水兵、ばんざい!

坂井音太

第1話 クーリエ 『メトロヤブーの血闘』前篇

 イヅル鎮守府の港に停泊中の戦列艦メトロヤブー号で、穏やかでない事件が起こった。

 騒ぎの中心はクーリエ・アンナポーラ少尉候補生。

 彼女のような知的な美人が血相を変えて立ちあがるだけで、戦争中とはいえ、それは一つの事件と言えるだろう。

 だが、これはもう少し物騒な話だ。

 彼女が艦内遊戯室の雀卓の上に拳銃を投げ出し、彼女より先任の候補生2人に決闘を申し込んだのだ。

「侮辱された以上、謝罪を要求するのは当然。それすら拒まれたなら、決着をつけるには決闘以外に方法はない」

 クーリエ候補生は、静かに一語一語区切りながら言い放った。

 その鋭い眼差しが向けられた2人の先任候補生は、言葉を失い、青ざめていた。

 遊戯室の空気が凍りついている。

 これは冗談ではすまない。本気だ。誰もがそう見て取っていた。

 居合わせた皆がなりゆきを見守る中、1人の大尉がようやく立場を思い出した。

「クーリエ君、落ち着きたまえ…」

 彼はできるだけ穏やかな声で、とりなそうと試みた。

 だが、クーリエ候補生は頑として承知しない。

「大尉には立会人をお願いしたい」

 あまりにも堂々たる彼女の態度に、大尉は言葉を飲みこんだ。


 翌日には、この事件の経緯を宇宙軍港に停泊中の全艦隊が知ることとなった。


 およそ1年前、彼女は何人かの候補生と共にメトロヤブー号に配属され、士官の見習いとして乗り組んだ。

 18歳にしては妙な落ち着きがあり、決して無駄口をきかず、初めての艦隊勤務であるにもかかわらず一切ヘマをやらかさない。

 おまけに美人と言える顔立ち。

 そんな彼女が自分たちを見下しているのではないか、と、周りの候補生達が意識してしまうのも、しかたがないことだろうか。

 確かに非の打ちどころのない見習いには、かわいげがない。同じ見習い仲間として彼女に接する者はいなかった。

 運が悪いことに、しばらくすると、彼女が有名な提督の娘で、既に貴族の当主であるという事実が艦内で知られることとなった。

 もちろん、船でも軍でも出自は何の力も持たない。

 だが、そのことはクーリエに親しみを持つことには決してプラスに働く事柄ではなかった。

 くわえて、彼女は極度のはにかみ屋だった。艦内で1人も友人ができなかったのは当然と言えよう。


 親しみどころか、彼女に悪意を持つ者もいた。

 少尉任官試験に落ち続け、8年も見習い士官室の上座に居座りつづけているマイルズ候補生はその代表だ。

 マイルズは、公務上の権限を持つ最先任候補生で、見習い士官室の気まぐれな暴君だ。

 ゴリラのような大男で、腕力では誰もかなわず、兵学校の成績はビリから数えた方が早かったが、そこそこ悪知恵も利いた。

 また、他人に対する幼稚でつまらない嫌がらせを誰よりも好み、副長に注意されない程度に誰かの足を引っ張るのが趣味だった。

 彼の横暴に異を唱える者は、その拳を容赦なく喰らうことになる。

 彼のおかげで見習い士官室は、爆発することのない暗く重い怒りに満ちていた。

 もちろん、少尉候補生たちの中にはマイルズの取り巻きや、おべっかつかいが何人もいたが、彼らでさえも内心はこの暴君を憎悪していた。

 戦列艦メトロヤブー号には「鉄拳制裁」という、マイルズお気に入りの伝統がある。

 マイルズはやたらとこの伝統を実施した。

 なにかと理由をつけては水兵たちや新米候補生を並ばせ、「気合いを入れる」と称し、殴りつけるのだ。

 これは、彼が幾何や航法の能力不足でなかなか任官できない、その八つ当たりだと誰もが知っていた。

 マイルズは、特にクーリエを執拗に「鉄拳制裁」した。

 その口実の多くは、クーリエがチームワークを乱した、というものや、反抗的な態度である、というものであった。

「軍艦は女学校じゃねえんだ。『お行儀良くなさい』なんて言ってられるか」

 彼は、クーリエの知的で育ちのいい物腰も気に入らなかったようだ。

