーリエは2人の目を見て頷いてから、ペッツを振り返った。

「聞きましたか?」

 遊戯室は静まりかえり、誰もがことの成り行きを見守っていた。

 クーリエは、ホルスターからつまみ上げるようにゆっくり拳銃を抜くと、雀卓の上に投げ出した。

 ごろん、と緑のラシャの上に拳銃が転がり、がしゃり、と牌を散らした。

 クーリエはゆっくりと宣言した。

「では決闘だ」

 どよめきが起こった。

「け、拳銃で勝負か!」

 マイルズはクーリエのいつもとは違う剣幕にひるんだのか、声がうわずった。

 クーリエは首を振った。

「私は腕力は弱い。拳銃の射撃にも自信がない。だが公平な殺し合いの方法を知っている。この拳銃には弾が一発だけこめてある。交互に自分に向けて引き金を引いて、ロシアンルーレットで決着をつけよう」

 そのクーリエの申し出に、遊戯室に居合わせた誰もが耳を疑った。

 異様な空気だった。

「ムチャだ!」

 そんなつぶやきも聞こえた。

「どうした。決闘を受けるだろうな?」

 彼女はたたみかけるようマイルズとシェローズをうながした。

「私には侮辱を受けた側として決闘を主張する権利があり、また、その方法を選ぶことができる」

 確かにクーリエの言うとおり、決闘は正当な理由があれば認められる権利であり、軍規外の場面で名誉を重んじることは誰にも咎められることではない。

「おい、まて……」

「待たない!」

 シェローズのつぶやきにクーリエはかぶせて決然と睨みつけた。

「侮辱された以上、謝罪を要求するのは当然。それすら拒まれたなら、決着をつけるには決闘以外に方法はない」

 静かに一語一語区切りながら言い放った。

 マイルズもシェローズも言葉を失い、青ざめた。

 これは冗談ではすまない。本気だ。誰もがそう見て取っていた。

 ペッツが口を開いた。

「クーリエ君、落ち着きたまえ……」

 彼は彼女を刺激しないように、なるべく穏やかな声をかけた。

 だが、クーリエはペッツを振り返って念を押した。

「大尉には立会人をお願いしたい」

 静かにたかぶった彼女の態度に、ペッツはゾッとして言葉を飲み込んだ。

「先に引き金を引いてもいいぞ」

 クーリエは挑むようにマイルズとシェローズを見た。

 ざわめきは消え、遊戯室が静まりかえった。

 だが、2人とも青ざめてチラチラとお互いの様子をうかがうばかりだ。

 そして何か言いたげに、しかし恐れの目でクーリエと拳銃を見る。

 クーリエは、その2人の様子を見て、それだけですがすがしい気分になった。

 死か生か。

 これから先も死にたいくらいみじめな思いを続けるか、それとも侮辱されれば決闘も辞さないという一目置かれる存在になるか。


 ここは勝負だ。


 運命のささやきによって、彼女は勝負に出たのだ。

 結果、あの暴君らは彼女を恐れるように視線を落とし、青ざめている。

 自分が独りで死んで苦しみから逃れるという方法しか思いつかなかったクーリエが、突然のひらめきによってこの勝負の機会を得た。

 いや。マイルズとシェローズの顔。周りのクーリエを見る目。

 これはもうクーリエの勝利と言ってもよかった。

 いままでの人生で感じたことのない、高揚した気分だった。

 静かな興奮に酔ったクーリエは、勢いがついた。

「君たちにその勇気が無いなら、私からやろう!」

 言うが早いかクーリエは、拳銃を手に取った。

 周りが一斉に息を飲んで笛の音のようになった。

 彼女は一度は自分が引き金を引かなければ、この事態は収束しないと悟っていた。


 これを乗り越えなければ勝利は確定しない。

「私が生き残ったら次は君の番だ、マイルズ君」

 クーリエが自分のこめかみにマズルを押し当てた。

「誰かとめろ!」

 遠くで誰かが叫んだ。


 銃声が轟いた。

 悲鳴が上がった。

 雀卓やカードテーブルが蹴倒され、遊戯室にいた者は全員倒れ込むように伏せた。


 立っているのはクーリエと、拳銃を握ったその手を取って天井にむけたペッツ大尉だけだった。

 クーリエが天井を撃ったオートマチック拳銃は、スライドが後退したままになり、一発だけこめた弾倉が空になったことを示してた。

 ホールドオープンした自分の拳銃を放心したように眺めるクーリエに、ペッツ大尉は小声で穏やかに言った。

「ロシアンルーレットはリボルバーでやるものだ」

 それは遊戯室にいた誰もがクーリエに言いたかったことだった。

 本に頼ったクーリエの知識には、リボルバー拳銃の回転弾倉に一発の弾をこめてランダムに装填するのがロシアンルーレットであるという詳細が欠けていた。

 弾をこめれば確実に一発目から発射されるオートマチックとリボルバーの違いもわからないクーリエはペッツの言葉を聞いても拳銃を手にしたままポカンとしていた。

 ペッツは苦笑するように微笑んだ。

 それから、おもむろに鉄拳制裁を加えた。




 この事件の噂はイヅル鎮守府に停泊中の全艦隊にひろまった。

 今や、クーリエの名前を知らない者はない。

 オートマチック拳銃でロシアンルーレットをやろうとした、恐るべき命知らずな女として。

 そのクーリエを怒らせた相手であるマイルズは、逆に男を下げた。

 評判というのは無責任なものだ。

 無謀にも引き金を引いたクーリエは賞賛され、マイルズは引き金を引けなかった臆病者だとそしられた。

 だが、マイルズ当人にしてみれば確実に一発目で弾が出る「オートマチック拳銃ロシアンルーレット」などというイカレた真似はできるわけがない。

 以前からのマイルズを憎悪していた者達がこの事件を痛快に思ったことも手伝い、そのように広まったともいえた。

 噂を口にするほとんどの者は、クーリエがマイルズに、あえて「オートマチック拳銃ロシアンルーレット」という無理難題をふっかけてヘコませたうえで、自分は名誉のために引き金を引いたのだ、と信じていた。