 だが、なにより、彼女がその出自ゆえに、自分よりも先にすんなり任官できるかもしれないと見ていたのだろう。

 だから殴るだけでは飽きたらず、訓練や通常作業中に、彼女が光学観測処理をしにくいようなトスデータを上げるように候補生全員に密かに命じたり、彼女が制御する通信ケーブルを絡ませようとしたりと、巧妙にクーリエの足を引っぱろうともした。

 しかし、そのたびにクーリエはなんとか切り抜け、それがマイルズが仕向けたことだと知りながらも無視を決め込んできた。


 クーリエに友人が多ければ、マイルズに睨まれることもなかったかもしれない。

 ここまでクーリエを目の敵にすることもなかっただろう。

 暴君とはいえ、マイルズだっていじめる者は選ぶ。

 クーリエには庇う者や味方がいない。そのことを計算に入れた上で彼女をいじめの的にした。

 あるいは、クーリエがもう少しチャランポランな人間で世渡りが上手なら、マイルズに嫌われないようにできたかもしれない。

 彼女は、あまりに堅苦しい性格で、柔軟に対処できなかった。


 クーリエは決して人前で涙を見せなかったが、時々悔し涙で枕を濡らした。

 時には死すら願った。

 友達もなく、残酷で理不尽な目にあわされている、この大変内気な少女からすれば、孤独感も並のものではなく、それも無理からぬことだろう。

 だが、志を抱く彼女は、家族を思い出し、それに耐えた。

 その思いを胸に秘し、どうすればこの不幸をやり過ごすことができるだろうか、あれこれと方法を考えた。

 そして一つの覚悟を決め、あることをいつでも実行できるように備えた。

 それは携帯している拳銃の弾を一発だけ残して、残りを抜くことだった。

 昔、本で読んで知った、古代から伝わるロシアンルーレットという命を賭けた運試し。

 彼女は、どうしても死にたくなったらいつでもそれを実行する、という備えをし、死を身近なものとして覚悟を自身に課したのだ。

 もし、実行して死ねば、それが自分の運命。生き残れば、それは運命が自分に生きる意味を残しているということだ、と彼女は決めつけた。

 そうすることで彼女は、彼女の抱いた大志と死を秤に掛け、死にたくなるという気持ちを押さえ込もうと思ったのだった。

 この備えの愚かさに気がつくには、彼女は青臭すぎたし、それを忠告してくれる友人もいなかった。


 弾倉に一発だけ弾をこめたその日から2日後。

 戦列艦メトロヤブー号の所属するクシーボ艦隊は、宙域封鎖の任務を交代し、二重帝国帝都デリタス星系のはずれにあるイヅル鎮守府に入った。

 宇宙軍港で上陸手続きがすむまでの持て余した時間。将兵たちは艦内でそれぞれ自由に過ごしていた。

 クーリエが、見習い士官室でライブラリデータでも読もうかと通路を歩いていると、副長のペッツ大尉が声をかけてきた。

「クーリエ君。マージャンでもどうだ?」

 ペッツ大尉は面倒見のいい男で、30前なのに口髭が似合う、なかなか理知的な人物だった。

 どういう気まぐれか、と思い顔を上げると、マイルズと、その腰巾着の1人シェローズ候補生が、遊戯室のドアからこちらをのぞいている。

「どうしてもメンツが1人足りない。できるだろう?」

 ペッツ大尉はともかく残り2人のメンツが嫌だったが、一介の見習い士官が大尉の提案を断るのは難しい。

「並べるくらいなら」

 そうは言ったが、本当はクーリエはマージャンが強いほうだった。

 軍を引退した彼女の父や戦争で死んだ兄たちがまだ健在だったころ、彼女は家でマージャンを覚えた。

 彼女は単純な確率論のみならず、場の流れで勝負に出るか降りるかといった複雑に変化するセオリーの研究に凝ったものだった。

「よし、これで卓が立った」

 ペッツはニコニコして彼女を雀卓に案内し、いそいそと場決めの牌を揃え始めた。

 遊戯室は混み合い、准士官や候補生たちであふれていた。

 士官たちは混雑を嫌ってか(自分の個室にとどまっているのだろう)数えるほどしかいないが、ペッツのような候補生に混じりたがる気さくな士官ばかりだからか、リラックスした雰囲気だった。