 そして、ロシアンルーレットに関するクーリエの無知や愚かな勘違いの可能性を思いつきもしなかった。

 彼女のその知的な見かけゆえ、クーリエが本当は愚か者だということは、ごくわずかな人たちしか気がつかなかったのだ。

 だが、そのことには誰もが口をつぐんだ。

 彼女を侮辱することにならないか、と思ったのかもしれない。


 さらにその翌日。

 艦長室に1人で呼び出されたクーリエは、彼女らしくもなく、人前だというのにしょんぼりしていた。

 クーリエ本人は、周りの無責任な評判などより、ペッツ大尉に指摘された自分の愚かな勘違いを、ひとり恥じ入り、ひどく気にしていたのだ。

 戦列艦メトロヤブー号のバーズ艦長は机上の書類をめくりながらボソボソと話し始めた。

「色々と報告は聞いている。本来は正式な調査委員会を設けて、事実関係を明らかにしてしかるべき処置をするところだが……」

 この五十がらみの艦長は二重帝国の前線で数々の軍功を上げてきた歴戦の勇者だが、痩せすぎで顔色の悪い陰気な男だった。

「まあ、この艦の中での出来事だ。私の権限で何も無かったことにしたい」

 クーリエは顔を上げた。

「なぜでしょうか?」

 この不器用で正直な少尉候補生は、不相応な自分の評判と真実が食い違うことを心苦しく思っていた。

 そこへ、さらに事実を包み隠そうとする不正めいた艦長の申し出に、不安と疑問がわき上がった。

「君のためだよ、クーリエ君」

「しかし、これは私の名誉にも関わる問題です」

「黙りたまえ」

 バーズは初めてクーリエの顔を見て椅子にかけ直した。

「確かに決闘は名誉の問題だ。だが、その名誉は賭け事に絡んでいるようだな。これは君の名誉には相応しくないように思う」

「私の名誉です。相応しいか相応しくないかは私が決めます」

「では、ずいぶん小さな名誉だね?」

 うかがうようなバーズの視線に、クーリエは黙った。

「私は色々と報告を聞いている。君が先任の候補生たちにどんな仕打ちを受けて耐えていたのかも、よく知っている」

 戦列艦のように大所帯の艦長が、そんなことを気に掛けているとは思えなかったが、クーリエは黙っていた。

「たしかに君はこの決闘騒ぎで、これまで受け続け、耐えた屈辱を返し、名誉を守った」

「いや、それは……」

「まあ、聞くんだ。調査委員会などに報告書を作らせれば、君の聴聞会も開かれ、君が抱いていた勘違いなども明らかにされるだろう。それは君の軍歴に残ることになる」

 自分の無知と愚かさを見抜かれていたことを知り、クーリエは顔を真っ赤にしてうつむいた。

「色々と今の君にとって良くないことになる」

 クーリエは恥ずかしさで消えて無くなりたくなった。バーズの言う通り、昨日の事件はなかったことにしたい。誰の記憶からも消したい。

「私には皇帝陛下から預かった大事な命の監督責任もある。だから君には一つ忠告したい」


 ゆっくりとバーズは続けた。

「君は決闘で名誉を挽回した。それはいいことだ。だが、決して二度とやるな。不思議なことだが、決闘の味をしめてそれを繰り返す人間がいる。そういう者達は決して立派な士官ではない」

 そう言われてクーリエは、どきりとした。

 マイルズたちがうろたえ、遊戯室中の注目が自分の一挙手一投足に集まっていたときに、言いしれない快感を覚えていたことを思い出したのだ。

 無謀なヒロイズムに対する狂的な欲望が自分に秘められていたことを、クーリエは悟り、愕然とした。

 そして、この陰気な艦長が何もかも見抜く目を持っていることに、驚きと羞恥の入り交じったショックを受け、畏怖の念を抱いた。

 バーズは黙ってクーリエが何かを言うのを待っていたが、クーリエは、

「アイ・サー」

 と言うのがやっとだった。

 バーズはまた書類に視線を戻しながら口を開いた。

「もう一つ忠告するなら、賭け事はやめたほうがいい。君は不正が嫌いなようだが、誰もがそうとは限らない。君が相手にゲーム上の不正を咎めるようなら、諍いはゲームを越えて現実のものとなるかもしれない。賭けているならなおさらだ」

「アイ・サー」

 クーリエの几帳面な返事に苦笑したのをごまかすように、バーズは椅子に座り直した。

「そうそう、大事なことを言い忘れていた。先の出港前から決定していたことだが、この停泊中に君にはテストを受けてもらうことになっている。準備はいいかね?」

「テスト?」

 クーリエは、ポカンとして聞き返した。

「君は何者かね、クーリエ少尉候補生?」

「あ……」

 ようやくクーリエは、それが少尉任官試験のことだとわかった。

 少尉候補生は、見習い士官として船で修行をつみ、彼らを監督する副長が艦長に推薦し、やっと難関である少尉任官試験を受験できるのだ。

 まず、副長の推薦がなかなかもらえないため、何年も試験を受ける機会すらない候補生が多い。

 一年でその機会を得たクーリエは、めぐまれていると言えた。

「明後日の少尉任官試験をパスすれば、その翌日には提督が辞令を承認し、君は晴れて少尉だ。兵学校を首席で卒業した君のことだ、参謀としての道も開けるだろう」

 目の前の視界が一気に開けた気分で、クーリエは夢でないかとさえ疑った。

 そして、このときまで自分が何のためにこの船で理不尽な苦痛に耐えていたのか、すっかり忘れていたことに気がついた。

 未来を見ずに、死を願ったりしたのは愚かなことだったと心から思った。

「航宙術概論でもおさらいしておきたまえ。今回の試験委員会には私も入っている。口頭試問は容赦しないからそう思え。他の艦長たちも有名人の君に会えるのを楽しみにしているそうだ」

 バーズはニヤリと笑って見せた。

「以上だ。明後日、試験場で会おう」

「アイ・アイ・サー」

 クーリエは胸を張って敬礼した。

 敬礼をといて、艦長室を出ていこうとしたとき、ふと疑問がわいた。

 自分を推薦してくれたのは誰だろうか? それとも艦長が自分の権限で?

 そのとき、背後から艦長のつぶやくような声が聞こえてきた。

「以前から副長のペッツ大尉が君を強く推していたんだよ。彼はなかなかしっかり見ている」


 通路を歩きながらクーリエは思い返してみた。

 ペッツはいつも候補生に混じってみんなを観察していたような気がした。

「ペッツ大尉が……」

 友人のいないこの船で孤独に悩んでいたことを、クーリエは遙か遠い昔のことのように思えてきた。

 ペッツは決して友人ではないが、クーリエのことを知っていてくれた。

 独りではなかったのだ。


 自然と笑みがこみ上げてきた。

 久しぶりの笑みだった。


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