 雀卓は20あるもの全部が埋まっていた。

 場が決まり、上機嫌に洗牌しながらペッツが一同の顔を見ながら言った。

「レートはどうする? 点ピンでは諸君には大きすぎるかな? いいかい? よし」


 マイルズとシェローズはチラチラとクーリエを見てはニヤニヤしている。

 おおかたクーリエからたんまりふんだくってやろうとでも思っているのだろう。

 クーリエは知らんぷりしていたが、内心、逆にこのマージャンで2人に大きな負けを背負わせてヘコましてやろうと、ささやかな復讐を思いついていた。


 ゲームは穏やかに進み、最初のゲームはシェローズが小さく勝った。

 だが、もう1ゲームもする頃、マイルズはお話にならないほどマージャンが下手くそだということがクーリエの目には明らかになった。

 マイルズは必ずリーチを掛ける。そのうえ他人のテンパイを全く警戒していない。

 6ゲームもすると彼のマイナス点は300を越えた。クーリエは1着を4回取っていた。

 マイルズは良い手だとニコニコし、悪い手だと不機嫌をあらわにした。

 どうやら彼はサイコロもマージャンも同じ金を賭ける手段だと思っている手合いのようだった。

 さらに彼は負けっぷりが悪く、マイナスがかさむにつれ、次第にイライラしてきて顔を赤くし口をとがらせて怒気を発し始めた。

 既に彼の払わなければならない賭け金は、彼の乏しい財布の現金だけではまかなえなくなっていたのだ。


 連続でマイルズがマイナス終了したため10ゲームはあっという間だった。

 勝っているのはクーリエ1人となり、マイルズが一番ひどく負けていた。

 クーリエは久しぶりのマージャンの楽しさに夢中になり、また思った以上の勝利に喜んでいた。

 マイルズの愚痴も悪態も雑音にしか聞こえず、それがアラームだということにも気がつかなかった。

 いま勝っている分だけ、後でマイルズはクーリエに苦痛を与えるだろうという単純な予想も、彼女はしばらく思いつかないでいた。


 さらにゲームを続行し、マイルズのマイナスが1000を越えようとしたころ。

 クーリエは自分の手牌を見て一瞬リーチしようかどうか迷った。

(裏ドラが乗ればこのゲームの一着が確定するが…)

 場を見ると、上がり牌はマイルズから出そうな気配だった。

「……ここは勝負だ」

 彼女は珍しく独り言をつぶやいてリーチした。

 シェローズが慎重に安全牌を切ると、マイルズが口汚く罵ってツモ切りした。それがクーリエの当たり牌だった。

「ロン。リーチ一発……、裏ドラドラドラ」

 マイルズは目を剥いて歯噛みしながら、クーリエが倒した手を見た。

 そして卓を叩き、睨みつけた。

「ちっ! さっきから勝ちすぎなんだよ! 牌の裏側にしるしでもつけてんのか?」

「本当だぜ。イカサマみたいな上がり方だな」

 シェローズも追従した。

 マイルズのその言葉を聞いた瞬間、クーリエ・アンナポーラ少尉候補生は、運命のささやきに気がついた。


 ここは勝負だ。


 そうささやいている。

 これは、ただマージャンの勝ち負けにケチがついた、というだけのやり取りではない。

 いま、彼女はもっと重大な場面にいるのだ。

 ポケットにおさまる程度の現金を巡ったマージャンが終わった後、再びみじめな候補生生活が彼女を待っていることを思い出した。

 そして、彼女は備えていたこととその覚悟を思い出す。

 たくさんの迷いと決意がめまぐるしくクーリエの思考を駆けめぐった。

 決意が、ついさっきまでは思いつきもしなかった方法となってクーリエの中にひらめいた。

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